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トーフルを終えて

「みなさん、トーフルお疲れさまでした!今日は日本人同士、心行くまで楽しみましょう。カンパイ!」

「カンパイ!」


 右隣にいるリアの高らかな乾杯の合図で僕は手元のジンジャーエールをグイッと飲んだ。州法で22歳未満の飲酒が禁止されているため誰もアルコールは頼んでいない。これが日本の大学だったら誰かに無理矢理飲まされたりしてたのかな。下戸の僕にはなんともありがたい法律である。


 そんな事を考えていたら突如『私の酒が飲めないのか』と迫るスーツ姿のマキ課長を想像してしまい思わず笑ってしまった。


「あれ?私何か変なことを言いましたか?」

「いや、立派な乾杯の音頭だったよ」


 今僕たち日本人留学生はとある高級ホテルに店を構える鉄板料理屋に来ている。3基の立派な鉄板にはそれぞれ1人ずつシェフが着き、いつでも注文に応えられるよう待機している。他にお客さんがいない所を見るとひょっとして貸し切っているのかな。なんとも豪華な晩ご飯だ。


「リア、今日はこんな素敵な所に招待してくれてありがとう」

「こちらこそ。今日と言う日を無事に迎えられた恩に比べたら、これくらいなんでもありません」


 それってひょっとしておごってくれるってことなのか?……いやいや、さすがにそこまで厚かましくなったらまずいだろう。僕にだって男としてのプライドと言う物がある!

 ……とは言うものの、やっぱりどれもお高いんだよなぁ。しばらく迷った末、僕は一番お手頃な焼うどんセットを頼む事にした(それでもおばちゃんの店およそ5回分のお値段である)。


 リアは何を頼んだのかと見てみると、昼のトーフルの手応えを反芻でもしているのか、メニューの陰で口角をニマニマと上げている。よっぽどうれしかったんだな〜。


 トーフルの直後に僕の元へ真っ先に駆けつけて見せてくれたあの笑顔は今も僕の脳に焼き付いてはなれない。


『シュウ!やりました!今までで会心の出来です!これで同じ学校に行けますよ!』


 あの満面の笑顔をなんとかしてもう一度見れないものか……。なんて、こんな事を考えても仕方ないな。それにこれから4年間同じ学校に通うんだから、笑顔を見るチャンスなんていくらでもあるだろう。


「……何ニヤニヤしてるんです?」


 リアの右隣からうっすら怒気を孕む声でマキちゃんが僕にツッコんできた。どうやら僕の表情筋もリアにつられてニマニマ緩んでいたらしい。


「べ、別にニヤニヤなんてしてません!」


 リアが自分に言われた物だと勘違いし、意思の力でキュッと口を結ぶ。


「あわわ……今のはリアさんに言ったわけじゃなくて——」


 そんな様子が面白くてニヤニヤが押さえられなかったので、左隣に顔をむけると

ケイがカウンターに両肘をつき、祈りを捧げるかのようなポーズでグラスの炭酸水の泡がはじけるのを眺めていた。


「おい、ケイ……大丈夫か?」

「ああ、うん、大丈夫、ヘーキヘーキ……」


 うん、明らかに大丈夫じゃない。トーフルが終わって約6時間、ずっと沈みっぱなしじゃないか。こんなのが隣りにいたらニマニマもあっという間に消えてしまう。


「あんなに頑張ったんだからきっと受かってるって」

「そうだな……」


 僕の励ましは何ら意味を持たず、ケイはカウンターにつっぷしてしまった。鉄板で髪が焦げそうだったので無理矢理引き起こす。


「自慢の髪が燃え上がるぞ」

「いいんだよ、ほっといてくれよ……」


 だめだコイツかなり悲観的になってやがる。ぼそっとファックってつぶやいてるし。そんなにトーフルの出来が悪かったんだろうか。


 こんな時ニコラがいたらちゃんとケイを励ましてくれるだろうに。ニコラはイタリアから来た家族とボストン観光中だ。


「ああ……ニコラにどうやって説明したらいいんだよ。あれだけ教えてもらったのに合格できないなんて」

「だからまだ落ちると決まったわけじゃ……」

「いや、落ちてる。その前提で対処しないとニコラを余計に傷つけるだろ」


 上げて落とすよりは、ずっと下にいたほうが落下時のダメージがない分いいってことだろうか。たしかにニコラがボストンクルーズで見せた寂しがりな一面を考えればその方が少しはマシかもしれない。


「じゃあ落ちてるのを前提としてさ、今後ケイはどうするの?」

「俺の今後?」

「ほら、マキちゃんの場合は合格ラインに届いてなくても、アーグルトンの語学研修所には通えるから今後もリアと一緒にいられるけど……ケイはそうも行かないだろ?」


 ニコラの行く難関大学には語学研修所が併設されていない。だからケイは不合格ならこのままチェスナットマナー(女子)大学の語学研修所に残るか、すでに合格点の取れている大学に行くことになる。


「テスト前まで合格する気満々だったからな……今後の事なんて考えもしなかったよ」

「その……お前さえよかったらなんだけどさ、1セメスターだけでもアーグルトンに来てみないか?」

「俺がアーグルトンに?」


 大学で英語を勉強するなら日本人同士でつるんでちゃダメなのはわかってる。しかし正直な所、同期の日本人男子が、いやケイが一緒にいてくれると思うとそれだけで安心感が桁違いなんだ。


「ケイならあと少し勉強すればニコラと同じ大学は余裕だろ?だからトーフルの勉強と同時にアーグルトンで一般教養の単位をいくつか取っておいてさ、そのあとでニコラの所に転入トランスファーしたらどうだ?」

「なるほど。たしかにそれなら時間を有効に使えるかもしれないな。一般教養なら単位もそのまま移行できるだろうし……」


 まあ、これをすすめるのは僕の一方的な事情でしか無いんだけど、それがケイのためにもなるなら万々歳じゃないか。


 もしケイがアーグルトンに来るとなれば、この席の4人が同期のメンバーって事になる。初めは僕一人きりだったはずがずいぶん面白いことになってきたじゃないか!

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