くじら雲弐
更新、大変遅くなりまして申し訳ございません。
――― あれは、妖怪です。
「 …… 」
「 …… 」
何言ってんだコイツ。ほーら的場さんも無言になっちゃってるよ。そう思いながら的場さんの方を見る。
あれ。無言は無言だけどべつに引いてるわけじゃなさそう。もともと無口だから無言なだけか。それどころかなんか瞳がキラキラしてる?もしかして彼氏の発言にときめいてるのか。背筋を伸ばして立ち、自信満々にそう言い放つ月岡はまるで犯人を指さす名探偵のようだ。成績優秀な天才文学少年の大真面目らしいぶっ飛び発言についていけてないのは俺だけなのか。そう思って視線を月岡の方に戻した。月岡の顔がいつの間に至近距離にあった。思わずひっ、と声にならない悲鳴を上げてしまう。どうしてこいつは毎回、物音も気配も出さずに知らない内に至近距離にいるんだ。
「 …… 俺は別に鳥山石燕の子孫じゃねーけどさ。おまえは忍者の子孫か何かなわけ? 」
さりげなく月岡から身を引きながら、皮肉を言ってみる。しかし通じなかったのか、首を傾げなら 「 いいえ? 」 などと言っている。
「 …… それより鳥山君、なんかピンとこない顔をしてますね?アレが妖怪だということに 」
「 おまえそれマジで言ってるのか?当たり前だろ?妖怪なんてそんな…… 」
実在しねーよ、と続けるつもりだった。しかし何故かそれが声にならない。そんな俺を見て、月岡は何故か微笑みながら続ける。
「 鳥山君は、妖怪というのはどこから発生しどこへ去っていくと思いますか? 」
「 発生?去っていく? 」
「 ええ。いろんな考え方があると思いますし、正解も一つじゃないとは思いますが。僕は大半の妖怪は『 人の想いから発生し、想われることが無くなれば消える 』と思っています 」
「 なあそれ、結局妄想ってことだろ 」
そう、妖怪とはアナタの心の中に存在するのです!!
…… とか言いたかったんだろうか。それは結局「 実在してるわけではありません 」っていうのをオブラートに包んで言ってるだけだ。だが月岡ははっきりこう答えた。
「 いいえ。妄想とはまったく異なるものです。いいですか、妄想には実体はありません。けれど妖怪は実体を持っているか、少なくとも物理的なことに干渉する力を持っています。それと、妄想は個人だけのものですが妖怪の素となる『 想い 』は他人と共有することが出来ます。……そうですね、口裂け女なんかがいい例でしょう。鳥山君、口裂け女のことはご存知ですか? 」
「 ……ああ 」
社会現象にまでなるほど話題にされたのは数十年前。俺たちのじいちゃんやばあちゃんが子供のころだった時の話だ。けれど当時はよほど熱いブームだったのか、じいちゃんばあちゃんとある程度交流があれば一回は耳にしたことのある妖怪だ。
「 口裂け女の噂の発生、そして何故あれほど全国的に熱いブームになったかという理由については諸説ありますが、僕はこう考えています。最初はよくあるただの『 物語 』。現実に干渉するほどの力はなかった。けれどそれが発生する前後に、その物語により大きな説得力を持たせるような事件 ――― 口裂け女の場合で言えば整形手術の失敗がマスコミで取り沙汰されるようになったとか、精神を病んでいて顔にめちゃくちゃな化粧をしたまま病院を飛び出した患者がいたとか ――― が現実に起こった。それをきっかけとして地域での伝承、もしかするともっと小さな、たとえば子供を大人しくさせたい祖父母や両親のほら話程度だった物語が多くの人に語られるようになる。多くの人が語れば尾ひれがつく。中には秀逸なまでに説得力のある尾ひれも。説得力というのはその名の通り 『 力 』。エネルギーです。そういうモノが実在すると思わせる力。小さかった物語は何度も紡がれる力を蓄え、やがて現実に干渉することが可能になる。現実への干渉、つまり実体化です。この実体化したものが妖怪と僕は考えます 」
「 えーと。それこそ、その口裂け女の正体はおまえが言ったような病院を飛び出しちゃった患者とかであって。幽霊の正体見たり枯れ尾花みたいにさ、妖怪でもなんでもないものが、何かの間違いで妖怪扱いされてるって言うならわかるんだけど。月岡はそうじゃなくて、本当にそういう『妖怪』が存在していたって言ってる? 」
そう訊ねると、月岡は大きく頷いた。
妖怪は実在する。大真面目にそう言ってるのが月岡じゃなく他のやつだったら。俺は 「 またバカなこと言いやがって 」 と笑っただろう。あるいはその場のノリで 「よーしじゃあくじら雲が本当に妖怪なのか調査しようぜ! 」くらい言ったかもしれない。
けれど相手は、天才文学少年月岡だ。こんな非現実的なことを何も考えずに口に出すようには思えなかった。
だから、俺も少しムキになって食いさがる。
からかわれてるのかもしれない、と一瞬思った。だから論破してやりたいのだろうか。
「 じゃあ、今になってぱったり口裂け女を見なくなったのは?実在したのがいなくなったんだったら、死体ぐらい発見されたっていいんじゃないの? 」
違う。今になって思い返せば、俺はいつの間にかコイツに期待し始めてたのかもしれない。否定的なことを並べてぶつけてみても、コイツならそれを全部跳ね返して妖怪の実在を、強い説得力で肯定してくれるかもしれないと。
だって。
くじら雲みたいな存在がただの気象現象とは俺にも思えない。
それなら妖怪だって方が、面白いじゃないか。
そして、月岡はその期待を裏切らなかった。
「 生き物は肉体から産まれ肉体を持って生まれます。だから死んでもその肉体は残る。いずれ、分解はされますが。でも妖怪は『 力 』だけの存在です。肉体はありませんから、力が消えれば、何も残らない……というか、死の概念を当てはめることすらできません。実体化するほどの力を持てなくなった、つまりそこまで話題にされることが無くなったというだけで、また何かのきっかけで当時のように話題にされればまた実体化する。人々から完全に忘れられて、存在を記した記録もすべて抹消されるようなことがあればそのときだけは妖怪にとっての『 死 』になるかもしれませんが 」
「 じゃあ、今では記録じゃない口裂け女の影も形もないっていうのは 」
「 一言で言うなら、語られなくなったことにより実体化するだけの力を失ったからだと僕は思っています。で、鳥山君? 」
月岡は足元に並ぶ絵を一枚拾い上げ、言葉を続ける。
「 君は、さっきから色々言っていますが。余計な思考を差し挟む隙もない程のスピードでこれらの絵を描いていた。それなのに出来上がってみたらこんな絵になったのは、君の画家魂はあれが何であるかをちゃんと理解しているからです。そうですよね? 」
そう言うと、くるりと紙を回して絵をこちらに見せた。
そこには、気象現象のスケッチではなく生き生きと空を暴れまわる 「 妖怪くじら雲 」 がいた。