初めての授業
講話が終わって初めての授業に行く途中、日本人留学生が日本人同士でかたまって日本語で何か言っているのが聞こえてきた。
「あのパメラっておばさん怖いね」
「何アレ?私たちを脅してんの?」
「だよねー。あんな風に睨まなくてもいいじゃん」
なにこの人たち?パメラの言ってたこと理解できなかったのかな?たしかに見た目は怖いけど、中身はとってもいい人なのに。
「パメラはみんなを脅したりしてないよ」
思わず口が滑ってしまった。
「え、あなたあのおばさんが何言ってるかわかったの?」
「うん。僕たちの環境は平等でも、そこからの伸びは努力次第だから、先生たちを頼ってちゃんと努力しよう、って話だったよね」
「ふぅん。……それって結局は、私たちがもしトーフルに失敗しても教師に非はないって言ってるようなものね」
「責任逃れだよねー」
あれ?どうしたらそんな話になるんだろう?この人たちは本当に同じ講話を聴いていたのだろうか……。なんだかこれ以上説明しても無駄な気がするぞ。
「そ、それじゃあまた……」
「ちょっと、どこ行くの?」
「どこって授業に……」
「メンターは授業について何も言ってなかったよ。勝手に動いちゃまずいでしょ」
いやいや、さっきの講話で先生方がちゃんと説明してたから!僕たちはこれから『トーフル対策』『文法』『会話』『文化・風習』などのクラスに分かれて授業を受けていくことになる。今日はこれからさっそくトーフル対策の授業だ。この授業は僕たちの現在のトーフルスコアを基に3つのクラスに分けられている。ちなみに僕は一番難しい上級クラスに振り分けられた。
「僕はクラスにいってみるよ。もしみんなのこと何か訊かれたら説明できるしさ」
「ふーん……」
なんだかイヤな雰囲気。中学高校でも僕が空気を読めない発言をするとこんな感じになったっけ。だからって空気読んで授業いかないのはあり得ないよなぁ……。
あー、これからどうやって彼らと接していけばいいんだろ。考えるだけで胃が痛くなる……
クラスに行くと様々な国の留学生がすでに席についていた。ケイが僕に気付いて軽く手を上げる。コミュ力の高い君はきっと難なくあの集団から逃げおおせたんだろうな。僕も軽く手を上げると、同じクラスにいたニコラがこっちに気付いて声をかけてきた。
「あー、シューズのシュウだ!こっち座りなよ」
僕は流れでニコラの隣りに座ることになった。これは日本人同士で固まるよりも英語の勉強になっていいかもしれない。
教室の椅子は机と一体になっていて、横から体を滑り込ませるようにして座るものだった。こんなところにも文化の違いがあるのかと思うと面白くなって、僕は机の構造を確かめるためにまさぐってみた。
「机がどうかしたの?」
「日本の教室では椅子と机が離れてるから、こういうタイプは珍しくってさ」
「へー。……でも、あんまり机の裏は触らない方がいいと思うよ」
机の裏にはいくつもの硬いボツボツがある。なんだろうこれ。
「机の裏がどうしたの?」
「うーん……そういうところって、よく噛んだガムがくっついてるから……」
ゲ!さっきのボツボツは乾燥したガムか!うへぇ、汚い。どうしてこんな所にガムを捨てるんだ。こんな文化の違いは知りたくなかったよ。
そうだ、僕には日本から持ってきたアレがあるじゃないか。
「それなあに?」
「これは日本から持ってきた、あー(制汗シートって何て言えばいいんだろう?)……ウェットティッシュだよ」
「ひょっとしてウェットワイプスのこと?」
和製英語でした。
「うん、そのウェットワイプス」
「なんかいい匂いがするね。1枚ちょうだい」
「オッケー」
これが会話のきっかけになるならお安いものだ。
「これは本来汗をかいたときに使うもので、使うとクールになるんだよ」
「使うとクールに(かっこよく)なるだって?俺にも1枚くれないか?」
前の席にいたアジア系のメガネ男子が突然話に割り込んできた。
「僕の名前はペッ。タイランド出身だよ」
「シュウだよ。日本人」
握手をしてふたりに制汗シートを差し出す。
「何だこれ!?超冷たい!オウ、○×△□……」
「わあ、きもちいいね!クーラーの風が当たるとものすごく冷たい!」
2人の反応を見ていた他のクラスメイトたちが興味深そうにこちらを見ていたので、いるかと訊いてみたらクラスのみんなが欲しがった。こうして僕はクラスのみんなと握手をし、制汗シートはあっという間に最後の1枚を残すのみとなってしまった。
そうこうしている間にトーフル対策の教授がクラスにやってきた。真っ白な短い髪に、同じく真っ白な短く刈り込んだヒゲ。メガネの奥には二つの灰色の眼球が厳かに輝いている。
「なんだ、このクラスは?すごい匂いがするぞ?そしてどうしてみんな白いハンカチーフをもっているんだ?」
一斉にクラスメイトの視線が僕に集中する。ああ、やめてくれよ。教授がこっちにやってくるじゃないか。うへぇ、なんてがっしりした体つきなんだろう。怖い!
「君が事情を説明してくれるのかな?」
僕はしどろもどろ、なんとか事の次第を説明した。すると教授が僕の眼前に手を差し出した。え、僕に一体どうしろと?
「握手だ」
思わずいわれた通り手を差し出す。力強い手が僕の手を握り返してくる。
「私はプロフェッサーホワイト。よろしく」
「ぼ、僕はシュウスケ・カノウです。シュウって呼ばれてます。」
「ではシュウ、私にもそれをくれるかな?」
「え?あ、もちろんです。どうぞ」
こうして制汗シートは瞬く間に売り切れてしまった。
「おお、おおっ、なんという爽快感だ!これはいい。ありがとう、シュウ。」
そういって笑うホワイト教授はとても優しげな目をしていた。キュン。あれ?なんだろうこの感覚……ひょっとしてこれが世に言うギャップ萌え?先ほどまで緊張感に満ちていたクラスに柔らかい空気が満ちる。
このあとクラス全員の自己紹介が始まったが、僕の番になるとみんなから「もう知ってるぞー」「さっきはありがとうな、シュウ」などの声がかった。ああ、この胸にこみ上げる暖かいものはなんだろう。このクラスでなら僕はどこまでも頑張っていけそうだ。
「僕の名前はシュウスケ・カノウ。シュウって呼んでください。シューズのシューといっしょだよ!」
ニコラの楽しそうな笑い声がクラスに響いた。