アニマルパニック
しばらく住宅街を歩いたあと、僕たちは学校の正門を避け、森の抜け道を通って敷地内へと入った。そうしないと正門の警備員が「こんな時間まで何をやってたんだ」とうるさいからだ。しかしこうして学校の敷地内に入りさえすれば、もう何も問題はない——と思ってた時期が僕にもありました。
「動くな!ここで何をしている!?」
警備員が警棒を兼ねたライトを逆手で持ち、こちらを照らしだす。森の中を警備員が見回る事なんて無かったから完全に油断していた!僕はとっさにいつかの夜を思い出し言い訳をする。
「鹿の写真を撮るために森を散策してました……」
「鹿だと?ホントは他の動物に餌をあげてたんじゃないのか?」
他の動物?餌やり?なんの話だ。振り返り3人の顔を見ても、みんな訳が分からないといった顔をしている。
「フン、まあいいだろう。だが決して野生動物に餌をやるんじゃないぞ。入寮の際にも説明があったと思うが、野生動物に餌付けをしたものは即刻退寮になるからな!」
その後僕たちのIDカードをチェックして、警備員はさらに森の奥へと消えていった。
「一体なんだったんでしょうね?」
「警備員の様子からして、誰かが野生動物にエサでもやってたんじゃない?」
「ひょっとしたらそれが原因で、凶暴な動物でも迷い込んだのかもしれないな」
ケイの言葉に背筋が凍る。こんな暗い森の中でその一言は洒落にならない。
「あれ、シュウ、ひょっとしてビビってるのか?」
「は?だ、だれがビビってるって?」
「そういやお前、鹿を見つけたときも腰抜かしてたっけ」
「なんだよ、そういうケイだって!」
「お、俺は別に……」
などと言い争ってたら、呆れた女性陣が僕らを置いて先に行こうとしている。
「もし野生動物が出てきたら私がニコラを守ってあげますからねー」
「心配しないで、私動物大好きだもん」
チクショー。あの鹿の迫力を知らないからそんなにのんきでいられるんだ!……なんて言い訳してもカッコわるいだけだな。
僕はすぐさまリアの隣りへ駆け寄った。怖かったからじゃなく、リアを守るためだよ。ホントだよ!
それにしても、こうしてリアの隣りを歩いているなんて、アメリカに来たばかりの僕に教えたらどんな顔をするだろう。きっと渋柿を食べたような顔をするに違いない。
初めてリアとシャトルバスに乗ったときなんて、通路一本はさんでいただけなのに、グランドキャニオン並に深い溝があったもんなぁ。
「それじゃあリア、シュウ、おやすみ〜。また明日ね〜」
「おやすみなさいニコラ。良い夢を」
ケイとニコラが自分たちの寮へと仲睦まじく帰っていく。手なんてつないでうらやましい限りだ。
そんなことを考えていたらリアがそっと一歩ぶん、僕の方へと距離をつめてくる。互いの袖がシュッとこすれあった。ひょ、ひょっとしてこれは手をつないでもいいってことなのか!?
「シュウは桜井くんが言ってた事、どう思います?」
「へ?」
リアへと伸ばしかけた手が宙をさまよう。
「ほら、危険な動物がどうとか……」
「ああ、その話ね」
なんだ、僕に気を許したわけじゃなく、野生動物が怖くて近寄ってきただけか。って、やっぱりそれ手をつなぐチャンスじゃない?「僕がいるから大丈夫!」とか言ってさりげなくつなげば……
「ぼ、僕ガイルから……」
「あら、何かあったのかしら?」
勇気を振り絞る僕をおいて、何かを見つけたリアがさっと駆け出す。くそ、あとちょっとだったのに!
急いでリアのあとについていくと、深夜だというのになぜか僕たちの寮の周りに人だかりができていた——。
何かあったのかと急いで集団に駆け寄る。そこにいたのはこの寮に住む女の子たちだった。よほど急いで出てきたのか、半数近くがパジャマ姿のままである。これはひょっとして男子が何かやっちまったのか!?
さらに近づくと、僕に気付いた女子の群れがなぜかざわつく。やはり男子が女子の風呂でも覗いたのだろうか?
「あらシュウ!ちょうどいい所に!」
そういって真由子さんがピンクのパジャマ姿で現れた。いつもとは違う女の子っぽい格好に不覚にもドキッとしてしまう。しかしよく見ると真由子さんの顔色は青ざめ、何かに怯えるように自らを抱きしめている。
「一体どうしたんですか?そんなパジャマ姿で」
「あ、あんまりジロジロ見ないでね、恥ずかしいから……」
「すいません。それでどうしたんです?」
寮の方へと視線をはずす。別にどこかから火が出てるわけでもなさそうだ。
「……がでたの」
「何ですって?」
よほど怯えてるのか、声がよく聴き取れない。
「もう一度言ってもらえますか?」
「ス……スカンクが出たの」
「スカンク……ですか?」
真由子さんの説明によると、ベッドに入る準備をしていたら突然強烈な異臭が女子エリアに充満したらしい。この臭いはスカンクだとピンと来た真由子さんは、リーダーシップを発揮して女子エリアにいる女の子たちを屋外へ避難させたという。今はスカンクの臭いが落ち着くのをみんなで外で待っているという事だ。
言われてみれば、これまでに嗅いだ事のないような異臭がする。換気のために開けてある女子エリアの裏口から漂ってくるのだろう。
「でもどうしてスカンクだってわかったんですか?」
「私……一昨年もここでスカンクに襲われたから……」
「ええっ!?」
「あいつら見た目はかわいいから、私カフェテリアから持ってきたパンを毎日あげてたの。最初のうちは遠くから眺めてただけなんだけど、そのうち触ってみたくなって……」
襲われてしまったというわけか。
「まあ襲われたって言っても臭いだけなんですよね?」
「違うの!違わないけど……そんな生易しいものじゃないの!」
スカンクに襲われた事を思い出してしまったのか真由子さんがブルブルと震え出す。
「あいつらの臭いは直接浴びるといくらお風呂に入っても取れなくなるの!それもずーーーっと!」
「ハハ、そんな大袈裟な……」
「大袈裟なんかじゃない!私は……そのせいで……研修期間の最後を……臭いまま……ぐふぅっ」
スカンクの屁は思い出し泣きするほど臭いのか!?
「それにね……グス……スカンクは……ううぅ」
突如泣き出した真由子さんに、日本人女子全員の視線が注がれている。そしてその視線は僕を軽蔑するような眼差しに……。あれ?ひょっとして僕が真由子さんを泣かせたと思われてる!?
「それにスカンクがなんですって!?」
僕は必死に『スカンクについて話しているんだよ』アピールをする!それに対して真由子さんは僕にしか聞こえない声でこんな事を言い出した。
「……みんながパニックになるといけないからあまり言いたくないんだけど……」
「そんなこと言われたら余計気になるじゃないですか」
「そうよね……。実はスカンクは……『レイビーズ』の感染源になることがあるの」
「そんな!!」
そう叫んだのは、いつの間にか僕の真後ろで話を聞いていたリアだった。顔が近いっ!
「真由子さん、その話本当なの!?」
「え、ええ。でも大丈夫よ。リアちゃんたち以外、寮にいた子はみんな無事だし、スカンクの方は警備員さんたちが捜索をしてくれてるから。」
なるほど、どうりであんな森の中に警備員がいたのか。
「真由子さん……マキちゃんは?マキちゃんはどこにいるの?」
「え?あなたたちと一緒だったんじゃないの!?」
「マキちゃんは……私が追い出しちゃったから……マキちゃん……マキちゃん!!」
リアはこの場にいないマキちゃんの名前を叫び、換気中の女子エリアへと弾丸のように駆けていった。
「シュウ、リアちゃんを連れ戻して!まだ中にスカンクがいるかもしれないの!」
な、なんだってー!?