死の湖
― ウッタロ湖湖畔・人間国軍前線基地 ―
ドォーン! ドォーン!
火の玉により、地雷が次々と誘爆している。
ワニハウンドは爆発の多い方向へと火の玉を乱射しながら進んでいたが、ついに目標をその目に捕らえた。
オレンジの勇者――清見である。
「ようやく見つけたワニ」
ワニハウンドがほくそ笑んだ。
爆発物対策と遠距離攻撃用に持たされた能力――つまりは、ヘルハウンドの吐く火の玉。
これは、対オレンジの勇者を想定したものである。
爆発物の処理は上手く行っている、あとはダメージを与えられるかどうかだ。
オレンジの勇者には爆発ダメージは無効である。
爆発ダメージの中に炎も含まれているのかどうか、そこが問題なのだ。
念のため、合図として火の玉を3つ空に向かって吐いておく。
火の玉がオレンジの勇者に効果が無かった時のため、赤河馬参謀――メデュスパイダーを呼んでおくのだ。
石化の魔眼なら、問題無く通じるはずだと判断して。
――――
「【毒の霧】!」
緑の勇者――小百合は、獣人国軍の奇襲から人間国軍を立て直すため、奮闘を続けていた。
本当なら清見と2人でテロリストの奇襲に当たるべきなのだろうが、獣人国軍の奇襲に思いのほか人間国軍側が崩れてしまったので仕方が無い。
獣人国軍は元々個々が自由に戦う軍なので、中枢を叩いても状況は好転しない。
なので小百合は【毒の霧】によって、なるべく広範囲の敵を毒殺しつつ、獣人たちを引き付けようとしていたのだ。
だがしかし……。
「キリが無いわね」
2000は殺したはずなのだが、8万……いや、今はもっと増えて10万はいるであろう獣人軍の勢いを止めるには、焼け石に水である。
自身が万の兵に匹敵するとの自負はあった小百合ではあったが、この数と勢いを止めるには自分1人では無理であると感じていた。
テロリストの襲撃さえ無ければ、清見と協力して奇襲の勢いを止めることができるのに――とも思うが、そもそもテロリストが襲撃してこなければ、獣人国の攻撃も奇襲にはせずに済んだのだ。
そう考えると今回のテロリストの襲撃は、単純だが実に効果的であることが分かる。
ドドドオオォォン!
立て続けに大きな爆発音が聞こえた、清見の爆弾が一斉に爆発したのだろう。
清見の【爆発物敷設】の刻印なら、自分がいなくてもテロリストの襲撃を足止めできるかと計算していたのだが、どうやらそれは楽観的な考えであったのかもしれない。
どちらの奇襲の勢いも止められていない――この時点で、小百合はこの地での人間国軍の敗北を自覚せざるを得なくなった。
「そうとなれば、ここは退却の1手しか無いわね」
テロリストと交戦中の清見と合流し、被害を最小限に抑えて退却する。
それが人間国にとって、最良の1手と小百合は判断した。
幸い自分たち勇者には、この地の軍を指揮する権限も与えられている。
だがここで、小百合はある異変に気付いた。
「爆発音がしなくなった?」
爆発音がしないということは、清見とテロリストの戦闘が終わったことを意味する。
清見の勝利で終わったことを祈りつつ、小百合は湖畔の戦場――清見のいた場所へと飛行していった。
――――
「ふう……やれやれだぜワニ」
一息ついているワニハウンドのすぐそばには、オレンジの勇者――清見の死体。
オレンジの勇者の爆発物に苦労しながらも、ワニハウンドは火の玉によって倒すことに成功していた。
何度かそこそこ近くで爆発させてしまったので多少傷を負ってはいるが、ほぼ完勝である。
爆発のダメージは無効化できたオレンジの勇者ではあったが、火炎のみのダメージは爆発の中には含まれず、なぜか別物だったようだ。
「【毒の霧】!」
突然ワニハウンドの頭上から、緑色の霧が降ってきた。
緑の勇者――小百合の【毒の霧】である。
「ワニ!?」
慌てて火の玉を吐き、毒の無効化を図るワニハウンド。
幸い毒の霧の範囲が狭かったおかげで、なんとか範囲外へと逃げ延びた。
宙を飛んできた緑の勇者は、オレンジの勇者の傍らに着地し、その死体へと手を伸ばす。
「清見……間に合わなかった……」
その死体は火の玉によってコゲており、周囲にはまだ肉の焼けた臭いが漂っていた。
キッとワニハウンドを睨みつける緑の勇者――小百合。
慌てて兵の中に紛れ込もうとするワニハウンド。
「逃がすか!」
小百合が追おうとするが、近くの兵士たちに紛れてワニハウンドが逃げる。
「これで毒霧は使えまいワニ! 使えば味方の兵士も巻き込むワニ!」
そう挑発しながら火の玉を吐くが、宙を舞い軽々と避ける小百合。
「ワニハウンド、ヌタアントと連携して勇者を倒しなさいメデュ!」
攻防を見つけて近づいてきたメデュスパイダーが命令を叫ぶが、これは誘いである。
あわよくば、メデュスパイダーのほうを勇者に見させ、石化の魔眼の効果を発動させてしまおうという意図なのだ。
「サユリ様見ては駄目です! そいつは石化の魔眼持ちです!」
たまたま石化を逃れていた兵士の叫びに、間一髪目線を逸らす緑の勇者――小百合。
片や味方に紛れながら火の玉を放つ化け物、片や石化の魔眼で目視が困難な化け物。
「どうすりゃいいってのよ……」
必死に悩む小百合……。
その時、兵士の1人が叫んだ。
「サユリ様! 我々ごと殺してください!」
その声に、他の兵士も続く。
「そうです! いっそ我々ごと!」
「どうせ死ぬなら敵を道連れに!」
口々に自分たちを巻き込めと主張する兵士たち。
「あんたたち……」
兵士たちの覚悟の声を耳にして、小百合は決断をした。
「済まない……みんなの命を、巻き込ませてもらう!」
その直後、メデュスパイダーの声も飛んだ。
「ヌタアント、ワニハウンド、湖に撤退しなさいメデュ!」
まさかの撤退命令である。
「了解ヌタ! 逃げるぞ馬ヌタ!」
「おうよ鹿ワニ!」
湖へと逃げる2体の改人――だがここでの撤退は、人間の兵士から離れることを意味する。
2体の改人は、むしろ湖へと撤退することにより、緑の勇者――小百合の、格好の標的となったのである。
「兵たちから離れてくれれば、こっちのものよ! 逃がさない!」
逃げる2体の改人。
追う小百合。
それを見て、メデュスパイダーがほくそ笑んだ。
「馬鹿は扱いやすくて助かりますメデュね」
緑の勇者――小百合に味方を巻き込んで毒を吐かれると、メデュスパイダーとて無事では済まない。
故に2体の部下に撤退命令を出したのである。
逃げる際には、必ず人間国の兵士から離れなければならない。
味方を巻き込みたくない緑の勇者が、その機会を見逃すはずがない。
結果として撤退する2体の部下は囮となり、自分は攻撃目標から外れる。
撤退命令は、メデュスパイダー――赤河馬参謀の、自らが逃げ延びるための命令であった。
メデュスパイダーは、人間国の兵士が自分から目を逸らしているのを良いことに、スルスルと積み上げられた物資に近づいた、
そしてさっきからこの場にありましたよと主張するかのように、積み上げられた物資に擬態し隠れた。
勇者を1人倒し、獣人国の勝利も間違いないと確信したメデュスパイダー――赤河馬参謀は、このまま勇者が去るまで隠れ続けるつもりである。
――――
「【毒の霧】!」
湖のすぐ近くまで2体の改人を追ってきた小百合が、毒の霧を吐く。
「ひゅ~ヌタ」
「あばよワニ」
毒の霧を避け、ドボン!バシャン! と、湖へと飛び込むヌタアントとワニハウンド。
「水中に入ったからって、逃げられると思わないでよ!【毒の霧】!」
小百合が緑の毒霧を吐く。
湖の上空を広範囲に飛行しながら。
毒霧はやがて湖を緑に染め、湖中の命を奪う。
魚が腹を向けて浮かび、湖面を埋め尽くした。
そして小百合が吐き続けた毒霧は、やがて2体の怪物の死体をも……。
ヌタアントとワニハウンドは、緑の勇者――小百合の【毒の霧】によって、討伐されたのである。
…………
人間国軍は撤退した。
その全軍を、15万から8万まで減らしての惨敗という形で。
獣人国軍は、それほどの大勝にも関わらず厳しい追撃はできなかった。
人間国軍の退却した方向が風上で、その風上から緑の勇者が毒の霧を吐き散らしたからである。
そして獣人国軍に占領された前線基地では、2人の獣人が顔を合わせていた。
「お久しぶりです、テテラ将軍」
敬礼をしているのは赤河馬参謀。
もちろん河馬獣人の姿である。
「ご苦労だったな、レイドモン特務少佐。いや……今は赤河馬参謀だったか」
テララ将軍と呼ばれた男は、赤河馬参謀の上官だった人物であり、黒ヒョウの獣人だ。
「赤河馬参謀でお願いします。ヤルステノゥ-レイドモンという軍人は、既に戦死しておりますので」
ニッコリと赤河馬参謀が笑みを見せた。
…………
秘密結社モフトピアと獣人国軍の共同作戦は、大成功に終わった。
勇者は1人倒され、ウッタロ湖周辺は獣人国のものとなった。
だがしかし、軍事的には大成功ではあったが、被害も甚大ではあった。
もちろん獣人国軍の被害では無い。
豊かな自然と水産資源に恵まれていたウッタロ湖が、緑の勇者の毒に汚染されたという被害である。
せっかく取り戻したウッタロ湖周辺地域ではあるが、獣人の住める場所になるには数年から数十年はかかるであろう。
戦勝に沸く獣人国軍。
奪い返したのは、死の湖。
生き物の羽ばたき、鳴き声、水音……全てを失った湖は、死の静寂に支配されていた。
* * * 敵勇者の数:残り5人 * * *




