人喰い狼ドワーフ
狼ドワーフが勝手に出撃してしまった。
あいつ血の気多いからなー。
狼ドワーフは『オレサマ ニンゲン マルカジリ』みたいなセリフを本気で言いそうな、危ないやつなのだ。
「追っ手を出しますか?」
肉壁団長が目を細めて、対応を聞いてきた。
「うーむ、そうだなぁ……」
追っ手を出すという意味は捕まえるという意味ではない、粛清するということだ。
デンジャーは寄せ集めな組織なので、内部の人員で殺し合うのは空気が悪くなりそうなので避けたい。
となると……。
「ノルトロスに連絡を取れ」
「なるほど……あれから新たな情報は得られておりませぬからな、そろそろ使い時ですか」
「組織の戦力は、なるべく温存させたい」
「了解致しました、首領」
俺と肉壁団長はお互いに顔を見合わせ、どちらからともなくニヤリと互いに笑みを浮かべた。
我々は悪だくみをしている。
なぜなら、悪の秘密結社なのだから!
☆ ★ ☆ ★ ☆
― 国都・西門付近 ―
のどかな青空が広がる午後、それは突然現れた。
「キャアァァ!」
「助けてくれ!」
逃げ惑う人々、飛び交う悲鳴――門兵を蹴散らして侵入した化け物は、クチャクチャと何かを咀嚼しながら、逃げる人間たちを楽しそうに眺めていた。
狼ドワーフ――悪の秘密結社デンジャーの改人である。
その姿は狼獣人に似てはいるが、鋭すぎる牙は野生のそれであり、手足の爪は凶悪さの象徴のようであった。
顔周りの髭がドワーフの特徴を残していたが、ベットリと付着した血により狂相を際立てる役にしか立っていない。
野生の狼の俊敏さを上回る速さで、狼ドワーフが跳ぶように走る。
ザシュッ
恐怖で逃げ遅れ、立ちすくんでいた男の子の首から血が噴き出し、半分ほどが胴から離れた。
狼ドワーフが、軽く爪を振るったのだ。
左腕を掴んで持ち上げ右手の爪を上着に掛けると、刃物を当てたかのようにスッパリと上着が切り裂かれた。
白いぷっくりとした男の子の腹を見て、狼ドワーフがニンマリとする。
チロリと真っ赤な舌を這わせたあと、そのまま柔らかそうな男の子の腹に牙を突き立て、食いちぎる。
満足そうに咀嚼する狼ドワーフの目は、既に次の獲物を探していた。
目の前には逃げ惑う人間たち。
逃げろ、叫べ、恐怖しろ!
人間たちの様子を見て、狼ドワーフは歓喜に震えていた。
人間どもめ、恐れおののくがいい。
人間どもめ、報いを受けるがいい。
これから俺が食い散らかしてやる!
☆ ★ ☆ ★ ☆
― 国都・喫茶屋台タチバナ ―
「人喰いの化け物が……」
「あぁ、だからおやっさんも早く逃げた方がいいぜ。こっちに来るかもしれないからな」
そう言って、馴染み客のタルヘは早々に避難していった。
その化け物の正体を、実は私は知っている。
私の名は、ノルトロス・O・ヤッサン。
『悪の秘密結社デンジャー』の諜報員である。
今の仮の姿は、コーヒー屋台のマスターだ。
ちなみに屋台の店名のタチバナは、我がヤッサン家の家紋である。
屋台の従業員であるシュンタが、私のことを『おやっさん』と呼ぶので、今は客にまでその呼び名が定着してしまっている。
『O・ヤッサンなんだから、おやっさんでいいよな?』などという適当な理由で呼ばれているのだが、実は私としては納得がいっていない。
情報を引き出す対象でなければ訂正させるのだが……今のところは我慢だ。
コーヒーの屋台をやりながら一般的な情報収集をし、従業員として働かせている元勇者のシュンタから勇者召喚の情報を引き出すのが今までの任務だったが、ここに来て新たな任務が課せられた。
元勇者――現バッタ男のシュンタに、待機の命令を無視して出撃した狼ドワーフを討伐させよ、という任務である。
またえらく無茶振りな任務が来たな……。
仕方がない、やってみるか。
「なぁシュンタ、人喰いの化け物と戦ってみないか?」
「えっ? なんで俺が?」
そうだよなぁ、別に戦う理由とか無いものなぁ……。
と言うか、何で私もこんなバカ正直に聞いてしまったのだろう?
「君は勇者だったのだろう? だから人喰いの化け物から民を守りたいという気持ちがあるかな……と」
苦しい理由付けだが、誤魔化せただろうか?
「そりゃあ、全く守りたい気持ちが無くは無いですけど……そもそも勝ち目がありませんから」
おや? シュンタは本当にそう思っているのか?
「そうかな? たぶん化け物より君の方が強いと思うぞ」
これは本気でそう思っている。
昆虫と動物が同じ大きさだったなら、間違いなく身体能力は昆虫のほうが高いはずだ。
爪のような武器こそ無いけれど、それでも互角以上に戦えると思うのだが……。
「買い被りです。俺は『残念勇者』ですよ、強さなんて期待されても困ります」
そう言うとシュンタは、自虐的な笑みを浮かべた。
きっと自分に自信が無いのだろう、勇者時代に役立たずだったのが原因なのかもしれない。
「勇者としては強くは無いのかもしれないが、改人としてはかなり強いのではないか?」
我ながらしつこいと思うが、これも任務だ。
「そうなんですかね……でも、やっぱり戦いませんよ。俺は静かな暮らしがしたいんです」
これ以上は止めた方がいいか。
これ以上しつこく勧めると、勇者召喚の情報を引き出すという任務のほうに支障が出そうだ。
狼ドワーフと戦わせるという任務が、情報を引き出すという任務より優先ということはあるまい。
そのうち勇者が狼ドワーフを倒しに来るだろうし、ここは諦めても良かろう。
「そうか……そうだな。喰われている連中には悪いが、助けるのは止めておこう」
「そうですよ、だって無理ですもん……」
本当に自信が無いのだな、この男は。
「そうと決まれば早く逃げよう。化け物の周りに肉壁が残っているうちにな」
「肉壁……ですか?」
そこに反応するのか、面倒な男だな。
「我々にとっては肉壁だろうし、化け物にとってはエサだな。人間だと思わない方が気楽だろう?」
もっとも私にとっては人間などいくら狼ドワーフに食われても、何の痛痒も無いが。
「いや、でも……人間だし」
ええい、せっかく私が気を使って『人間と思わない方が気楽だ』と教えてやっているのに、何でそこに引っかかるのだ!
「いいから急げ! 化け物がいつまでも肉壁で遊んでくれるとは限らんのだ! 肉壁に飽きたら本格的な虐殺が始まるぞ、その前に逃げよう!」
あの狼ドワーフなら、人間に化けている我々諜報員まで見境なく殺しかねんからな。
というかいつまでボケーっとしているのだ、この男は。
「どうしたシュンタ、早くしろ」
一点を見つめたまま、固まっているシュンタ。
いったい何を……。
「肉壁じゃ無いですよ」
まったく、そんなに私の助言が気に入らないのか?
「だったらそれでも構わん。せっかく逃げ遅れた間抜けな人間が時間稼ぎをしてくれているのだ、その間に早く逃げよう」
おっといかんな……間抜けな人間とか、少し本音が出てしまった。
「なんで軍は助けに行かないのかな……」
「助けには行ってるようだぞ、無駄なだけで」
「でも勇者なら……」
「そもそも人間国は民間人を守る気があまり無いからな、よほどの被害にならねば勇者は出てこないぞ」
「だったら民間人は、いったい誰が守るんですか?」
「誰も守ってくれないから、私たちは今逃げようとしているんじゃないか?」
「俺、戦ったら本当に勝てますかね」
何を言い出すかと思えば……。
「さっきそう言っただろう、絶対とは言わないが分の良い闘いにはなると思うぞ」
まさかと思うが、その気になってきたのか?
「逃げる人の時間稼ぎくらいは出来ますかね」
仕方ないからちょっと背中押してやろうか、任務だし。
「勇者が来るまで時間が稼げればもっといいかもしれないな」
「俺に出来るかな」
またそこに戻るのか、まったく面倒な……。
「出来なかったら逃げればいいだろう、恐らくシュンタの方が身体能力は高いはずだしな」
「そうか……無理そうだったら逃げればいいのか……」
私もこの面倒な任務から逃げたいなぁ……。
「一番良いのは倒すことだがな」
「倒す……」
「やってみて駄目なら逃げればいい」
「そうですね……」
「やれそうならやればいい」
「やれそうなら……」
「シュンタならできるはずだ」
「俺なら……できる」
「そうだ、やる前から諦めるな!」
「あぁ、諦めない……」
「逃げるのは一発殴ってからだ!」
「そうだ、せめて一発」
「民間人を守ってやれるのはお前だけだ!」
「そうだ、俺だけが!」
「行け! シュンタ! お前は正義のヒーローだ!」
「俺が……正義のヒーロー!」
「そうだ、お前は『悪の秘密結社』から唯一民間人を守ることが出来る、正義のヒーローなんだ!」
シュンタの目に、決意の光が宿った。
「おやっさん……俺、やります! みんなを守ります!」
「頼むぞシュンタ! みんなを守れるのはお前だけだ!」
「行ってきます!」
「おう! 行ってこい!」
うおおぉぉ!っと雄たけびを上げながら、シュンタが走ってゆく。
走りながらバッタ男に変身したシュンタは、一瞬で見えなくなった。
それにしても、今の会話のどこにやる気のスイッチが入る要素があったのだろう?
やる気になった原因がさっぱり解らない。
最近の若いもんは解らん。
これがジェネレーションギャップというやつか……。




