生脚と誘惑
カフェテリアでマッスルマッスルとつぶやいていたらジェフが変なことを言い出した。
「すまない、今はマッスル仕入れてないんだ。」
ここでは筋肉を仕入れてくれるのか?それならぜひとも僕の胸の辺りに増量をお願いしたいんだが。アメリカの男性はどうも胸板が厚い人が多いんだ。隣に立つと自分が貧相に見えて空しくなる。
「明日にはちゃんと仕入れておくから、またきてくれよな」
明日僕はどんなマッスルを見ることになるのだろうか?
翌日マッスルを楽しみにしながらカフェテリアに行ったら、いつもは見ないムール貝の料理が置いてあった。日本ではパエリアに乗っているものしか食べたことがないのでさっそく自分の皿に盛りつける。
その足でジェフのところにオムレツを注文しにいったらなんとも嬉しそうな笑顔で僕の皿を覗き込んだ。
「さっそくマッスルを見つけたようだな。この食いしん坊め」
「え?どこに筋肉があるって言うの?」
「どこってここにあるじゃないか」
そう言ってジェフが指差したのは先ほど盛りつけたムール貝だった。
「ひょっとしてこれがマッスルなの?」
「ああ、それ以外にどんな mussel があるって言うんだ?」
席についておいしいマッスルを味わっていたら真由子さんも大量のマッスルを皿に盛りつけてやってきた。
「真由子さん、その貝の名前知ってます?」
「ムール貝だよね?あ、英語で?知らないなぁ」
「マッスルって言うそうですよ。昨日僕が筋肉の事を話題にしたから仕入れてくれたそうです」
「ああ、そういえばスーパーの魚売り場にmusselって書いてあった気がする。マッセルだと思ってたけどマッスルだったんだね。ひとつ賢くなれたよ」
そう言って真由子さんはあっという間にマッスルを平らげてしまった。
「アメリカにも同音異義語ってあるんですね」
「同音異義語ね。私もたまにそれで訳が分かんなくなるんだよね」
「例えば?」
「シュウスケは『pray』の意味わかる?」
「ああ、『祈る』ですよね。ひょっとして遊ぶの『play』と間違えたんですか?」
「それはホモニムじゃなくて、典型的な日本人の間違え方だよね。祈りましょうを遊びましょうと勘違いしちゃうヤツ」
「それじゃないなら……あ、ひょっとして犠牲の『prey』ですか?」
「ちゃんと勉強してるんだね、偉いぞ〜」
真由子さんが親指を立てて褒めてくれる。すっかりアメリカナイズされているジェスチャーがとてもかっこいい。
「生物の時間に捕食者と獲物の話をしてたのに、私だけあわれな動物が祈りでも捧げてるのかと思っちゃったんだよね」
「意味合いとしてはそんなに間違ってなさそうなのが面白いですね」
「全然面白くないよ〜。そういうことがあると頭がフリーズしちゃって英語が入ってこなくなるんだから」
「やっぱり語彙って大切なんですね」
「そうだよ。シュウスケも若いうちにしっかりと覚えておきなさい」
真面目ぶった顔でそんなことを言う真由子さんがおかしくて思わず吹き出してしまった。
「それじゃあ今日の復習も兼ねてマッスルにプレイを捧げます」
「わたしのプレイになったマッスルにね」
真由子さんとアメリカンジョークを交わしていたら、突然見知らぬきれいな外国人女性が話しかけてきた。
「真由子〜!久しぶり!」
「ミラ!久しぶりね!元気だった?」
う〜ん、やっぱり真由子さんの発音は素晴らしいな。教授に言われた事を真摯に受け止めちゃんと筋トレをしたのだろう。僕もしっかりしなければ!
「元気すぎて、あなたに会いにきちゃった!」
「そんなこと言って、どうせ他に目的があるんでしょ?」
「もちろん。私の事はよく知ってるでしょ?」
そういうとミラと呼ばれた女性はなぜか僕に視線を向けた。ん?僕はあなたの事は何も知りませんよ?
「この少年は真由子の友達?紹介してよ」
「はぁ、オッケー。ミラ、こちらはシュウ。9月からアーグルトンに来るのよ」
「えー!?じゃあ真由子が世話してるのってこの子?思ってたよりかわいいじゃん!」
真由子さん、僕のこと話題にしてくれてたのは嬉しいんだけど……かわいいって?いったいどんな話をしてたんだろう?
「シュウ、こちらはミラ。私の友達でアーグルトン生。シュウの先輩ってことだね」
おお、僕の先輩でしたか。真由子さんの友達ってことはいい人に違いない。
「よろしく、ミラ。英語がずいぶん上手なんだね」
「ハハハ、当然じゃない!私アメリカ人だもの」
「僕の知ってるアメリカ人よりずいぶんキレイだから気付かなかったよ」
「あら、この子いうわねぇ」
あ、真由子さんが変なものを見るような目で僕を見ている!違うんです真由子さん、今の僕は役者モードに入ってるだけなんです!じゃなきゃこんなセリフでてきませんから!
なんて言い訳しても始まらない。ここはさっさと話題を変えてしまおう。
「ところでミラ、『かわいい』ってのはアメリカでは褒め言葉なのかな?」
「もちろんよ。私かわいいものが大好きなの」
そう言うとミラの手が僕の方に伸びてきて——
「ハイ、ストップ!残りは私の部屋で聞くから!いくわよミラ!」
真由子さんがミラの手を払い落とした。
「ちょっと真由子〜」
「ほら、早くいこ?ね!」
あれ、真由子さんなんか怒ってます?ひょっとしてやきもち妬いてくれてるの!?
「え〜、私まだお昼食べてないのに!」
「私がラーメン作ってあげるから我慢して!じゃあねシュウ。午後からも勉強頑張ってね!」
「はぁ。また会いましょうね、少年」
そう言い残しハリケーンは去っていった。
午後の授業を終えて部屋に帰ると、洗濯物がたまっていたので地下のランドリーに行く事にした。洗濯機も乾燥機もやたらとクォーターを消費するので、できるだけ使用回数を最小限に留めている。しかし欲張って洗濯物を溜め込みすぎると、洗えない、乾かない、臭くなるの三重苦が待っているのは経験済み。だから洗濯かごの7分目まで洗濯物がたまったらちゃんと洗濯する事にしていた。
地下に降りるとソファーから生脚が生えていた。何を言っているのかわからないだろうが僕も何が起きているのかさっぱりわからない。
いや、ソファーの背で見えないだけで、普通に考えれば誰かが寝そべっているのだろう。ただし『つま先からふとももまで何も身に付けずに』だ!ひょっとしてこれは誰かがスッポンポンで——
離れた所から角度を変えて見てみれば、そこにはホットパンツを履いたミラが眠っていた。ふぅ、冷や冷やさせやがって。
あれ?そういえばこの人も一応先輩なのに敬称を付けなくても違和感が無い。やっぱり英語だと呼び捨てが普通に感じてくるものなのかな。
それにしても……警戒感のないやつ。生脚、へそだし、熟睡って、思春期男子にゃ目の毒です。
僕が生脚の誘惑に耐え洗濯をしてると、突然後ろから抱きつかれた。
「私ってそんなに魅力無いかな、少年?」
「……なんで寝たフリなんか?」
「その方が私の事観察しやすいでしょ?」
何を言ってるんだこの女は……。ひょっとしてこれは世間で言う所の……ビッチ?
やばい!こんな所を真由子さんに見つかりでもしたらどう思われるか!
「やめてくれ!それ以上やったら……」
「どうなるっていうの?ねえ、教えて」
「真由子さんを呼ぶぞ」
「げっ……」
お、どうやらこのセリフは効果的らしい。苦々しい顔をしてミラは僕を解放した。
「ねえ少年、真由子にとってあなたはどういう存在なの?」
「その少年っていうのやめてくれない?僕はシュウ。靴のシュウといっしょ、って今履いてるのはサンダルだけど……」
ちゃんと靴を履いておくべきだった。洗濯するだけだと思って油断した。
「シュウ……シュウ・ウエムラと同じシュウ?」
だれだそれ?まあ発音はあってるからそれでいいや。
「そう、そのシュウだよ」
「それで、シュウは真由子にとってどういう存在なの?まさか新しい彼氏?」
……ん?今『新しい』って言った?
「僕はそんなんじゃないけど……ねえ、彼氏ってどういうこと?
「あ、気になるんだ?あなた真由子の事が好きなのね」
「いるの?いないの?どっちだよ」
「うーん、教えてあげてもいいわよ」
「ほんとに!?」
「ええ。あなたのベッドの上でならね」
うわっ、真性のビッチだコイツ!!