中院凛愛の団欒
夜が迫り劇場の鍵が閉まると二人の時間は終わりを迎えます。なぜなら二人で一緒に勉強できる場所が限られているからです。寮の談話室で一緒に勉強しようものならたちまち学校中にあらぬ噂が蔓延することでしょう。
ですので昨日までの私は自室へ帰りマキちゃんと過ごしていたのですが、今日はいささか劇の稽古に時間を取られすぎ、トーフル対策がおろそかになってしまいました。
「う~ん、もう少しちゃんとやっておきたいんですが、どこか勉強に集中できる所はありませんか?」
私の問いかけに、シュウは小さなチャイニーズレストランを案内してくれました。そこではすでに桜井君とニコラがトーフルの勉強をしながらご飯を食べていました。
私がニコラと意気投合し一緒に勉強しようとなりかけたところでシュウが体を割り込ませ、半ば無理やり私と二人掛けの席につきました。……これってひょっとしてヤキモチを焼いてくれたんでしょうか!?
なんだかちょっと得意げな気持ちで食べたチャーハンは値段の割にとてもおいしく、シュウの「また来よう」という提案もすんなり受け入れてしまいました。
食後はトーフルの過去問に集中しているうちにあっという間に夜の11時になっていました。
「お疲れ様。すごい集中力だったね」
シュウがペットボトルの水を差しだしながら労をねぎらってくれます。お礼を言って受け取った水は甘露のようにのどを滑り降りていきました。私がごくごく飲んでる間もシュウは話を続けます。
「これならふたりで一緒にアーグルトンに行けるんじゃない?」
その言葉に一瞬せき込みそうになりましたがなんとか平静を装います。まったく、なんていい笑顔でそんなせりふを吐くんですか!
シュウがこんなことを言うのは日本語じゃなく英語で話しているからであって、特に他意はないのだと自分に言い聞かせます。でなければこの場で舞い上がってしまいそうです。
この時間になると学校へ帰るシャトルバスが出ていないそうで、私たちは4人で歩いて帰りました。
夜気が火照った頬を優しく撫でる感触に気づけば私は鼻歌を歌っていたようです。自分の浮かれ具合をさとりさっと口を押えたのですが、誰も気にする素振りを見せず、むしろニコラなどは『私の歌を聴け!』とばかりにカンツォーネを歌いだし、桜井君にやんわりとたしなめられているのでした。
桜井君たちと別れ寮の駐車場へとたどり着くと、私の部屋の明かりが落ちているのがわかりました。どうやらマキちゃんはもうお休みのようです。ここは起こさないようにそっと部屋に戻りましょう。
「シュウ、今日はとても有意義な時間を過ごすことができました。ほんとうにありがとうございます」
「なんてことないよ。それにこっちもけっこう楽しかったし。……また明日も今日みたいに勉強できるかな?」
「ええ、もちろんです。……明日は私もシュウの食べていたものを頼んでみようかしら」
「エッグロールだね。あばちゃんの店の料理はどれもおいしいけど、あれは特に一押しだよ!」
「エッグロールと言うんですね。春巻きだからスプリングロールかと思ってました……。また一つ賢くなれましたよ、私」
なんだかこのままずっと話していたくて、どうしても「おやすみ」を言うことができません。もう少し、あともう少しでいいのでこのまま……。
「それじゃあおやすみ、リア。良い夢を」
「おやすみなさい、シュウ。あなたもよい夢を」
ああ、こんな気持ちでベッドに入ってちゃんと眠ることができるでしょうか。
シュウと別れて自室へと向かうと、ドアの隙間が暗くなっていることからやはりマキちゃんが寝ていることが分かります。起こさないよう慎重に鍵を開けようとした瞬間、突然ドアが内側へと開きました!
「お帰りなさい、リアさん」
「た、ただいま、マキちゃん。起こしてしまいましたか?」
「いえ、ずっと起きていたので大丈夫です」
真っ暗な部屋の中でずっと?と言いかけて、なんだか答えを聞くのが怖くて質問を飲み込みます。私が戸惑っているとマキちゃんは笑顔で携帯を差し出しながら
「何度か電話したんですが気づきませんでした?」
と訊いてきました。
「もうしわけありません!劇場に入る際に電源を切ったままになっていました!!」
急いで電源を入れると、1時間ごとにマキちゃんからの着信が入っていて非常に申し訳ない気持ちになりました。
「私のことは気にしないでください。リアさんの劇が成功するように私も応援してますから」
「ありがとうございます」
「でももしあいつに変なことされそうになったらすぐ私に言ってくださいね」
「変なこと?」
「ええ。例えば告白まがいなことを強要されたりしたときなんか」
あれ?それってひょっとして今日の舞台での本名で呼び合う練習のことを言っているのでしょうか?どうしてマキちゃんが――?
「ところで雅也さまの秘書の笹塚さんが放課後リアさんに会いにやってきましたよ」
「笹塚さんが?」
そういえばお父様が電話でそんなことを話していましたっけ。いったい何の用なのでしょう?
「すぐにリアさんとお話がしたいということでしたが、電話がつながらなかったのでまた明日来ると言ってました」
「それは申し訳ないことをしてしまいましたね」
たしか学校を出るなとか、そんなことを言ってましたね。今日まさに学校を出て中華料理やへ行き、深夜の道を歩いて戻ってきましたが結局何もありませんでしたよ。
本当にお父様は心配性なんですから。
この時はお父様の心配が的中してしまうだなんて、私は夢にも思わなかったのです――。
普段使いのPCの電源ケーブルが千切れて急遽ツレのPCから書き込んでいます。使い勝手が違い少し時間がかかってしまいました。もしお見苦しい点等ございましたらご連絡ください。