少年の憂鬱
祝福の髪という物がある。一片の色を感じさせない白色の髪。その髪を産まれ付き持つ者は神に気に入られている証だ。その証拠にその髪を持つ者は多くの才に溢れ、天使すらも嫉妬する美貌を持ち、そして運に恵まれていた。おおよそ人が望む物を持って産まれてきた少年。ガルシア=パーラは良く手入れされた自身の真っ白い髪を一房摘まみながら呟いた。
「何て下品な色だろう。こんな髪の色は嫌いだ。誰かの施しを受けるなんて冗談じゃない」
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レングは木っ端貴族の3男という地位にある程度満足していた。 将来は大抵の場合家を追い出されることになるだろうことは知っては居たが、特に貴族で居ることに対して拘りが有る訳でも無かったので、貴族にでもなって夢に割く時間が減るのが嫌ということでむしろ喜びさえした。
レングの夢は絵描きだった。幸い誰もが将来大成するだろうと確信する程度の才能も有った。ただ、その若さに少々の難が有った。その明らかな才能がレングを蝕んだのだ。自らの才能に対して強い自負を持ったのだ。同年代に自分を負かせる奴は居ないだろうとそう思うようになった。
その慢心という名の毒の親は父に頼み込んで貴族学院へ行ったことでより大きくなった。通常、木っ端貴族の3男であるレングに大層な教育など要らないのだが、その絵の将来性を見て取った父親が絵に関する授業だけならばと出世払いで許可してくれたのだ。幸運なことに国で最高峰の教育が受けられることになったレングは期待を胸に貴族学院へ特例入学を果たす。
そこで見たのは現実、同様の理由で同じ美術の授業を受ける者のレベルがあまりにも低すぎた。同じ授業を受ける年が幾つも上のはずの同輩が絵とすら呼べないガラクタしか量産しなかった。その者らに合わせてゆっくり進行する授業が堪らなくつまらなかったのである。万能感にも似た優越感からこの場所に学ぶことなどないとさえ思う様になった。
絵が好きだったレング授業に出ることさえしなくなり、新しく描いた絵を先生の所へ持っていき、指導してもらうという平坦な道を歩く様になった。
そんなある日のレングは新しく描いた絵を先生へと見せる為、美術棟を覗き衝撃を受ける。
そこには真っ白い髪に天使の様な顔をした少年がキャンバスへとその白磁の様なすべやかな腕で筆を走らせていた。その光景は夕陽に照らされ浮き出た陰影も相まってまるで1種の絵画の様だった。
絵にばかりかまけ、切磋琢磨する友を持たなかった弊害か、風景画ばかり描いていた自分がおおよそ初めて人を含めたこの光景を描いてみたいと思い起こした。声を掛けようとして、漸く自分が知らぬ間に息を飲んで呼吸が止まっていたことに気付いたレングは深呼吸をして話し掛けようと近付く。
そして少年が描いていたキャンバスが目に入った途端、またもや衝撃が走る。
感想は無かった。ただただ感動した。本物の絵はこういう物なのだと完全に理解させられた。
少年の視線の先に在る丘がキャンバスの上では戦場へと変化し、精緻に描かれた人物が威光を背負って降臨した神に向かって武器を捨て、頭を垂れる。
単なる宗教画の様にも見えるが、その見事さはそういうジャンルを飛び越え、見る者を自然と平伏させかねない魔力と言うべき物を備えていた。改めて少年を見れば6才か7才程の年でしかない。正しく天凜と呼ぶに相応しい才であった。神童、その一言に尽きる。
比して自分はどうだろうか。自分の丸めた絵を開けば一山幾らの風景画。目新しい技法も、迫力も、全てが目の前の少年の絵に著しく劣っている。レングはこの程度で暗に自慢していた自分を恥じた。この絵が天を覆う程に巨大に見え、反対に自分と自分の絵は豆粒の様に思えたのだ。自らの慢心を打ち砕いてくれたことに感謝など出来ず、ただオロオロと心の整理が着かぬままに、時が過ぎ去るのをただじいっと感じるのみであった。
永遠の様な一瞬が過ぎた後、漸く後ろにレングが立っていたことに気付いたのか少年が少々驚いた顔をした。
「ああ、気付かなかった。直ぐに外す、次に使うと良い」
まるで大人の様な喋り方をした少年にレングは少しほっとした。これがもし、年相応の喋り方をしていたらレングはきっと取り乱していたことだろう。レングの中では既にこの少年は辺境に出没する魔物や怪物の様に感ぜられていた。その怪物が子供の様に振る舞おう物ならその恐ろしさに震え上がって居たことだろう。レングはもう止めてくれと思った。正直もうこれ以上の衝撃に耐えられる自信がなかった。これ以上の辱しめを受けたくは無かった。
そんなレングの懇願にも似た思いは天に届くことはなく、祈りも無駄に終わった。
少年は何とその誰が見ても最高峰と口を揃えて言うだろう名画を、あろうことか乱雑にキャンバスから外し始めたのだ。少年の余りの暴挙にレングは思わず言葉を無くし、その大罪の一部始終を黙って見逃してしまった。
「空いたよ」
少年は何でも無さ気にそう言うとその手にしたどんな宝石より価値があるその絵をあろうことか無造作にごみ箱へと突っ込んだ。
「ヤメロォ!!」
思わず大声を出したが間に合わず、というよりは少年は気にも止めずそのままごみ箱へと突き入れる。まるで我が子が殺されでもしたかの様にどたどたとごみ箱に駆け寄るとその名画をゴミの山から救い出して、紙に付いたシワを何べんも何べんも広げて元に戻そうとする。しかし、努力は実らずあえなく完璧造り上げられた神の絵は壊れてしまった。その事実にレングは目尻に涙を浮かべ、歯が砕けんばかりに歯軋りをし、指が掌を突き抜ける程強く拳を握った。今は悲しむよりも先にまだすることがある。そう自分へと言い聞かせて悲しみを飲み込み、この惨状を造った犯人をキッと睨み付ける。
「どうして!!こんな酷いことを!!」
「おかしな奴だな。作者が自分の作品をどうしようが勝手だろう」
のうのうと言い切った少年にレングは更に怒りの炎を燃やす。
「絵に失礼だろうが!!なぜこんなことをした!!」
「別に絵に興味なんかない。どうなろうと知ったことか」
その言い分に思わずレングは絶句してしまった。これがまだこの絵に作者しか分からない欠陥が有って捨てたのであれば異才、鬼才の所業として納得は行かないが理解だけは出来る。だが目の前の少年は何と言った?絵に、興味が無い?これだけの絵を描いておきながら?何故だ!?何故これだけの才能が有りながら絵に無関心で居られる!何故こうまでも絵を侮辱出来る!レングは悔しさで目の前が真っ赤に染まった。
「絵に失礼だと言うのならもう描かないよ。どうせ暇潰しにやっていただけのことだ」
そう言うと少年は悠々と部屋を出ていった。レングは悔しさと怒りで一晩中泣き続けた。
もう、絵は描かないと決めた。
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美術棟を出て普通校舎へとガルシアは入って行く。これに関しては何の目的も無く、単に先程青年に暇潰しを潰された為に手持ち無沙汰だったからに過ぎない。時間的には後少しで週末の迎えの馬車が来る筈なので流石に見付かりはしないだろうと踏んでのことだ。
「こんな所に居たのか!探したんだぞ!ガルシア」
しかし、ガルシアの推測は珍しいことに間違っていた様だ。前方から青年が腰に手をあて怒っていることを全面に出しつつ仁王立ちしていたからだ。ガルシアは思わず舌打ちしそうになったが何とか抑え、しかしそれでも渋面を目の前の青年に叩き付ける。
「態々御足労頂きまして申し訳御座いません公爵殿下。何処ぞの馬の骨に絡まれておりました。何かご用が御座いましたか?」
口調だけは丁寧ながら明らかに嫌そうな顔を向けるガルシアを見て青年はしょうがないなと言いながらガルシアに近付くと、頭の上に手を置いた。
「もう、デアルで良いって言ってるだろ?それに敬語も要らない。後、人のことを馬の骨なんて言うんじゃない。悪い言葉だからね」
デアルと名乗る青年はガルシアを諭しながら頭を撫でる。その思いの外強い撫で方にされるがままに首がまだ据わってない赤子の様に持っていかれてしまう。
「それで、何か用ですか?」
ガルシアは何かにつけて自分に会いに来るこの年の離れたデアルが嫌いだった。血の繋がりもない。伯爵と縁を繋いだ所で一生王家のスペアである公爵にはあまりメリットもない。であるのに自分に関わって来ようとするこの青年の意図が分からなかった。身を削ってまで人に優しくし、他人に尽くす様が理解不能だった。ガルシアは何よりこの太陽の様な男が、自分の髪の色と同じ位嫌いだった。
「敬語……。まぁ、良いか。順々に慣れていけば。別に、用という訳じゃないが……。今日で帰るって話じゃないか!どうして言ってくれなかったんだ!言ってくれれば送別会でも開いたのに!」
ガルシアはだから言わなかったんだ、という趣旨の言葉を辛うじて飲み込んだ。ガルシアの優秀な頭脳を駆使せずとも、デアルがそんな疲れるだけのことをさせようとする下らない未来が見えたからだ。
「結構です」
「大体、夏の長期休暇までは日にちがまだ残っているぞ?1回生で初めての寮生活で疲れるのは分かるがちゃんと授業は受けなきゃダメだ。授業に付いていけなくなるし、学院生活にも支障が出てくるからな。社交界に出た時の評判も悪くなるぞ」
ガルシアは自分が無視されて居ることに少々腹が立ったが、そこは自身の度量で抑え込む。このデアルという男はそういう男だ。今更腹を立ててもしょうがない。
「許可は学院長より頂きました」
本当は先に長期休暇に入る訳ではなくたった今辞めて来たのだが、敢えて言う必要はない。もし言えばまたデアルが騒がしくなるのは目に見えている。案外ガルシアが思うよりも辞めるのは簡単だった。ガルシアとしては地位が伯爵後継ぎという地位だけにもう少しごねる物とばかり思っていたのだが、賄賂と書類整理のみと簡素な物であった。
「そうか。それなら仕方がないな……」
特に悲しいことなど無かろうに悲しそうな顔をするデアル。そんな所もまたガルシアがデアルを嫌う理由の一つである。そんなデアルともう会わなくて済むかと思うとガルシアは晴れ晴れとした気分となった。
「では、そろそろ迎えの者が来ますので失礼させて頂きます」
ガルシアはデアルに向かって慇懃無礼に頭を下げる。本当は迎えが来たら学院の者が教えに来る手筈となっていたのだが、別に律儀に守らなければならない類いの物ではない。ならばデアルを視界から消す為に早めに移動しても罰は当たらないだろうとガルシアは考えた。
「そんなに直ぐか……。長期休暇明けに待っているぞ。先生方も心配する」
それは嘘だろうとガルシアは一瞬で確信した。何故ならガルシアは先生方から好かれないのだ。いや、これは表現としては婉曲が過ぎる。率直に言えば盛大に嫌われていた。これはガルシアの性質に由来する。ガルシア=パーラは学院一の問題児だ。といっても勉強が出来ない訳では決してなく、その逆。ガルシアは子供離れした大人顔負けの思考能力、そして知識を備えていた。
先生というのは教え子が優秀であればあるほど可愛く映る。しかし、それは自らの教えられる範疇にあれば、という条件付きだ。範疇にあるのなら自分が教えたと胸を張れることだろう。教えれば教えるだけスポンジの様に吸収していくのなら快感すら抱くだろう。だが、その生徒が自分より遥かに実力が上だとしたら?教えることに意味はなく、自らの間違いでさえ指摘される。そんな可愛い気のない生徒を誰が好くというのか。特にこの学院で教鞭を取る者は皆超が付く程の一流である。国中で一二を争うその部門の専門家であり、国を飛び出しても一目置かれることは間違いない。そんな自分が6才かそこらの者に自らの専門分野で遅れを取るのである。それこそ悪夢の様であった。故に仮にまだ学院に通うとした所でガルシアのその優秀な頭脳を持ってすればデアルの言った様に授業に付いていけなくなるなどということは有り得ないのだ。
「では、また会える日を……」
来ないことを祈っていると心の中で続けたガルシアとは違い、デアルは本当に残念そうに別れの挨拶をした。
「ああ!待っているぞ」
見るのも嫌とばかりにくるりと身を翻してスタスタと門に向けて歩き出すガルシア。デアルに聞こえない所まで来たのを確認するとボソリと呟いた。
「僕も残念だよ。君をこの手で息の根を止められないのはね。さようならだ。本当に……」