ニコラの家族
ケイの応援要請で寮の談話室に駆けつけ僕たちは、そこでニコラの家族に囲まれて居心地悪そうにしているケイを見つけた。対人スキルが豊富なケイの、こんなに情けない姿をを見るのは初めてだ。
「みんな、紹介するね。こちらが父のマルコ、母のサンドラ、兄のリカルド、シュウたちと同い年、そして弟のエリオだよ」
ニコラが嬉しそうに家族の紹介をしていく。マルコは少し腹の出たダンディーなおじさんで、サンドラは笑顔がチャーミングなおばちゃんだ。リカルドは同い年とは思えないほど大人びていて、逆にエリオは言われなければ女の子と見紛うようななりをしている。
ニコラが僕たちに家族を紹介し終わると、今度はイタリア語で僕たちの事を紹介しはじめた。やはりイタリア語を話すニコラは年相応にかわいらしい。
「ほう、お前がシュウか」
「はい、そうです」
父の渋い声が英語で僕の名前を呼ぶ。ケイが電話で『ニコラのお父さんがものすごく怖いんだ』って伝えてきたときは大袈裟に言ってるだけだと思ったけど、たしかにこの声ですごまれたら漏らしてしまう自信がある。
「あえて嬉しいぞ。たしか彼がアメリカでできた初めての友達だったな」
「そうだよパーパ」
「お前のおかげで娘は留学と言う厳しい環境にも耐えることができた。感謝する」
「なんてことありませんよ。ニコラが友達でいてくれたから僕は寂しい思いをする事がなかったんですから、むしろ僕が感謝してます」
今でこそリアやマキちゃんという仲間ができたが、アメリカに来たばかりのころは日本人はみんなボストンに遊びにいってしまって、僕の遊び相手はニコラしかいなかったっけ。
「うん、話に聞いていた通りの好青年だな。それに比べてケイ、お前はニコラから聞いていた話とずいぶん違うようだが」
ギロリと音の出そうな目力でマルコがケイを睨む。その視線に恐縮するケイにいつもの余裕はみじんも感じられない。ひょっとして打ち上げが終わってからこっち、ずっとこの視線に晒されてきたんだろうか。南無三。
挨拶もそこそこにニコラが空いてるソファーをすすめてくれた。談話室には大きなテーブルを『コ』の字で囲うようにソファーが置いてある。コの字の上辺に僕とリアとマキちゃん、右辺にニコラとサンドラとエリオ、そして下辺にマルコとリカルドに挟まれてケイが小さくなっている。
テーブルの上には特大の配達ピザが置いてあるが、まだ1、2切れしか手がついていない。ん?この状況はひょっとして……
「ところでシュウ、このピッツァを見てくれ、こいつをどう思う?」
「すごく……大きいです」
「お前はこういうピッツァが好きか?」
「はい、好きですよ。でも……」
そう言った瞬間マルコのまとう空気が一段重くなった。やはりマルコはアメリカのピザが好きじゃないんだ!文化・風習のクラスでイタリア移民の話になった時、ニコラがアメリカのピザをボロクソに言っていたのを思い出す。
「でもこのピッツァは具材が多すぎですよね。僕はもっとシンプルでトマトの力強い味が感じられるものが好きです!」
「おお!やはりお前はイタリアの味を理解しているんだな!ふん、それに比べ、ある男はこんなピッツァをべた褒めするような感性しか持ち合わせていないようなんだ」
あーあ、やっちまったなケイ。まあ普通イタリア人にピザを振る舞われたらべた褒めするのがセオリーかもしれないけど。
アメリカのピザをボロクソに言っていたニコラを知っていたおかげで地雷を回避することができた。
「ちょっとパーパ!たしかにアメリカのピッツァはおいしくないけど、ケイはとっても素敵な感性をもってるわ!」
ニコラがケイのフォローにまわるが、マルコは一切取り合おうとしない。
「さあ、このピッツァはケイに食べてもらうとして、私たちはもっとおいしいものを食べようじゃないか。サンドラ、○×△□……」
マルコに何か言われた母がスーツケースを漁りだす。サンドラがイタリア語で何か言っているのをニコラが同時通訳してくれる。
「マキはイタリアのチョコレートをずいぶん気に入ってくれたようね。だからお土産にいろんなチョコを持ってきたわ」
以前ここで食事会をしたときの事を言っているのだろう。なにか思い出したのかマキちゃんが赤くなっている。あの時は僕の分までガッツリ食べてくれてたっけ。
「それとシュウがこれを気に入ってたようだから、いっぱい持ってきてもらったよ」
そう言ってニコラが袋から取り出したのは——
「カバチョコだ!!」
「そう、ハッピーヒッポっていうの」
「うわぁ、ありがとう。でもいいの?こんなに高価なものを」
「アメリカでは輸入品だから高いけど、イタリアではもっと安いんだよ」
「さあ、遠慮しないで食べてくれ」
「いただきます!」
手を合わせていただきますのポーズをする僕たちを見て、弟が驚いたような顔をする。
「日本人も食事の前にお祈りをするの?だって」
「これはこのチョコを作ってくれた人、そしてあなたたちに感謝をささげてるんだよ」
と言ったらマルコまでその答えに驚いている。
「日本人は礼儀正しいと聞いていたがまさかここまでとはな。そういえばさっきピッツァを食べた時、ケイも同じように……」
「そうよ!ケイも私たちにちゃんとイタダキマスしてたでしょ!」
「ムム……」
お、どうやらケイの株が少しだけ上方修正されたようだ。
「それに相手から出されたもの、特にガールフレンドの父親が出してくれたものに喜んでみせるのは正しいボーイフレンドの態度じゃないの?」
「うむ……たしかにニコラの言う通りだな。ケイ、さっきは言い過ぎたかもしれん。謝罪しよう」
「そんな事する必要ありません!俺が未熟だったんです。とても勉強になりました」
あーよかった。なんとかハッピーエンドを迎えられそうだ。ムシャムシャ。
「ケイもそんなピッツァ食べてないで、いっしょにチョコ食べようよ」
ニコラがケイにチョコを手渡す。
「ありがとうニコラ。……それにしてもこうやってイタリアのチョコレートを食べてるとイタリアの飲み物が欲しくなるね」
「ほう、その口ぶりからするとお前はイタリアに来たことがあるのか?」
「はい。アマルフィの別荘へ何度か。あそこの景色は実に素晴らしいですね」
「ほほう、それなら俺のリモンチェッロを持ってきてやればよかったな」
「ハハハ、さすがに寮での飲酒はまずいですよ」
「しかし飲めないわけじゃないんだろ?」
「ええ。いずれまたイタリアに行く予定なのでその時はぜひ」
「ああ、喜んで」
酒も入ってないのに酒の話題だけであっという間に仲良くなっただと!?
「インスタントのコーヒーなら部屋にありますけどいかがですか?」
おお、ナイスアイディア!マキちゃんがいれてくれるインスタントコーヒーはなぜかとてもおいしい。試験勉強中はよくお世話になった。
「インスタントか……まあ、学生寮ならそれも仕方ないか。一杯もらおう」
あれだけ厳かな雰囲気を醸し出してたおっちゃんが、この短い間にずいぶん丸くなった。
マキちゃんが部屋にコーヒーをとりに行こうとすると、ケイが「俺も手伝うよ」と紳士的なところを見せる。これはご家族に対するアピールかな。それともマルコとリカルドに挟まれるのに耐えられなくなったのかな。
しばらくしてマキちゃんがインスタントコーヒーのビンと紙コップを、ケイがお湯と自動販売機で買ったミルクを持ってきた。
「カフェラッテにしたい人は言ってくださいね」
ケイが笑顔を振りまきながら自分のコーヒーにミルクをそそぐ。どうしよう、僕もカフェラテにしようかな……。
そんな事を考えていたら、なぜかニコラの家族が一様に顔をしかめている。ここまで無表情だった兄さえ、ゴミを見るような目をケイにむけている。一体何が起こったんだ!?
「ああケイ……そればっかりはフォローできないよ……」
「化けの皮がはがれたな!やはりこんなやつはニコラのボーイフレンドにふさわしくない!こんな夜中にカフェラッテを飲むなんて、やはり舌がいかれてる!」
どういうことかニコラに話を詳しく聞くと、イタリアではカフェラテは朝飲むのが常識で、夜に飲むのはどう考えてもおかしいらしい。あぶない、僕もカフェラテにするところだった!
しかし日本人がカフェラテの飲み時を知らなかっただけでこんな態度を取るなんて、少し狭量というものじゃないか?
「何も知らない日本人なら何も言わずにいられたかもしれないけど、ケイは私の彼氏だし、ハンパにイタリア通を気取っちゃったからそんな態度が許せないみたい」
ああ、なるほど。日本でも半可通ほど通人に嫌われるもんな。
「ニコラ、私たちはお前の卒業発表を見るまでこっちにいる。練習もあると思うが時間がある時はボストンを案内してくれるか?」
「もちろんよパーパ」
「それはよかった。『家族水入らずの』ボストン観光楽しみにしてるぞ。
それでは諸君おやすみ。これからもニコラのよい『友達』でいてくれ」
ニコラの家族が去った跡には、呆然とするケイだけが取り残されていた。