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第4話 再会と楽園のあれやこれ。

お久しぶりです。なんとか生きてます。

 

 爽やかな風が体をすり抜けていった。耳元で葉の擦れ合う音がして、背中には柔らかな感触があった。わずかに土の臭いがするが、不快にはならない匂いだ。田舎のばーちゃんの家を思い出すような匂いだった。


 だんだんと意識が浮上する。ゆっくりと瞬きを繰り返して、木の葉の隙間から差し込む眩しさに目を細めた。翳した指の合間から溢れた光は真上にあった。ちょうど、昼時なのだろう。心地よい暖かさに包まれながら体を起こし、自分の両手を見下ろした。


 ……どうやら、無事に転生できたようだ。何度か掌を開いたり閉じたりして、どこにも不調がないことを確認すると、今度は自分の姿に目をやった。やはり、あの花畑にいたときと同じように制服姿のままである。さっきまでと違うのは、そばに俺の鞄が転がっていたことだろうか。手を伸ばし、中身を漁ってみたが特に変わったことはない。何の変哲もない、ただのリュックサックである。


 今度は周囲をぐるりと見渡す。辺り一面が草原だった。俺がいるのはその草原の中でも小高い丘になっているところで、背後には大きな木が一本だけある。周りには何もなく、動物も見当たらない。少し離れた所には森が広がっているのが見えたが、町や川などは見つからなかった。


 寝起き直後のぼやけた頭を覚醒させるために、リュックに入れたまま手付かずだった、水筒の中の麦茶に手を伸ばす。通り魔に襲われた日の朝に淹れたものではあったが、水筒を軽く揺すると、カロン、コロン、と小気味のいい音が鳴る。


 蓋を開けて中身を見ると、そこそこ大きな氷の塊が二つ。小麦色の中でゆらゆらと漂っていた。最後に飲んだときと変わらない大きさだ。恐る恐るコップに注ぎ、口に含めば、ひやりとした液体が喉の奥を滑り落ちていく。香ばしい麦の風味が鼻を抜けた。うん、普通の麦茶だ。

 秘書子さん達の所に結構な時間いたと思うが、時間の経過とか、そういう概念とかがないのかもしれない。難しいことはわからんが。コップを煽り、一気に飲み干して息をつく。 


 本当に、異世界に来たのだろうか。その感覚がどうにも薄いが、胸を突き刺したあの痛みは本物だ。あの瞬間を思いだし、背筋がぞわりと粟立った。きっと、顔も青ざめていることだろう。二の腕にまで広がった鳥肌をさすっていると、不意に背後で物音が聞こえた。草を踏みしめたような音だ。


 動物か、あるいはファンタジーでありがちなモンスターの類いかもしれない。自分が丸腰であった事実に絶望を覚え、いざという時に投げつけて目眩ましがわりにしようとリュックを持った。そして音を立てないよう、ゆっくりと木の後ろ、音をした方を除き込む。


 そこには、真っ白な少女が横たわっていた。雲のような柔らかな髪は、草原に散らばっている。木漏れ日に当てられた肌は陶磁のように白く、滑らかだった。触れれば壊れてしまいそうなほどに華奢な体は、分厚い制服で覆われている。


 整った顔立ちの、美しい少女がそこにはいた。見知った顔が、そこにはあった。

 ただ眠っているだけなのか、目立った起伏のない胸が、緩やかに上下している。淡い桃色の唇が、静かに呼吸を繰り返している。


 その安らかな寝顔を見たとき、何とも言い難い感情が込み上げた。急に胸が締め付けられるような痛みが走って、目頭に熱が集まる。安堵していたのだろうか。それとも、悲しかったのだろうか。何に、とは自分でもよく分からなかったが、思い当たる節はいくつもある。


 未だに痛む胸を鷲掴んで、うるさい鼓動を刻む心臓を黙らせ、目頭にたまった雫を強引に拭った。

 そして彼女のーーー愛穏のそばに膝をつく。起こそうと決めた手は、情けなく震えていた。怖いこととは無縁だとも言いたげな、穏やかな顔を見て、また目頭が熱くなる。


 わずかに歪む視界でも、彼女から目を反らすことなく、その姿を焼き付けた。ただ、その声が聞きたかった。あの気の抜けた声で、俺の名前を呼んでほしかった。本当に彼女がここにいるのだと、思わせてほしかった。 


 指先が触れる直前。愛穏の唇がわずかに開いた。喉が震え、小さくうめいている。

 愛穏、と、小さく彼女の名前を呼んだ。俺の声に、長い睫毛がふるりと揺れる。


「……愛穏、起きろよ」


 知らず知らずのうちに、口元は緩やかな弧を描いていたのが自分でもわかる。こんなにも穏やかな、慈愛を含んだ声が出せたのだと、自分の新たな一面を知った。

 愛穏の口が開く。そして、鈴のような愛らしい声が聞こえた。

 

「……アイアンた~ん……ふへっ……デュフフフフ…」

「やべぇ、こいつ寝言もガチでやべぇ」

 

 最早俺の手に負えなくなってきているぞ、このなんちゃって美少女。かわいい声でかわいくないこと言い始めたぞ。胸の痛みも涙も感動もすべて引っ込んで、もはや菩薩のような悟り顔で彼女を見つめていた。行き場をなくした手を、何事もなかったかのように愛穏の肩に置き、彼女の体を数回ほど揺さぶった。よく見れば口の端から涎が垂れていた。なにも見なかったことにしておこう。


「……おい愛穏、アーイオーン、起きろ」

「おろかなり…なんぴとたりともわがしこうのねむりをさまたげることなどできぬわぁ…」

「そうか、じゃあネット上でお前の性癖暴露されてもいいなら寝てろ」

「起きた!!超起きた!!だから社会的抹殺案はやめてくだされッ!!」

「おう。おはよう」

「朝から冗談キッツいでござるよ…おはよう雄司、今日の朝食(あさげ)はなんでごるか?拙者としては今朝の献立は雄司いいいいいいいっ!?!?!?!?」

「おい愛穏、俺はメシじゃねーぞ。失礼なやつめ」


 やれやれ、と肩を竦めれば、勢い良く起き上がった彼女は俺の体をぺたぺたと無遠慮に触っている。胸の辺りをさわっては真顔になり、「うっわ……ゴリラ……」と小さく呟いたのを俺は確かに聞いた。そしてがっつり揉んでいるのも見た。男の胸を無闇に触るんじゃあない、と彼女の額に手を当てて引き剥がす。


「いや、ゆう、なんっ、えっ、生きッ…!?いいい、生きてる!?雄司生きてる!?雄司生きてる!!うわあ!!雄司生きてる!!」

「うわあってなんだよ、うわあって。俺はGかこの野郎。まあとりあえず落ち着けよ愛穏。落ち着いて餅つこうぜ」

「うわあ!!このくっだらねーギャグセンス雄司だぁ!!雄司以外ありえない!!うわあああああ雄司いいいいいいい!!雄司が生きてたあああああっ!!うわあああああ!!」

「お前今さらっと失礼なこと言わなかったか?言ったよな?あっ、おいバカ、やめろ、鼻水まみれの顔で俺に近づくんじゃね……やめろ離せ!!あっなんか背中が湿って……うわあああああ!!抱きつくなあああああああ!!!」


 愛穏が背中に抱きつく。その涙と鼻水とよくわからない体液まみれの顔は、美少女とはまるでかけ離れた不細工顔であった。百年どころか一万年の恋も一瞬で冷めるレベルだ。


「ウ"オオオオオオン!!ぶえええええ!!ゆ"う"じいいいいいいい!!ぶばあああああ!!びばああああああ!!ゆうううううううじいいいいいい!!ぎゅうじいいいいいいい!!」

「やめろ!!その奇声はもうやめろ!!お前唯一の取り柄自分から汚水に投げ捨ててるぞ!!」

「いやだ!!もうはなさない!!」

「だからってズボンを引っ張るんじゃねーよ!!おい、脱げる!それ以上は脱げるから!!俺が社会的に死ぬから!!」

「うわああああああゆぅぅうじいいいいいいい!!じなないでえええええええええええ!!!」

「離してええええええええ!!!」


 そんなこんな、俺たちの押し問答はかれこれ5分は続いた。モヤシも本気を出せば、男の身ぐるみくらい剥がせるのだという事実も知ったが、正直本気で知りたくなかった。最終的にスタミナ切れで引き剥がせたが、何が悲しくて貧弱モヤシにマウントを取られ、怪我の確認だと叫ばれながら全裸に剥かれそうにならなければいけないんだろうか。


 ほろりと流れた涙は、なぜだかいやにしょっぱかった。



 噎せかえるような、甘い香りがした。白い花びらが雪のように舞っている。その合間を蛍火のような無数の光がすり抜けて、空に融けていった。その楽園のなかに、二人の男女だけがいた。


 ふと女の方が、長いため息をつく。憂いを帯びた眼差しが、ぼんやりと空を見つめていた。彫像のように美しい顔がひどく困憊しているのは、誰が見てもすぐわかる。隣で、豪奢な椅子に腰掛けた男が声をかけた。二人の目の前には、羊皮紙で作られた巻物が山のように積み上がっている。


「……大丈夫かい?」

「大丈夫に見えるのならその目玉、交換することをオススメするよ」


 じとり、と空色の目が男を射抜く。視線だけで人が殺せそうな眼差しに、男は情けない声を漏らして縮こまった。その姿に、再び女がため息をつく。言いたいことは重々承知していたので、目の前の山を減らすことに意識を割いた。


 そうやってしばらく筆を走らせていると、向かいのテーブルで同じように作業していた女が、何かを思い出したように口を開いた。


「そういえば彼、もう着いた頃かなー」

「…………あー、例の?」


 そうだ、と小さく頷いて頬杖をつく。事務処理はしばし休憩だ。クッキーを頬張れば男が羨ましそうな顔で眺めていた。完全に無視して二枚目を口に放り込む。


「それと、例の「彼女」もねー」

「ああ、あの子ね……」

「そう、あの子も。再会は喜ばしいがいかんせん、我々の仕事が増えるのが難点だよねー。大半どこぞのサボり魔の弊害なのだがねー」

「そうそう、全く創造主殿もさー、厄介事ばっかりこっちに投げてくるのってホント迷惑だよねー。私情とかやめてほしいよねー」


 女の全力投球によって放たれた巻物が、男の顔に見事にめりこんだ。お前が言うなという突っ込みと殺意がこれでもかと込められた威力であった。あれは神も殺せる、と男は後に語ったという。閑話休題。


「まあ彼の希望は叶えたのだし、あとは本人たちでどうにか生きていけるでしょう。彼女の方は相当加護を受けているようだしー?……いや、創造主殿これちょっとやりすぎじゃ……まあいいか」

「あの腐れジジイ、基本自重しないじゃーん。自分のお気に入りにはとことん甘いっつーか、えこひいきっつーか」

「神々なんて大抵がそんなもんじゃあないかー。あとそれお前もな」

「ねえ今さらっとお前って言わなかった?」


 ははは、と乾いた笑い声をあげる。目が微塵も笑っていなかったので、これ以上の追求は危険だと本能が告げていた。


「神様なんて横暴で傲慢で身勝手なものさー。そんなこと、ワタシはよおく知っているよ」


 男は未だに空白の多い巻物に目を落とす。空白を埋めるために、指先は絶え間なく文字を綴った。彼女の表情は見えなかったが、女の独り言のような声を拾って黙りこくった。


 しばらく沈黙が続いた。どのくらいの静寂かは定かではなかったが、布擦れの音だけが鳴る花畑の空気は、いやに冷たいような気がした。

 その沈黙を破ったのは、男の方からだった。


 いいのかい、と彼は聞いた。感情の読み取れない声色だった。


 いいんだよ、と彼女は笑った。とても愉しげに弾んだ声色だった。


「だって、貴方が言ったんじゃあないか」


 クッ、と喉の奥に何かが詰まったように笑う。美しい彼女の顔には、おおよそ似つかわしくない醜悪な笑みが浮かんでいた。口元はまるで三日月のようで、耳元まで裂けていそうなほどにつり上がっている。



「生きることこそ地獄だと、ワタシに言ったじゃないか」



 静かな、無感情な声が楽園に響く。真っ黒な男は、布の下でわずかに微笑んでいた。


「そんなこと、言ったかなぁ」


 覚えてないや、とおどけたように答えを返し、肩をすくめて見せる。そうすれば女も、おなじように肩を落として笑った。とても楽しそうな声だった。そうしてひとしきり笑うと、また沈黙が広がった。


 花が散る。白い花弁が舞う。その隙間で蛍火が消える。

 落ちていく花の欠片を見つめながら女は思った。


 まるで誰かの流した涙のようだと、なんとなくそう思った。

 

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