中院凛愛と羽球
すやすやと眠るマキちゃんをそのままに、私は学校のジムへと出かけます。たしかあそこにはランニングマシンがあったはずです。バドミントン用の支柱とネットも見つけてはいるのですが、一緒にやれる人がいないので、今日の所はランニングマシンを使って妖怪退治に勤しむとしましょう。
ひとりジムで黙々と汗を流していたら、真っ黒なジャージ姿の加納くんが現れました。
「加納君、おはようございます」
「おはよう中院さん」
中院さん、ですか……。洗濯のやり方を教えてくれた時はリアさんって呼んでくれましたのに。殿方はこういうことに無頓着なのでしょうか。私はランニングマシンを降りて加納くんに問いかけます。
「もうリアって呼ばないんですか?」
「へ?」
「この前はリアさんって呼んでくれたじゃないですか」
「あれ?……そうだっけ?」
この反応を見る限りどうやら本気で覚えてないようですこの人。初めて私のことを名前で呼んだ身内以外の殿方だというのに。
「そ、それじゃあ、リアさん。こんなところで合うなんて珍しいね。……ダイエット?」
今さりげなく視線を下げましたね!そのうえで質問したということは私にケンカを売っていらっしゃいますか!?いいですよ、買いますとも。バドミントンで勝負です!!
……はっ、いけない。こんな安いケンカを買っていては女が下がります。
「加納くん……あなたはもう少しデリカシーを持った方がいいんじゃありません?」
「そうしなきゃと思うんだけどねぇ。なぜかリアさんの前では本音がぽろっと漏れちゃうんだよ」
「直した方がいいですよ、そういう所。じゃないと相手を不快にさせてしまいますから」
「う、ごめん」
謝るなら不問としますが、私の顔は御仏よりも小さいのでお気をつけあそばせ!
さてと、今度はどのマシンを使って妖怪退治をすすめていきましょうか。あっ!そういえば加納くんは以前ボストンコモンへ行ったとき、バドミントンのラケットを構えていらっしゃいましたわね。ほんとにバドミントン勝負をしてもいいかもしれません。
「ところで加納くんも体を動かしに来たのでしょう?よかったらバドミントンでもいかがですか?」
「え?ここってバドミントンできるの?」
あ、今の笑顔なんだかかわいらしいですね。いつもそうして笑ってらしたらきっと人気者になれるでしょうに。
「ええ、支柱もネットも完備されていますよ」
「そりゃいい!もっと早くここに来るべきだったな」
そしたら私たちもう少し仲良くできていたかもしれませんね。
私が支柱のある場所を教えると、加納くんはあっという間にネットを張ってしまいました。
「ずいぶん手際がいいですね」
「うちの姉がバドミントン好きでさ。市民体育館に行くと僕にネットを張らせるんだよ」
そういえば洗濯の時やけに女物の扱いを心得ていると思いましたが、お姉さんがいたんですね。
「加納くんは好きじゃないんですか?バドミントン」
「好きか嫌いかなら好きかな。球技大会では3年間バドミントン選択してたし」
おお、少しは手応えがありそうですね。
「では21点先取の3セットマッチでよろしいですか?」
「ずいぶん本格的だね。リアさんがそれでいいなら異存はないよ」
くぅ〜!久々に燃えてきました!!
「ではネットを張っていただいたのでサービスどうぞ」
「じゃあ遠慮なく!」
加納くんはそう言うとさっとシャトルを打ち込んできました!こちらの虚をついたつもりかもしれませんがこの程度のことで慌てる私ではありません!ラケットの感触を確かめがてら相手コートの奥に高く上げます。
それを返そうと加納くんが腕を振り上げた瞬間、バキッと骨のくだけるような音が私の所まで響いてきました。シャトルはそのままコート内に落ちて私のポイントとなりましたが全く嬉しくありません。
「加納くん……大丈夫ですか?」
「大丈夫だいじょぶ。ストレッチもせずに始めたから首が鳴っただけだよ。さあ続けよう」
心配しながら続けると、どうやら不気味な音がするのは最初の一回だけだったようで、順調にラリーが続くようになりました。どうやら一般人レベルではないようです。
「そのジャージ、何か運動をなさっていたの?」
「これ?これは演劇部時代のジャージだよ」
「演劇部にジャージが必要なんですか?」
演劇部と言えば文科系部活の花形であり、ジャージと対極のイメージなんですが。
「うちは体育会系演劇部って言われるくらい運動量が多かったからね。それとステージ上で真っ暗な中黒子として動くにはこれがちょうどいいんだ」
その口調から加納くんがいかに演劇部が好きだったのかが伝わってきます。学校の裏山へ初めてお揃いのジャージでランニングしたくだりなど、まるで私も一緒に参加したような気になっていました。
「素敵な部活動だったんですね」
「そうでもないよ。リアさんとこはどうだったの?大会とか出てた?」
「私は団体で関東大会に出ました。まあ参加するだけに終わってしまったんですが」
「それでもみんなで力を合わせていくつかの大会を勝ち抜いたからそこまで行けたんだろ?すごいよ」
そうおっしゃる加納くんの目はシャトルではなく遠い過去を見ているようでした。もしかしたら辛い思い出でもあるのかもしれませんね。
「どんどん行きますよ!」
「さぁこーい!」
この勝負結果は私の圧勝でした。
「まさか……僕が負けるなんて」
「私こうみえて高校時代はバドミントン部に入ってたんです」
「卑怯だ!」
「でも加納君もいいものもってますよ。すぐに私にも勝てるようになります」
瞬発力とフェイクを生み出す奇抜な発想力は目を見張る物がありました。しかしいかんせんスタミナが足りません。少し前後左右に揺さぶるだけであっという間に息が上がってしまうんですから。
「ホント!?」
「残りの2ヶ月、毎日5時間欠かさず練習すればの話ですがね」
それくらいやればちゃんとスタミナもついて私では勝てなくなるかもしれませんね。
練習と聞いて加納くんが面白く無さそうな顔をします。かと思ったら突然良い笑顔で「リアさん、合格おめでとう」と言ってきました。
「なんですか突然?」
「昨日は人に囲まれてて言えなかったから」
「たしかに昨日のパーティーはなんだか慌ただしかったですね。そういえば加納くんも合格したんですよね。おめでとうございます」
「ありがとう。リアさんが勉強頑張ってたのって、独り立ちの一環?」
なんだかすんなり流されてしまいました。成績表を受け取った時も能面のような顔をしていましたし、加納くんにとって合格くらい当然ということなのでしょうか。
「それもあります。でも一番は周りの期待、ですかね。私の友人はみんな、私が1番にトーフルを合格するに違いないと信じてましたから。皆さんが信じてくれた分、その期待に答えたいと思うのが人というものではありません?」
「たしかにそうだね。僕も信じてくれる人のおかげで今回合格できたようなものだし」
あ、また良い笑顔しています。そういえば加納くんは高岡先輩と一緒にいる時もこんな笑顔をしてますよね。
「高岡先輩とはもう付き合ってらっしゃるんですか?」
「ままま、まさか、そんなわけないじゃん!」
「あら、そうなんですか?あんなに仲がよろしいのに」
そんなに頬を染めていては本音は丸わかりですよ。
「そうだ!この前のお礼もかねて、私が加納くんと高岡先輩の恋のキューピッドになって差し上げましょう」
「え!?いや、僕は、そんなだいそれたこと考えてないよ。い、今はトーフルの成績を上げる事が最優先で……」
「私は高岡先輩の方にも少なからず好意があると考えてますのよ」
カフェテリアではいつも一緒にいますもんね。好意が無いわけないじゃありませんか。
「ほんとに!?」
「……だいそれた事は考えてなかったのでは?」
「嘘つきました!すいません。でも具体的にはどうするの?そもそもリアさんと先輩に接点が無いじゃん」
「そうですねぇ……。そういえば加納くんは次の懇親会の予定など聞いてます?」
「懇親会?」
「ほら、前回私たち運動ができる服装じゃありませんでしたから、懇親会を途中で抜けましたでしょ?」
「ああ、あったねそんなこと」
「そのとき高岡先輩にジムでのお手合わせをお願いしたんですが、未だに返事が無くて……」
ひょっとしたら忘れていらっしゃるのかもしれませんが、私から言うのは催促しているみたいで気が引けてしまいます。
「私が懇親会をしたがってると加納くんから高岡先輩にお伝えください。そこであなたと先輩がペアを組めるように動いて差し上げますから」
「すごい……完璧な計画だね!」
「私にかかれば朝飯前です」
そういえば今日は朝ご飯を食べていないのでお腹が減ってきましたわ。でも未だ妖怪腹回りが退治できていません。
「さあ、加納くん。3セットマッチでしたわよね!休んでないで始めますよ」
「あ、あと5分……いや3分だけ休憩させて〜」
まったく、頼りないですねぇ。
休憩を挟み挟み、結局5時間ほどバドミントンをしていました。妖怪腹回りはいつのまにか消えていて、これなら用意したドレスが無駄にならずに済みそうです。それにしてもすごいのは加納くんです。スタミナが無いくせにここまで私についてきたんですから。……最も今は生きる屍のようになっていますが。
「やりますわね。でも今日はここまでにしましょう。今日は午後から約束がありますので」
「約束?高橋さんたち?」
「いえ。実は今お父様がボストンに滞在してるんです」
「リアさんのお父さん!?」
「はい。心配性な父で『1ヶ月も会ってないんだから顔を見せろ』と言うんです」
「なるほど!だからダイエットしてたんだね」
「デリカシー!」
感心するようなことをしたかと思うとすぐコレなんですから!こんなことじゃ高岡先輩との仲だって悪くなるかもしれませんね。キューピッドたる私がちゃんと支えてあげなくては!
「もう!何にも言わずにどこ行ってたんですか。心配したんですよ」
「ごめんなさいマキちゃん。今日のドレスが少しキツくなっていたので体を絞ってきたんです」
「昨日あんなに食べ過ぎるからですよ」
そ、そんな言い方しなくても……。
「わかってたなら教えてくれてもいいじゃありませんか」
「私が目を離した隙に詰め込んだのはリアさんじゃありませんか!もう」
「もうしわけありません……」
ここのところマキちゃんとの間にあった壁がだいぶ小さくなったような気がします。お互いに名前で呼ぶようにしたのが功を奏したのかもしれません。
加納くんも私のことリアさんと呼んでくれるようになりましたし、私も下の名前で呼んだらもっと仲良くなれるでしょうか。えっと、たしか加納くんの下の名前は……あれ?なんでしたっけ?たしかスワロフスキーと似た響きだったと思うのですが……。
 




