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97.5 とある国の会議にて

玉座は冷たかった。


先代が病魔に倒れ、急遽王位を継いでから半年。この場所で何度夜を明かしたことだろう。11歳、少女の身には重すぎる責務だった。


ろうは、そっと目を閉じ、大きく息を吐いた。冷たい玉座の感触が、肌を這い上がる。


先代の王が敷いた圧政は、この呉国を深く疲弊させていた。民衆の不満は頂点に達し、各地で暴動が頻発している。このままでは、国が内側から崩壊してしまう。


「大丈夫です、楼様」


背後から、優しい声が聞こえた。楼はそっと振り返る。そこに立っていたのは、幼い少女の姿をした鬼、巴蛇はだだ。彼女は常に楼の傍らに寄り添い、支えてくれていた。本当は、巴蛇自身が楼と契約する鬼、八岐やまたなのだ。しかし、自分が女の子だったばかりに、契約が果たせない。


「ありがとう、巴蛇」


楼は、差し出された巴蛇の小さな手をそっと握った。ひんやりとした感触が、楼の心を落ち着かせる。


今日は、重要な会議の日だ。隣国への戦争を決意した、その最終承認を行う場。


武将たちとの会議室の重厚な扉を、楼は自らの手でゆっくりと開けた。部屋の中には、呉国の精鋭たる十二支の契約者たちが、ずらりと並んで座っている。


最奥の席には、漆黒の装束に身を包んだ、痩身の青年、りくが、薄い笑みを浮かべて座っていた。彼が東の国から亡命してきたのは、つい先日のことだ。彼の存在は、呉国に新たな力を与えたが、同時に古参の武将たちとの間に軋轢も生んでいた。


「国王陛下、お見えになられましたか」


武将の一人が、恭しく頭を下げた。だが、その声には、楼が幼い王であることへの不満が滲んでいる。


武将たちの議論が始まる。彼らは口々に、東の国への侵攻の是非、そしてその戦略について声を荒げた。


「戮殿が申された『影刃乱舞』は確かに強力。だが、新参者の意見ばかりを鵜呑みにするのはいかがなものかと!」


そう言い放ったのは、巨躯を誇る男、猪突ちょとつだ。彼の背後には、猪型の鬼、蛮猪ばんちょの巨大な影が揺らめく。猪突の身体から、怒りに応えるかのように、微かな衝撃波が放たれ、周囲の空気を震わせた。


「フン! 臆病者め。外に敵を作るのが一番だと、貴様が常々申しておったではないか、千眼せんがんよ!」


猪突の挑発に応じたのは、冷静な顔つきの長身の男、千眼だ。彼の瞳は鋭く、まるで遠くの獲物を射抜く狙撃手のように、猪突を見据えている。彼の肩には、鳥型の鬼、迦楼羅かるらが羽根を休めている。千眼の視線が向けられた瞬間、部屋の照明が僅かに揺らめいた。


「黙れ、猪突。無益な争いは避けるべきと、我は常に言っている。この国の民はこれ以上疲弊させてはならぬ。剛力ごうりき、貴様もそう思うであろう!」


千眼の声は静かだが、その言葉には有無を言わせぬ響きがある。彼の隣に座るのは、筋肉質な体躯の寡黙な男、剛力だ。その体から、岩のような堅牢な気が発せられている。剛力は、無言で頷いた。


「この期に及んで、内輪揉めとは見苦しい! 国王陛下の御前だぞ!」


そう言って、席を立つのは、雷光を纏う剣士、迅雷じんらいだ。彼の動きは、一瞬にして周囲の空気を切り裂く。雷虎らいこという虎型の鬼の気配が、彼の背後で高まる。迅雷の言葉に、剛力が静かに立ち上がった。彼らがもし衝突すれば、この会議室は一瞬にして破壊されるだろう。部屋に、張り詰めた空気が満ちる。誰もが唾を飲む音すら聞こえそうだ。


怒号が飛び交う中、戮はただ静かに、愉悦に満ちた笑みを浮かべていた。彼の姿は、まるで影のように部屋の暗がりに溶け込み、その存在感が希薄になる。


「何をにやけている。 死にたいのか?」


猪突が、殺気を込め、戮を睨みつけた。蛮猪の気配が、一際強く膨れ上がる。


「ホウ。殺せますかな?」


戮は、微動だにせず、挑発的に笑い返した。

彼の瞳の奥に、昏い光が宿る。

部屋に、室内が殺気で満ち溢れ、空気が歪む。

肌を刺すような冷気が、楼の幼い体を震わせた。


この男にとっては、こんな状況すら「遊び」なのだ。楼は、そう思った。


やがて、武将たちの視線が一斉に楼に集まった。彼らは、幼い王の裁定を待っている。


「楼様、我々はこの戦、いかようになされますか」


武将の一人が、挑戦的な視線で楼を見つめた。楼は、巴蛇の手を強く握りしめた。


この戦は、民の血を流すことになる。だが、このままでは、呉国は内側から崩壊する。どちらを選んでも、苦しみが伴う。


楼は、胸の奥底にしまい込んだトラウマを押し殺し、震える声で、しかし、はっきりと告げた。


「……東の国への侵攻を、認める。全ての兵を動員し、東大陸の統一を目指せ」


楼の言葉に、武将たちは一瞬静まり返った後、一斉に頭を下げた。


「はっ! 御意に!」


武将たちが会議室を後にする。重い扉が閉まり、再び玉座の間には楼と巴蛇だけになった。


玉座に深く沈み込み、楼はそっと問いかけた。


「……これで、本当に良かったのかしら。巴蛇」


幼い声が、静かな部屋に木霊する。


巴蛇はそっと楼の後ろに回り、その小さな体を抱きしめた。ひんやりとした感触が、楼の背中に伝わる。


『大丈夫です。きっと、うまくいきます』


巴蛇の声が、楼の心に直接囁きかけた。それは、鬼が契約者に送る、絶対的な肯定の言葉。


しかし、楼の心には、まだ拭いきれない不安が渦巻いていた。この決断が、本当に呉国に「完璧な世界」をもたらすのだろうか。それとも、さらなる地獄への扉を開いてしまっただけなのだろうか。


幼い楼には、何一つ確証を得ることは出来なかった。

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