アメリカついちゃいました
飛行機とバスを乗り継いで20時間、僕たち日本人留学生15人はようやく『チェスナットマナー大学』に到着した。移動と時差ぼけでふらふらの留学生集団だったが、森の中の優美な大学を発見したとたん、テンションが一気に跳ね上がった!
「何あの建物、超カワイイ!」
「ひょっとしてあれが校舎なんですか?」
「こんなところでなら語学研修も悪くないかも!」
たしかに。なんだよあの魔法使いでも出てきそうな洋館は!こんな場所を舞台に映画でも作ったらかなり面白そうじゃないか!やっぱりやるならやっぱり学園ファンタジーものかな?ああっ、学園ホラーものもありかもしれない!
……まあ、僕たちがここで学ぶのは魔法でも、お化け退治の方法でもないんだけど。
「あの建物でもたしかに授業はあるけれど、みんなが『トーフル』の勉強をするのは別の場所よ。そっちはもうちょっと学校っぽい見た目してるから」
トーフルとはアメリカの大学に留学する者みなが受ける試験である。いわば留学生のためのセンター試験。僕たちはこの夏の3ヶ月でおこなわれる3度のトーフルのどこかで、大学に合格できるだけのスコアを叩きださなきゃ行けない。
「早く受かればそれだけ夏のボストンを楽しめるんだから、みんな頑張って勉強しようね!」
迎えのバスの中でそんなことを説明している女性は高岡真由子さん。きれいな黒髪の日本美人で、僕たちのメンターをつとめてくれている。
メンターとは『指導者』や『助言者』といった意味で、アメリカに来たばかりで右も左もわからない僕たち新米留学生をサポートしてくれる存在らしい。といっても彼女自身もまた留学生で、僕たちとは二つしか歳が違わないそうだが。
バスで学校内の敷地をさらに奥へ進んでいくと、小洒落たアパートのようなものが見えてきた。どうやらここが旅のゴールらしい。僕たちは手荷物とトランクをバスからおろしメンターの指示を待つ。すると建物の方から初老の少し太った女性が小走りで現れた。
「あ〜ら、真由子。早かったじゃない!この子たちが今年の研修生ね」
「そうよ。みんな!こちらはみんなの寮の寮母さんよ。これから3ヶ月間お世話になるんだからしっかり挨拶しておくんだよ」
そう言ったかと思うと真由子さんは寮母さんとものすごい勢いで英会話を始めてしまった。初めのうちの「久しぶりね」とか「どうしてたの」といった定型文はなんとか聴き取れたが、そのあとのネイティブな会話には全くついていけない!
その様子に留学生の誰もが圧倒されていた。そして同時に「自分もこんな風に喋れるようになりたい!」と憧れたに違いない。みんなの真由子さんを見る目がキラキラしている。
「うわぁ。そんなに見つめられると照れちゃうなぁ。みんなも二年後にはこれくらい簡単に話せるようになってるよ」
と明るく言っているがにわかには信じられない。
僕たちが飛行機の中でやった『英語しか話しちゃいけないゲーム』では、誰もがAh...とかwell...などと言って、文章を頭の中で作りながらゆっくり会話をしていた。それがたった2年であんな感じに喋れるようになるだって?
「でも、みんなは会話よりも先に、トーフルに合格するよう頑張らなきゃね」
そうなんだよな。ここで合格点が取れないと僕の行きたい演劇学科のある『アーグルトン州立大学』には行けない。厳密に言えばどんな点数でも大学の寮には住めるんだけど、それはあくまで語学研修生としてであって、大学の正規授業を受けるためにはトーフルに絶対合格しなければならないのだ。
もっと簡単に言えば、トーフル不合格=浪人決定!なのである。
僕にあてがわれた寮の部屋は、いたって普通のふたり部屋だった。日本の学生寮がどういうものかを知らないから比べようが無いけれど、アメリカだからといって建物が全て巨大というわけではないようだ。
ルームメイトになったのは東京からやって来た桜井慶くん。明るい髪をワックスでしっかり固めた、どことなくホストのような見た目の18歳。だからといってチャラチャラしているわけではなく、空港ではリーダーシップを発揮して留学生集団をまとめあげていたっけ。
「これからよろしくな、秀介」
「こちらこそ慶くん」
「よそよそしいな、ケイでいいよ」
「じゃあ……よろしく、ケイ」
英語を鍛えるためにルームメイトは外国人の方がよかったんだけど、ケイみたいなやつなら気苦労が少なくていいかもしれない。さっそく髪型を褒めてみたら大学デビューのために張り切りすぎたとはにかんでいた。こういう表情が女子に受けるポイントなのかな?
「ところでシュウスケ……お前歓迎パーティーにもその格好でいくの?」
「あ、これじゃまずいかな?」
僕は機内で疲れないようにと、かなりラフな格好をしていた。Tシャツにハーフパンツにサンダル、そして寒くなっても大丈夫なように羽織れる長袖のシャツを腰に巻いていた。
一方留学生集団は15人中13人がスーツやオシャレな服で身を包み、日本からここまでやってきていた。まったくご苦労なことだ。日本の空港で待ち合わせた時の僕の所在の無さといったら、まるでどこぞの会社の研修に夏休みの少年が紛れ込んだようだった。ああ、思い出すだけで燃えるように上気していく。
「おい、シュウスケ、大丈夫か?顔が赤いぞ」
「大丈夫だよ、問題ない」
アメリカまでの移動でわかったのは、留学生のほとんどが良家のご子息ご令嬢であるということ。空港では○○社の会長の孫だとか、××の社長の息子だという話が自己紹介代わりに飛びかっていた。
僕みたいに留学のためにバイトしたり、奨学金を狙って来ている子は、この集団には誰もいないらしい。「父はサラリーマンで、母は英語塾の講師をしてる」と僕が言ったら、珍しいものでも見るような視線を向けられたのが悔しい。
そしてケイはその中でもどうやらトップクラスの企業のご子息らしく、既に何人もの取り巻きを作っていた。まあうちの親父には関係のない話だから僕は普通に接するけどね。
そんなケイが僕の夏休みの少年ファッションにダメ出しをしてきた。
「歓迎会には歓迎会なりのTPOってものがあるだろうが。真由子さんだってスーツを着てただろ?」
「あ、そういえばそうだね」
「ほら、さっさと着替えろよ」
僕はトランクの中からきれいにしまっておいたスーツ、ネクタイ、そして革靴を取り出して急いで着替えた。自分を曲げて一流に流されてしまったという悔しさと、これで一流の仲間入りができるという喜びが、心の中でせめぎあう。
「お、そのスーツけっこういい仕立てじゃん。どこのテーラー?」
テーラーとはなんぞや?このスーツはバアチャンが『ファッション木村』で作ってくれたものだ。アメリカで一旗揚げてこいとプレゼントしてくれたものである。
「シルエットがきまってるね。いい腕してるよその職人さん」
それは木村のおじさんのことを言ってるんだろうか。だとしたら今度日本に帰った時にでも、一流会社の息子が褒めてたよと教えてあげよう。
ネクタイを締めるのに戸惑っているとケイが僕に手を貸してくれた。う~ん、いちいち紳士的だなこいつ。これが学ランで過ごしてきた者と、ブレザーでカッコ良く決めてきた者の差なのだろうか。語学研修所にいるうちに彼らの所作を少しでも盗んでいきたい。
着替えを済ませて寮の玄関に向かうと、既に留学生の大半と真由子さんがいた。いけない、待たせてしまっただろうか?心配しながらそっと近づくと軽く周囲がざわめいた。
どうやらみんな夏休みの少年が突然スーツ姿に変身したことに驚いているらしい。「シルエットがいいね」とケイと同じことを言っているやつまでいる。いくら本人に褒める所が見つからないからって影を褒めるのは筋違いじゃないだろうか?それとも上流階級ではそういう言い回しが流行っているのか?
「ハハ、違うよ。シルエットっていうのは影のことじゃなくて服の輪郭のこと。ちゃんと採寸して腕のいい職人がスーツを作るとその輪郭がカッコ良く決まるんだよ」
知らなかったなぁ。上流階級の人たちは子供のころからそんなことを気にしながら生きてきたのだろうか。住む世界が全く違う。……シルエットか。確かにケイのスーツ姿は空港でも飛行機の中でもどこでもピシッときまっていたっけ。
そうだ、真由子さんもスーツ着てたよな。どれどれ……ん?改めて見るとなんだかスーツが少しぶかぶかだな。さっそくおぼえた言葉を使うならシルエットが悪い、とでも言うのかな?袖なんか手首をすっぽり隠して親指の付け根まである。……あれはあれでなんかかわいいけど。
じろじろ見すぎたせいか、少し恥ずかしそうにしているのがまたかわいい。ケイに「失礼だろ?」と両手で頭をグイッとひねられた。ひょっとしたら真由子さんも僕と同じ庶民の出なんだろうか。機会があったらいずれ訊いてみよう。それにしても首が痛い。