エリオの長い1日②
空腹に耐えながらもう一度マキの部屋をのぞく。今度は2階から見えないように森の中、それもみっしりと葉の茂った木の上からである。こんなこともあろうかと、しっかりオペラグラスを準備してきた。忍者に抜かりは無いのである!
俺が森に隠れてる間にマキは既に起きていたようで、もうひとりの女の子と楽しそうに何か話している。いいなぁ、俺もあんな風にマキとおしゃべりがしたい。
そんなことを考えていたら何の前触れも無くマキがパジャマを脱ぎだした!え、俺こんなことしていいの!?ひょっとしてこれって犯罪じゃないか!?
緊張のせいか心臓がバクバク鳴りだし手が震える。手汗をかいていたのかオペラグラスが俺の手からするりとこぼれ地面に落ちて行く。『気付かれたらヤバい!』と告げる本能に、オペラグラスへ手を伸ばすが間に合うはずも無く、同時にバランスを崩した俺はオペラグラスと共に地面に落ちた!!
カハッ!背中を打ち付けて呼吸が一瞬止まった!すぐに起きなければと思うのに、体が上手く動かない。きっとこれはマキの裸を見た罸なんだろう。ここで見つかってマキに嫌われても仕方が無い事を俺はしてしまったんだ——。
いつ見つかってしまうのだろう。何と言って謝ればいいだろう。日本人に謝るにはDOGEZAをすればいいらしいけど、俺に正しいDOGEZAができるだろうか——。
そんな事を考えているうちに時間はどんどん過ぎて行く。幸いと行っていいのかどうか微妙だけど、俺が木から落ちた事に誰も気付いていないようだ。体の感覚が徐々に戻ってくる。手は?動く。足も?大丈夫だ。起き上がれるしどこも骨は折れていないようだ。おお、神よありがとう!もう二度とこんな事はいたしません。
これを最後に女性の部屋をのぞくのはやめよう、そんな事を神に誓いながら立ち上がると、マキの部屋に人の気配が増えていた。慌てて落ちていたオペラグラスに目をあてる。レンズの向こうにいたのは、さっき俺を監視していた日本人だった!
『俺の事をマキに報告しにきたんだ!』
きっと悪事はバレるように世界はできているのだろう。アイツの報告でマキが俺を蔑むことを考えたら涙がボロボロと溢れ出した。木から落ちた痛みには耐えられても、マキに嫌われる痛みにはとても耐えられそうにない!クソっ、どうしてこうなった!?
その場で泣き崩れていると、なぜかいい匂いがしてきた。
『人がこんなに悲しい気分でいるのに、こんなうまそうな匂いを振りまいているのは誰だ!?』
またあの日本人だった。なんだかおいしそうな匂いのするものをマキに渡している。ひょっとして匂いで俺をおびき出そうと言うのか!?卑怯な奴め。
いや、待てよ。何でアイツはそんな事をするんだ?マキに報告すればたちまち俺の罪は暴かれると言うのに。これはやつなりの「自分から出てこい」というメッセージだろうか!?
待てよ。ひょっとして……アイツ、俺がマキの部屋をのぞいてた事に気付いてないんじゃないか?そうだよ!もし俺がのぞいてた事をマキに伝えにきたのなら、きっと警戒して外を伺ったり、カーテンを閉じたりしているはずだ。ところがそんなそぶりは誰にもない。つまり、アイツはマキの部屋に朝食を食べにきただけだったんだ!!
その事実に気付いた瞬間、先ほどまで何かに握りつぶされていたような心臓が正常に脈を打ち始めた。そして空気が自然と体に入って来る。空気ってこんなにおいしかったんだ!まあ、空気じゃお腹は膨れないけど。アイツのお肉はずいぶんおいしそうだなぁ……
ハッ!もうのぞかないって誓ったのに何をのぞいてるんだ俺は!?こんな事が許されるはずが無い。でも……でも……
そうだ!これはのぞいてるんじゃない、あの男を監視してるんだ!女の子の部屋に押し入って食事をするなんて、アイツはきっと良からぬ事を考えてるに違いない!だから俺がマキをアイツの魔の手から守るために監視をしなきゃだめなんだ!
マキたちは食事を食べ終えると折り紙を折り始めた。今のところヤツがマキに手を出す気配はない。手元の折り紙を折るのに苦戦しているようだ。苦戦しながらも時々もうひとりの女の子を見ては嬉しそうな笑顔を見せている。女の子の方もつられて笑っているところを見るとこの2人は付き合ってるのかもしれないな。
一方マキはというと、こちらも女の子と仲良さげにしている。かと思うとヤツを睨んで牽制したり、女の子の隣りに座って腕を組んだり……。きっとこれは日本人同士なら普通に仲の良い女友達なんだろうけど、一度レズビアンじゃないかと疑ってしまうとそうとしか見えなくなってしまう。もしそうだったら俺に望みは無くなっちゃうよな、やだなぁ。
「はぁ……」
突如アイツが顔を上げた!しまった、俺のため息が聞こえたらしい!
さてどうする?木の陰に隠れるか?いや、すでにこちらの位置は把握されてると考えた方がいい。じゃあ木の葉隠れの術……は、さっき見せてしまったからもう使えない。
そうだ!ここは窓の死角に隠れよう!さっきヤツには森へと逃げ込むところを目撃させたから、逆に壁際にいるとは思うまい!
俺は匍匐前進で壁際まで行き、窓の下に身を沿わせるようにして息を殺す。神よ、どうか気付かれませんように……
俺は誰が外をのぞいても良いように『俺は地面だ』と自分に暗示をかける。
ところが誰も窓から身を乗り出す気配がない。それどころか部屋から物音が一切聞こえてこなくなった。
窓から中をのぞこうか、それともこのまま隠れていようか悩んでいると、寮から3つの影が飛び出してきた。もしや——
そう思って部屋をのぞいたときは、すでにもぬけの殻だった!
「×××!やりやがった」
思わずマンマに禁止されてる言葉を使ってしまったが、それぐらい俺は気が立っていた。この何をしてもヤツに先回りをされている感じが非常に腹立たしい。ひょっとしてヤツは留学生のふりをしてアメリカに送られてきた本物の忍者じゃないのか!?
急いで後を追いかけるが、3人ともものすごいスピードで足場の悪い森の中を駆けて行く。あの大人しそうな女の子までだ!×××!
やばい、見失う!ヤバいヤバいヤバい!ここで追いつけなかったらもう2度とマキとは話せない気がする!実際に、ホテルを無断で抜け出してきたから、罸としてマキと会う事を禁止するくらいマンマだったら容赦なくするだろう。
マキと2度と会えない……そう思ったらまた涙が溢れてきた。
「マキー!待ってよー!マキー!!」
思わず叫んでいたがマキに俺の声は届かない。届かないままマキは森を抜け建物の中へと入って行く。
無断で大学の建物に入って怒られるんじゃないかと一瞬不安になったけど、それよりももう二度とマキに会えないんじゃないかと言う不安が勝り、俺はマキの後を追い階段を上った。
一番上まで登ってもマキがいなかったので、どうやらどこかで教室に入ったに違いない。俺は教室を一部屋ずつこっそりとのぞいて行く。最上階にはいなかったので、階段をひとつ降りまたのぞいて行く。
そしてついに見つけた!!
「マキー!」
俺は扉を開け放ち、駆けつけた勢いのままマキを抱きしめた。