エリオの長い1日③
「マキ、君が恋しくて俺はホテルを抜け出してきたんだ!」
マキに会えた嬉しさから俺は思いの丈をぶちまけた。
「マキ、この出会いは運命だ!俺はもう君を離さない」
「ウェル……アイム ソーリー。アイ ドント アンダースタンド イタリアン」
え?今マキは何て言った?ひょっとして俺のイタリア語はマキに通じてない!?
「アイムソーリー」
やっぱりだ!!なんてこった!!こんなことならニコラみたいにちゃんと英語の勉強をしておくんだった。いや、ここは日本語の勉強か?
そうだ!日本語なら俺だって少しはわかるはず!
「えーっと……コンニ↑チハ↓」
「こんにちは……?」
違う!こんな事が言いたいんじゃない!
俺が言いたい事も言えないうちにギャラリーがどんどん集まってきた。さっきまで一緒にいたヤツらまで来ている。見せ物じゃないぞ!帰れ!
結局俺は思いを伝えられないまま、マキの隣りに座ることになった。思いは告げられなかったけれど、こうして隣りに座っていられるだけで心臓がスキップするように脈打つ。
そんな俺の幸せは家族の来訪でぶっつぶされた。
「エリオ!お前なにをしてるんだ!」
「ひとりでホテルを抜け出すなんて、どれだけ心配したと思ってるの!?」
「さあ、さっさと帰るぞ。皆さん、うちの息子が迷惑をかけてすいません。どうぞ授業を続けてください!」
みんな何を言ってるんだ?俺がどんな思いでここまで来たと思ってるんだ!
「さあ、マキにもさよならを言いなさい」
「何を言ってるんだよマンマ!彼女は俺の人生なんだよ!」
「言葉も通じないのにどうする気なのよ?」
「俺の愛は言葉の壁も人種の壁も越えるんだ!」
「何を言ってるんだい!?とにかく授業の邪魔になるから帰るよ!」
こうして俺は父さんと兄さんに連れられて大学を出ることになった。
駅まで行くスクールバスが出るのがまだだいぶ先なので、タクシーを呼ぶかどうか俺以外のみんなで話している。まあ、もうマキに二度と会えないであろう俺には関係ない話だ。くそ……クソッ!!
ぐぅぅううううう
突如俺のお腹からものすごい音がした。
「エリオ、あなた朝食はどうしたの?」
「……起きてから何にも食べてない」
「それじゃあどこかでおいしいものでも食べに行きましょ!エリオは何が食べたい?」
正直お腹は空いていた。だけどそれにつられてマキのそばから離れるのはとても嫌だったので、無視する事にした。するとバス停の近くにある守衛小屋から声がかかった。
「食事だったらそのゲストパスを見せれば、学校のカフェテリアを使えるよ」
おお!おっさんナイスアドバイス!ここは少しでも長くここにとどまって、家族を説得するしか道は無い!
「お腹空いた〜!もう待てない!ここで食べる〜!」
「あらあら、仕方ないわね。ニコラが普段どんなもの食べてるか気になるし行ってみましょうか」
「ああ。ニコラがアメリカの食事に毒されてなきゃいいんだが……」
そうか!この両親は溺愛するニコラのためならこの学校に残ると言い出すかもしれない!
俺は両親が食事を済ませて満足げにしているところで攻めの一言をつぶやく。
「料理はおいしかったけど、授業はちゃんとしてるのかな?」
この一言に父さんの顔色が曇る。
「確かに友達関係は充実してると言っていたが、授業の様子は何も教えてくれなんだな」
「そうね……。ねえ、午後からの授業を見せてもらうわけにはいかないかしら」
計画通り!
「いや、今日はボストンのディナークルーズを予約してある。キャンセルするわけにはなぁ」
「それは夕方の話でしょ?授業は3時頃に終わるそうだから、十分に間に合うわ」
「うむ、そういうことなら」
マンマ、ナイスフォロー!
こうして俺は午後も大学に残る事ができた。隙を見てもう一度マキに会いに行くんだ!
しかし愛が言葉の壁を越えると言っても、この年齢差でマキが俺を意識できないのでは意味が無い。やはり通訳の存在が必要か。
頭の中でいろいろ考えながら午後のニコラの授業を客席で見学する。といっても今は計画を立てるのに精一杯で、ニコラの歌を聴いてる余裕など無い。
兄さんの持ってきた英語のガイドブックに愛のささやき方が書いてないかと捜していると、天使の歌声が耳に届いた。マキだ!!
ステージの上を良く見ればニコラの隣りでマキが神々しく英語の聖歌を歌っている。なんて素晴らしい光景なんだ!やはり彼女は女神に違いない。
俺のため息に気付いたのか兄さんがこっちを振り向く。
「ずいぶんと入れ込んでるようじゃないか」
「だって彼女は俺の運命なんだ。諦められるわけないよ。ねえ兄さん、どうしたら彼女とまた話せるかな?」
「……仕方ないな。兄としてお前にとっておきの秘策を授けよう」
「エリオー!もう行けそうかー?」
「父さん……だめだ……止まらないよ」
そう言いながら俺はトイレに座りながら、自分の腕に口を当ててブビビっと音を立てる。
「アメリカの食事が合わなかったのかもしれんな……」
「父さん、エリオの事はニコラに任せてさ、俺たち3人だけでディナークルーズに行こうぜ。どうせエリオは食べられないよ」
「それもそうだな。ニコラ、後の事は任せていいか?」
「もちろん。みんな、ボストンの夜を楽しんできてね!」
ニコラ以外の家族が去って行った事を確認すると、時間が惜しくて俺はトイレをあとにする。
「エリオ、今ならマンマたちに追いつけるよ!」
「必要ないよ。だってここに残るために仮病を使ったんだから」
「なによそれ!?」
「兄さんがアドバイスしてくれたんだ。学校を抜け出して女の子とデートするときによく使ってたんだって」
「まったく、あのバカアニキは……」
おっと、こんなこと話してる場合じゃない。
「ねえ、ニコラ!マキに会わせて!さっきはイタリア語が通じなくて思いを伝えられなかったんだ!」
「はあ……今日だけだよ。明日からは絶対みんなに迷惑かけないでね!」
「ありがとニコラ!愛してるよ!」
というわけでマキを寮の談話室に呼び出して、ニコラの通訳付きで俺の思いを伝えてるのに、マキは困ったような顔をするだけだ。
「ねえ、ほんとに正しく通訳してる?」
「弟のこんな恥ずかしいセリフ訳したくないけどね。正しく訳した方が今後のためになるだろうから、できる限り正しく翻訳してるよ」
さすがはニコラ、頼りになるなぁ!
でもそうなると困り顔の意味がわからない。ひょっとして……やっぱりマキはあのルームメイトの女の子が好きなんだろうか?
「ねえマキ、こんなに言っても困ったような顔をするってことは、ひょっとして君にはもう心に決めてる人がいるのかい?」
僕の言葉を聞いた瞬間ニコラが意地の悪い笑みを浮かべる。ああ、こいつはマキがあの女の子を好きな事知ってたんだ!クソ、なんてこった、×××!
俺の言葉をニコラが訳そうとしたその時、話題の彼女がやってきた。古めかしいドレスをその身にまといながら。
「リアさん助けてください!」
彼女の姿を見つけたとたん、マキが駆け寄って抱きついた。
ああ、やっぱり……。誰かに説明されるよりはっきりと、マキの態度が彼女を愛していると物語っている。はあ、マキの嗜好がそうなら俺はもうきっぱりと諦めるしか無さそうだ。涙がこぼれそうだけど、必死にこらえて笑顔を浮かべる。せめて愛した人が俺を思い出す時、その顔は笑顔であって欲しいと思う。
みんなでソファーに座り、くつろいだ空気の中なぜか俺と彼女、えーっと、リーアだったかな?が話すことになった。
「マキとはずいぶんと仲がいいんですね」
「ええ、マキちゃんは私の親友ですから」
親友?恋人じゃなくて?あ、そうか!この恋はマキの片思いなのか!
「それじゃあそっちの人もリーアの親友?」
俺がヤツを指差しながら訊くと途端にリーアの顔が真っ赤になった。
「親友と言うか……なんと言えばいいんでしょう……」
困ったようにつぶやく彼女の言葉をニコラがニヤニヤしながら翻訳する。ニコラはよく俺たちの事を恋愛バカと言うけれど、俺からしたらニコラの方がよっぽど恋愛バカだと思う。
そんな俺たちの後ろでマキたちが何やら口論を始めた。ひょっとしたらどちらがリーアと付き合うのか揉めてるのかもしれないな。しかしこれはマキの問題であって俺たち男が横から口を挟んでいい問題じゃない。
「これはマキ自身の問題だろ。お前に口出しする権利があるのか?」
ああ、俺って大人だなぁ。さあニコラ、このスマートさに欠ける男に俺の言葉を訳してくれ!
「『お前はマキの何なんだ』って言ってるよ」
フフ、よっぽど俺の質問が応えたのか、狼狽えてマキに謝ってる。さて、俺は潔くこの身を惹くとしよう。ぐすん。
「ヘイ、エリオ!マキは俺の女だ。これ以上彼女を困らせるんじゃない」
ん?なんだって!?こいつがマキの彼氏?そんなバカな!!だってマキが好きなのはリーアであって……
「マキ、こいつが彼氏ってホントなの!?」
「エリオ、今まで黙っててごめんなさい。そういうことだから——」
あきらかな嘘だ!マキが好きなのはリーアに決まってる!
「マキの好きなのはリーアだろ!?それなのになんでシウが好きだなんて言うんだ!俺が子供だからか?俺はマキがレズビアンであっても嫌いになったりしないよ!そんな嘘つかないでよ!!」
子供扱いされ、嘘をつかれたと思ったら悲しくて涙が溢れてきた。今日1日でいったい何度泣いただろう。こんなに俺の感情を揺さぶったのはマキが初めてだ。そのマキに嘘をつかれたのだと思うと涙が止まらなくなってしまう。
「ニコラ、エリオは何て言ってるの?」
「え?その……えっとね、エリオはシュウとリアが仲良さげだから付き合ってると思ったんだって」
ニコラが英語で何か言ったとたん、リーアとシウが顔を赤らめてお互いをちらちら盗み見だした!
「お前マキと付き合ってるっていったその舌の根も渇かないうちに何見てんだよ!お前には女の子を幸せにする権利なんか無い!」
「今度は何て?」
「シュウはリアと浮気してるからマキと付き合う権利はないって」
俺の言葉をニコラが訳した瞬間、シウの顔つきが一気に変わった。まるで目の前で別人になったかのようだ!
「エリオ、君には俺とリアが恋人同士に見えたかもしれないけど、俺がこの世界で愛してるのはマキひとりだけだ」
嘘……だと思いたい。でもこいつの目は嘘をついてるようには見えない。ひょっとして二重人格ってやつか?
「実は最近マキとケンカしちゃってね、リアには仲直りの手伝いをしてもらってたんだよ」
ああ、なんだ、そういうことか……。相談に乗ってもらううちにお互いが意識しあう、イタリアでもよくあることじゃないか。
「マキ、君が他の男に言いよられてるなんて気が気じゃなかったよ。ずっと俺だけの女でいてくれ!」
くそ、こんな浮気性な男、マキには合うはず無い!……合うはず無いけど俺には2人に口出しする権利なんてない。
マキの表情はシウに隠れてよく見えないけれど、きっと今の一言で仲直りできたのだろう。シウがマキにキスしようとしている。俺は見ていられなくて右手で目を塞いだ。
次の瞬間!
「痛い痛い痛い痛いっ!!」
シウの情けない悲鳴が上がる。一方シウの腕をねじり上げたマキは、まるで舞うようにシウをカーペットに組みふした!
「ごめんよマキ!もう他の女に見蕩れたりしない!約束するよ!」
「ホントでしょうね?次やったらこんなんじゃ済まないわよ!」
「いぎゃっ!?」
2人のやり取りをニコラが翻訳してくれるけど、半分も頭の中に入ってこない。どう考えたって……今の技は……
「Ninja……」
「へ?」
「ニンジャー!!」
マキの正体は女神じゃなくてクノイチだったんだ!どうりで俺がこんなに惹かれるわけだ!今の体術もホントは見せちゃ行けないものなのかもしれない。見せた瞬間マキが困った顔をしたのを俺は見逃さなかったぞ!
はっ!ひょっとしてマキを含めこの3人とも忍者と言う事はないだろうか。気配の消し方や、こちらに気付いた洞察力をとっても並の人間じゃないことは確かだ!
「今のは忍者の体術だよね!?」
「えーっと、今の日本には忍者はいないんだよ?」
マキが苦しそうに言う。大丈夫、俺はその理由知ってるから!
「いないことにしておかないとダメなんだよね!俺マキたちが忍者だって誰にも言わないよ!!」
「マキ……たち?え、僕も?」
「私もでしょうか?」
「ねえ、マキ!マキが忍者だって事は僕たちだけの秘密にするから!だからお願い、さっきの体術教えてください!」
そういえばお願いごとをするときもDOGEZAは使えたはず!
「マキ、どうか!」
「やめて!頭を上げて、教えてあげるから!!」
こうして俺はこの日からマキ、いや、マスター・マキの弟子になった。
正直まだ好きだって気持ちはあるけど、そんな事言ってたらきっとマスターは俺に修行をつけてくれない。だからしばらくはこの気持ちを隠し続けようと思う。
そしていつか俺が一人前になった暁には——!




