ガルシアの母
「父さんは今居るか?」
父の城に戻ったガルシアは外用コートを侍女のノルンに脱がされながらそんなことを聞くと彼女は首を振った。ノルンは以前ガルシアが居た時から雇われている使用人であり、ガルシアの見た目と大きくかけ離れた態度に驚いたりはしない。
「旦那様は今は会合中で御座います。現在いらっしゃいません。もう間も無く帰って来られるかと」
突然の帰郷だ。ガルシアも直ぐに会えるとは思って居なかったので何とも思わずに了承する。
「そうか。ならば母さんと会おう」
永らく外の寮で暮らしていた息子が父に会えなかったので母と再会する。そんな何でもない出来事に対するノルンの反応は顕著だった。ノルンは一瞬目を開くと言葉を無くし硬直する。
「……ッ!!それは……。会わない方が宜しいかと」
漸く再起動したノルンが発したのはそんな言葉だった。珍しく自分の意見を言うノルンをガルシアは睨み付ける。
「何時僕が君の許可を必要としたんだ?帰省した息子が母と会うのがそんなに不思議か?」
ガルシアの天使の様な顔が怒りに歪む。その闇の様に深い蒼の瞳に気圧されたノルンは1歩後ずさると慌てて頭を下げた。
「いえっ!!申し訳ありません!!出過ぎた真似を致しました!!」
いっそ可哀想な程頭を下げるノルンにガルシアは舌打ちをした。
「分かれば良い。それと、僕に2度と同情するな。虫酸が走る」
先程の反応から侍女の同情心を素早く嗅ぎ取り、怒りをぶつける。ガルシアに取って見れば羨望されこそすれ同情されるなど冗談ではない。ガルシアは自分で自分を有能だと確信している。彼としてはそう理解しない周囲こそが理解不能であり、怒りすら覚える。相手を自分の下に位置付ける同情などもっての外だ。
「かっ、畏まりました」
狂った様に頭を下げるノルンに溜飲を下げると本来の目的を思い出し、彼女に告げた。
「では行ってくる。暫くは人を近付けない様に」
「畏まりました」
ノルンは一瞬躊躇った後苦虫を噛み潰したような顔で最後にもう一度頭を下げた。先程までの様な気忙しい物ではなく、相手を想った真摯な姿勢でのお辞儀。そして最後にこう付け足した。
「では“気を付けて”行ってらっしゃいませ。坊っちゃま」
気を付けて、の部分に力を入れた侍女の見送りにガルシアはフンッ、と鼻を鳴らして答える。彼に取ってみれば同情も、心配も無用なことである。全ての物がガルシアより劣り、同情される側であることを自覚すべきだとさえ思っていた。ただその心配が強ち間違いでないことが彼を余計に苛立たせた。
その苛立ちを強く踏み締めることで紛らわしながら母の部屋へと向かう。南向きの一番陽当たりの良い部屋。そこは本来子供部屋となるべき場所の筈だったが、母の“療養”の為にその部屋があてられることになった。ガルシアは長い廊下を歩きその部屋の前で立ち止まると軽く一息吐くとノックした。
「はぁーい。貴方。早かったのね」
返答は直ぐに有った。だが、どうやら部屋の主はガルシアを父親であると勘違いをしているようである。そのことに対してガルシアは気付いて居たのだが、どうドアを開けさせるかを考えていた彼としては好都合な勘違いであった為、態とその間違いを指摘せず、ただドアが開かれるのを待っていた。暫くしてドアが開かれる。蝶番がキィ……と微かな金属音を響かせ、そして親子は対面する。
「ヒィヤヤヤヤアアアア!!」
そして反応は劇的であった。ガルシアの母であるナディーン・フォン・メイスフィールド=パーラはドレスのまま見苦しく尻餅をつくと、そのままの姿勢で壁に背中が当たるまで後退する。
「た、助けてっ!!誰かーーー!!」
壁に突き当たったというのに未だに下がろうと意味もなく手を動かしながら人を呼ぶナディーン。その無様な姿にガルシアはその年相応の可愛らしい顔を苦々しく歪め、1つ溜め息を吐いた。
「はぁ、見苦しい。親子水入らずの会話だ。人払いはしておいたよ。母さん」
ガルシアの「母さん」という単語にナディーンはビクリと肩を震わせると、その震えを抑える様に自らの身体を抱き締める。
「何が母さんだ化け物めッ!!私の可愛い息子を返せッ!!お前みたいな化け物の何処が息子なものかッ!!」
まるで親の仇であるかの様にガルシアを睨み付けるナディーン。そしてこれがノルンが気を付けてと言ってガルシアを見送った理由だ。柔らかく言えばガルシアはナディーンから嫌われていた。まぁ、分からない話ではない。みるからに子供のガルシアが大人の様に言葉を話す姿はさぞ気味が悪かったことだろう。ガルシアは自分について他人がそう思うだろうということを知っては居たが、直す気は更々無かった。父も母も、ガルシアに酷く劣る生き物だ。その様な生き物に配慮して生きるなどガルシアにとって有り得ない行為だ。
「僕は間違いなく貴女の息子ですよ。ねぇ、母さん?」
ガルシアはナディーンの腹から産まれ、そのまま父母の下育った。これで息子でなくて何と呼ぶのか。ガルシアは化け物と呼ばれたことを鼻で笑う。
「私をそんな風に呼ぶなぁぁぁぁあああ!!」
ガルシアが何かが違うと思ったのは3歳になった春。一生懸命描いた似顔絵を父母にプレゼントした時のことだ。当時からガルシアは自らの才能に対して強い自負を持っていた。だがそれは今ガルシアが持っている他人を見下す様な形の物でなく、若い頃に有りがちな根拠のない自信にも似た無垢な物であった。
その似顔絵は既に幼児の域に無く、油絵の重厚なタッチは名の有る画廊の作品と言われても信じられる様な素晴らしい物であった。当然両親は一瞬血が凍った様に驚いたものの、直ぐに息子を誉めそやした。曰く「やはり神に祝福されているだけのことはある!才能が桁違いだ!神に感謝せねばな!」曰く「本当よ!凄いわ!私達の息子は必ず歴史に名を残す素晴らしい人になれるわ!これが神の才能よ!」
実の両親からの賛辞が雨あられと降り注ぐ中、賢い子供であったガルシアは気付いてしまった。彼らの誉め言葉は自分を通して神なる者に捧げられた物であることに。彼らのどこにも自分というモノが映っていないことに。ガルシアの努力すら神の名の下に抹消されていることに。
両親のガルシアを褒める声が急に遠くなっていくのをガルシアは感じた。全てが白くなる。世界が白(孤独)に塗り潰されて行く……。
その時ガルシアは生まれて初めて自らに才を与える真っ白な髪が鬱陶しくて仕方がなかった。その時ガルシアは生まれて初めて激しい感情を持て余した。それは自らを見ない者に対する怒りであり、見る目のない奴らに対する軽蔑であり、自らの才能に対する嫉妬だった。
髪さえ無ければ今彼らに愛されて居たのは僕だったのに。そう思う様になってからガルシアは視界に映る全てが色褪せてしまった。両親が優れた才能だと褒めるのも、女の子が綺麗な顔だと褒めるのも、侍女が驚き心から褒めるのも、全てがどうでも良くなった。
人が思い描くおおよそ全てを手に入れた青年はたった1つだけ最も大切な物だけが手に入れられなかったのだ。それは自らの両親の無償の愛。ガルシアは常に両親の目に少々の利益を望む視線が含まれていることを察した。そしてそのことはガルシアを大きく狂わせた。いや、元からその性質は持ち合わせて居たのかもしれない。それは“悪”の性質。
全てを赤ん坊の様に快、不快のみで判断し他人の事情や気持ちなど歯牙にも掛けず他に非情を強いて自らの目的を達成する。非常に残念なことにガルシアをそれを達成させるための財力や権力、純粋な暴力に優秀な頭脳を全て持ち合わせて居た。悪のカリスマの誕生である。
「ヒィヤヤヤヤ!その目で私を見るな!恐いっ!お前のその全てを呑み込む様な目が恐ろしいッ!!コッチを見るな化け物めッ!!」
ナディーンは何かのスイッチが入ったかの様に再び喚きだし、少しでもガルシアから距離を取ろうと壁に身体を押し付けていた。
「何と愚かで、無様で、醜く、はしたないのだろう……」
ガルシアは一言一言刻む様に一歩一歩ナディーンに近づく。それに恐怖したナディーンは咄嗟に近くに有った枕をガルシアに投げ付ける。
「来るな!来るな来るな来るな来るな来るな来るな来るな来るな来るな来るなぁっ!!化け物めッ!!」
来るなの一言毎にガルシアに向かって色んな物が飛ぶ。ハイヒール、毛布、シーツ、櫛、香水の瓶、口紅、くすんだ鏡、ドレスに付いていた宝石、引きちぎった首飾り。しかし、ガルシアはさしたる痛痒を感じない。元々が筋力の弱い女が投げた物であったし、ガルシアならば魔法で弾くことも容易い。
ガルシアは投げる物が無くなりただ後ずさろうと壁に身体を押し付けているナディーンに顔を近付けるとニッコリと笑った。ガルシアのその笑みはそれはそれは天使の様に美しい笑みだった……。
「これから毎日会えるね。母さん?」
「ヒィヤヤヤヤヤヤヤヤ!!」
ナディーンの悲鳴は城内に大きく響き渡った……。