第3話 ─ 彼女の素性
翌朝、いつものように教室で寝ていて始業の5分前に目を覚ます。
「ふわぁあ~…」
あ~、なんて幸せな時間なんだ。この時間だけは邪魔されたくないね。眠りの余韻に浸っていると、俺が起きたのに気付いたクラスメイトが数人俺の周りに集まってきた。
「やっと起きたか久慈川。今日の朝、和泉嬢から久慈川のこと訊かれたぞ」
「あっ、私もー。久慈川くんについて知ってること全部教えろって」
「…ンぁ?」
申し訳ないが、目は覚めても脳はまだ寝ぼけてるので今の会話は頭に入ってないぞ?
「でー、何て?」
1限目の授業が終わった休み時間、俺は再度訊き返した。
「今日の朝、和泉嬢から久慈川のことを訊かれたんだよ」
「何だそれ?」
「知らね、生徒玄関の前で仁王立ちしててさ」
「ふーん、で、何?その『和泉嬢』とかって…」
和泉さんが仁王立ちをしていたことよりもその呼ばれ方の方が気になった俺は、話の腰を折りまくりながら訊ねる。
「久慈川くん知らないの?学園長の孫っていうのと、入学早々20人近くの男子の告白を断ったからってそう呼ばれてるんだよ」
「ふーん…」
また大げさな人物像が出来上がってるな。学園長の孫だなんて大した付加価値にもならないだろう。
「そんで?」
「え?あぁ、言わないと生徒玄関に入れてくれなさそうだったからクラスとか出席番号とか教えといた」
「私も。帰宅部って答えておいたよ」
ま、知られてもどうだっていいような内容で助かった。知られて困る内容なんざ話していないから知ることは無いだろうがな。
「でも、どうするんだ久慈川。和泉嬢、結構本気みたいだったぞ?」
「知らん、俺には関係ない」
「久慈川くんらしい答え」
「俺は時々、その久慈川のマイペースさに憧れるよ。何の悩みも持ってなさそうだ」
クラスメイトたちは勝手に感心しながら自分達の席に戻る。その理由が2限目のチャイムが鳴っていたからだ。少しして数学の担当教師がやってきて授業が始まる。
言っておくが、毎回の授業ずっと寝てる訳ではない。新しい項目の授業ぐらいは起きている。
但し、それはその項目の基礎となる公式を覚えるまでの話だ。基礎さえ押えておけば後はどうとでもなるんだから。
授業が始まって15分程経つと、ようやく新項目も公式のまとめに入った。俺は黒板に書かれた公式をノートに書き写すとシャーペンを机の上に置いてゆっくりと背伸びをする。
「おっ、久慈川のやつ今日はえらく早いな…」
「あぁ、基礎公式終わったからな。顔見ろよ、目ぇ閉じて既に寝釈迦モードだぞ…」
何か妙な内緒話が聞こえた気がするが、放っておこう。残りの35分、存分に休憩に使わなければ。
「えー、それじゃこの問1の問題3つを…、山根、前原、それから久慈川。こら久慈川!起きて黒板の問題解かんか!」
当然ながら俺が寝てても授業は進むし、問題を解かせる指名もちょくちょく当たる。俺はのそっと立ち上がると黒板の前まで歩いていき、ボーっと問題を見つめる。
隣で問題を確認しながらゆっくりとチョークを走らすクラスメイトを他所に、先ほど覚えた公式を当てはめて式を完成させると、踵を返して自分の席へと戻り、再び眠りの世界へと飛び込んだ。
「久慈川!答え合わせも済んでないのに寝るんじゃ…、あ、合っとる…!」
数学担当は答えと俺が黒板に書いた式を何度も見比べる。それもその筈、残りの二人はまだ黒板の問題に悪戦苦闘していたからだ。
「あーあ、可哀想に。今年赴任してきた先生でしょ?あれ」
「あぁ、怒りたくても怒れない。すっかり久慈川のペースだな」
新任の数学担当は、問題が解けない俺に対して「起きて真面目に授業を受けないから分からないんだ」とでも言いたかったんだろう。唇を噛みながら悔しそうな目で俺の方を見ていたらしいが俺の知ったことではない。
結局、その後は一度も俺に指名が当たることなく平和に2限目を終えることができた。
「ふわぁあ~…」
気付けば4限目まですんなりと終わり昼休みの時間になっていた。今日はちょっと場所を変えるか…
俺は弁当片手に辰巳の教室へと向かう。
「辰巳ー」
「んおっ!?真琴!?」
男子数人と机を囲んでパンを頬張っていた辰巳は俺の顔を見るや否や、咽る勢いで目を開いた。
「失礼な反応だな、それはそうと喉詰まらせるなよ」
「いやいや、悪い悪い。ちょっと驚いた」
「今のはちょっとのレベルじゃないだろ。まぁいい、ちょっと昼飯付き合って欲しいと思ったんだけど、もう食ってるならいいや」
「待て、真琴」
踵を返して教室に帰ろうとすると、辰巳が俺を呼び止める。
「悪いな、ちょっと行ってくる」
辰巳は一緒に机を囲んでいた男子連中に一言謝ると、食べかけのパンとフルーツ牛乳を持って俺を追いかけてきた。
「良かったのか?」
「あぁ、あいつらとならいつでも食えるし。どうする?教室じゃマズいのか?」
相変わらず察しがいいな、こいつは。
「いや、大声じゃないなら大丈夫だろ」
俺と辰巳はそのまま俺の教室に入って、俺の机を挟むように座った。
「食いながらでいい、そのまま聞いてくれ」
「どうしたんだ?」
「お前に頼みたいことがあるんだ」
「俺に?」
そう言うと、辰巳がスッと俺に顔を近づけてきたので俺も同じように顔を近付ける。
「あの和泉さんって子のこと、調べてくれるか?」
俺のその一言に辰巳の目が何故か点になった。
「何だよその顔…」
「あ、いや悪い。まさか真琴の口からその単語が飛び出すとは思わなかったから…」
「バカ、面倒事に巻き込まれたくないからだ。それに辰巳の顔の広さならそれなりの情報集めれそうだしな」
「面倒事ってお前…。分かった、仲いい連中に頼んで聞いてみるわ。明日まででいいか?」
「出来るのか?」
「任せろ、あいつらの野次馬魂は半端じゃないからな」
頼もしいのかどうかは分からんが、辰巳がこうまで言っているんだから少し任せてみようと思う。
次の日の昼休み、俺が弁当を食い終わると同時に辰巳が数枚のA4用紙を片手に教室に入ってきた。
「真琴、大分情報は集まったぞ」
「早かったな」
「俺の情報網はそう甘くは無いぜ」
辰巳はフフンと鼻を鳴らしながら俺の前の椅子に跨るように座った。何を威張っとるんだお前は。
「ほらよ、なかなか面白いこと書いてるぞ」
「ふーん…」
俺は辰巳から左上をホッチキスで止められた紙を手渡されると、早速それに目を落とした。
・和泉 莉奈(15歳)
・鈴蘭中学校出身
・身長159cm 体重48kg(推定)
・血液型A型
・スリーサイズ77・56・80(目視)
・1年E組 出席番号22番
・性格はちょっとキツめ、自分勝手なところあり
・栞ヶ崎学園 第37代学園長 和泉宗充が祖父
・父親は県の教育委員会の役員
・一人っ子
・趣味は読書と音楽鑑賞
・頭が良く、入学試験もトップクラスだったらしい
・得意科目は全般、苦手科目は今のところ不明
・現在、所属している部活動はなし。その為、選手・部員・マネージャー、果てはマスコットとしての勧誘が動きつつある
・友達は少ないというか、彼女と親しくしている生徒は今のところいない
・中学時、生徒会に所属していたらしく責任感は強い
・中学生の頃から幾多の男子の告白を足蹴にしているらしく、付いたあだ名は『鈴蘭の斬捨て嬢』
・過去数人の男と付き合った経験があったらしいが、それらも彼女の方から別れていて、あだ名に拍車が掛かっている
(中略)
・自分の頼みを断られたのは久慈川 真琴が初めてで、更に初めての告白(?)も断られたらしく、久慈川に自分を好きだと言わせることが彼女の高校在籍中の目標
etc…
「……。」
「なっ?面白いだろ?」
「ノーコメント」
それに加えて個人情報の保護は一体どうなってるんだ。よくもまぁ、どうでもいいようなことまで集まったりするもんだ。俺が頼んで調べてもらってて何だけど。
「特に何だよ、このスリーサイズの『(目視)』って」
「実際に訊いたら凄い睨まれたらしいから、神経を統一して服の上から測ってみたヤツがいるらしい。本当かどうかは眉唾物だけどな」
「へー、そいつ階段の最上段から落ちればいいのにな」
「さらっと怖いこと言うなよ。とりあえず1日しかなかったからそれぐらいしか集められなかった。頑張ったらもう少し集めれた気もしたんだけどな」
辰巳は残念そうに言いながら頭を掻いた。
「まぁ、余計な情報はアレとして大体彼女の性格は分かった。手間かけさせたな、サンキュ」
俺は辰巳からもらった資料をトントンと机の上で揃えると、そのまま机の中にしまった。
「それで真琴はどうするんだ?」
「どうするって、何が?」
「まさか本当に和泉さんから逃げるつもりか?」
「頭大丈夫か?」
「俺が言われんの?それ」
俺と辰巳の目が揃って点になる。
「俺の平穏を壊す気か」
「ほぼ半分ぐらい壊れかけてると思ってるのは俺だけか?」
「マジで…?」
「多分真琴は知らないと思うけど、想像以上に広がってるぞ。真琴と和泉さんの話」
また面倒くさい話に発展しているらしい。否定したいけど、どうせ信じないだろうしなぁ。
本音言えば否定するのが面倒くさいんだけど。けど人の噂だしな、75日待てば治まるだろうし放っとくか。
『キーンコーンカーンコーン』
と、その時昼休みの終わりと、5限目開始の10分前を表すチャイムが鳴り響いた。
「おっと、次移動教室だった。それじゃな真琴」
「あぁ」
急ぎ気味に教室を後にする辰巳に、俺はテキトーな声を出して見送った。さて、残りは2限でその内1限は移動教室…、寝よ。
「ふわぁあ~…」
余計な体力を使う厄介な移動教室を前に、自分の英気を養う為、俺は昼の休憩に入った。
「ふわぁあ~…、眠い…」
6限目の移動教室に目をこすりながら一人のろのろと歩きつつ向かう。あと1限乗り切れば今日も終わり。そう思って廊下の角を曲がった時だった。
「待ってたわ」
「こんにちわー」
「えぇ、こんにちわ…、って!何をさらりとかわそうとしてるの!」
出会い頭に和泉さんが仁王立ちしていたので、爽やかに挨拶して通り抜けようとしたが腕をがっしりと捕まれた。くそう、後少しだったのに。
「貴方いい度胸ね、私をフっておいて無関係まで装おうだなんて」
「あのね…。今、2年に1回見れるかどうか分からないぐらい爽やかな笑顔を見せたってのに、それでも不満だったの?」
「口の端を軽く吊り上げただけの表情に爽やかの要素なんて微塵も感じなかったわ。それどころか小バカにされた感じの方が強いし」
和泉さんが両腕を組んでぷりぷりと怒る。
そうか、俺の爽やかな笑顔はそんな風になってたのか。トイレの鏡でも見て練習するかな。嘘だけど。
「それで?今日はどういったご用件で?次移動教室だから手短にね」
なるべく関わりたくなかったのでさっさと用件を促す。
「今日の放課後、私とデートして」
「いやー、さすがに1年後のことまで覚えてられるかなー」
「今日の放課後って言ったでしょっ!?誰が来年の話をしたの?!」
和泉さんは驚いてるのか怒ってるのかよく分からない顔しながら強めの口調で言い返してきた。
彼女も何だかんだで表情豊かだ。今のところ、さっきみたいな表情しか見たことないけど。
「そう言われてもねー、俺にも帰ってしなきゃなんないことがあんのよ」
今日の晩飯、俺が当番だし。
「貴方の用が何かは知らないけど、私が誘ってるんだから付き合って」
「君は人と歩調を合わす努力はすべきだと思うけどね、聞いてくれる人も居ただろうけど俺みたいに断る奴だっているんだから」
「む…。そう、貴方がそう言うならそうするわ」
おや、やけに素直に引き下がったな。ちょっと納得いかなさそうな顔してるけど。
「それなら今週末。貴方予定は?」
「文字通り、休日」
「要するに『家で寝ている』ってことかしら?」
「ご名答」
「ならいいわ。次の日曜日、私の買い物に付き合って」
何があっても俺を連れ出したいらしい。出不精なのに…
「ちなみに──」
「断るなら、貴方の自宅まで直々に迎えに行って──」
「分かった、昼の13時に駅北口前のロータリーで集合。OK?」
「え、えぇ…」
「それじゃ、そういうことで」
呆気にとられる和泉さんを他所に、彼女の横をすり抜けた。
家にまで迎えに来るだと?とんでもない。
咄嗟に時間場所まで指定して約束をとりつけてしまった。
はぁ… 面倒なことにならなけりゃいいけど…
俺はため息ひとつ付いてからヤケ気味に後頭部を掻いた。
放課後、終礼のチャイムはとうに鳴ったというのに俺は机の上で突っ伏していた。1時間前の反省してるんだけどな。最悪の状況を回避しようと何も考えずにあんなこと言ったけど… 早まったことしたなぁ…
「おーい久慈川ー、成瀬が来てるけどー?」
「んー…」
「HR始まった頃からずっとあんな感じだけど」
「みたいだな。ありがと、自分で行くわ」
辰巳は教室の入り口でクラスメイトと数回会話のやり取りをした後、そのままいつものように俺の前の席に腰を下ろした。
「どうした真琴、今日は気分を変えて硬い木の上で昼寝か?」
「そー、たまには人工の自然と戯れたいんだよ…」
机の面に反射された俺の声はくぐもったように響いて辰巳に届いた。
「…本当にどうしたんだ?」
「んん…、ちょっとな…」
ゴトリと首を横にして小さくため息をつく。
「和泉さん絡みか?」
「お前は本当にそういうのには敏感だよな…」
「真琴が真剣に面倒くさがることって言ったら選択肢絞れるだろ?」
あぁ、確かに。
「今度の日曜にさ、和泉さんの買い物に付き合わされることになった」
「は?なんだそれ?」
「俺が知りてーよ」
見るからに驚いた表情の辰巳に俺は机に顎を立てながらそう答えた。
「いや、真琴の問題だろ。聞き返すなよ」
「説明すんのめーんどーくさーい」
「ひと昔前の女子高生みたいな喋り方してんじゃねぇよ、後からじわじわと腹立ってくるわ」
「でーすよねー」
「やめろっつってんだよ」
2分ぐらい続けてる内に辰巳のイライラが頂点に達しそうだったので、俺は和泉さんとの出来事を説明した。
「ははっ、なんだそれ」
辰巳は少し引き攣った苦笑いで自分の頬を掻く。
「だろ?家まで来るってんだぞ?」
「無意識なんだろうけどな、そう考えたらその選択はまだマシな方だったかもな」
「面倒なことに変わりないけど」
「だろうな」
そう、結論はそこなんだ。内容がどう変わっていようが落ち着く先が決まってるなら何をしようが無駄だ。そういう意味では和泉さんと出会った時点でこの結果は決まっていたようなものかも知れない。
「真琴らしくないな、いつもならもう少し何とかなっただろ?」
「俺もそう思うんだけどな…。何か今回、そんな余裕無くて」
「週末まで気が重いな」
「さっきからずっとだよ…」
「………。」
「………。」
「…ごめん」
「いや、いいよ…」
あ、そう言えば晩飯当番だったけど何するか全然考えてないや。
…ダメだ、全然献立が思い付かない。冬子には悪いけど、今日は鍋か何かで我慢してもらおう。
幕間:『和泉さんのスリーサイズ目視したやつと接触』
辰巳「目視で分かるのか?」
目視したヤツ「いきなりは無理だよ、けど俺は中学の時から集めてきた何百人ものマル秘データを基にやってんのさ。そのおかげで今の俺の合致率はなんと90パーセントを超えt──」
辰巳「いや、もういい」




