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リアのメモ帳

 リアがいつも通りの笑顔を浮かべるようになって数日、僕は彼女に何も問いただせないまま最後の稽古日を迎えていた。




 あの日、『将来は僕と一緒に舞台に立ちたい』というリアの発言に周囲は色めき立った。パメラまで周りの学生と一緒に口笛を吹いていたが、僕はちっとも嬉しくなかった。なぜならその言葉を発するリアの笑顔が作り物だと知っていたから。


 だからと言って、リアに直接「何かあったの?」と訊くような真似はできなかった。だってそう訊かれたくないから表情を作ってまでいつも通りでいようとしてるんだろうし、あと単純にここ数日リアと2人きりで話せる時間が無くなっていたからだ。


 稽古を終えるとすぐ、リアはタクシーでリアパパの元に直行し、戻ってくるのは翌日の授業開始直前で、まともに会話をする機会が無くなっていた。稽古中も僕とリアはもう十分だからと、僕はロミオ役の、リアはジュリエット役の指導をする事になってしまって、わずかに話せるチャンスと言えばカフェテリアのランチタイムくらいだった。


 そのランチタイムで出る話題も「エリオがこんな技を覚えた」だの「ダンスの相手の目が血走っていて怖い」だの「ソロを任せてもらえて嬉しい」だのと、リアは聴き手にまわるばかりで、僕に会話のチャンスを与えてくれはしなかった。




 そして今、最後の通し稽古をする僕の心はモヤモヤでいっぱいだった。もうすぐ第4部が終わるというのに頭の中はリアで埋め尽くされている。隣りを見ればすでにジュリエットとなっているリアがサイレント映画よろしく演技をしている。何かを抱えるような仕草の美しい手指は、本番ではロミオの亡骸なきがらを包むのだろう。


 こんな事ではリアの演技に負けてしまうぞと僕は気持ちを切り替える。といっても簡単にモヤモヤを吹き飛ばせるわけではないので、その鬱屈とした気持ちを全て演技にぶつけることにした。すれ違いで死んでしまったジュリエットに「どうしてこんなことになったんだ!」と——。




 そして最後の稽古も終わってしまった。さっと舞台を離れるリアに今日もこのままホテルへ行くのだろうと思ったら、リアは以前ここで勉強していたときのように控え室で僕の事を待っていた。


「シュウの今日の演技、どこかいつもと違いませんでしたか?」


 リアがちゃんと僕の事を観てくれていた事、久々に2人きりで話せる事、そして貼付けた笑顔じゃない事にまずはホッとした。


「そうだね、今日の芝居はロミオというより僕そのものだったかもしれないな」

「あれがシュウそのものなんですか?なんだか荒っぽいように感じましたけど」


 誰のせいだ思ってるんだという言葉を飲み込んで、本番では気をつける事を誓い、僕は久々にできたリアとの2人きりの時間を有効に使う事にした。


「今日は一緒に残り稽古できるのかな?」

「……ええ。これが最後ですからね」


 最後という言葉に不吉な響きを感じるも、僕は努めて明るくリアに問いかける。


「どこか練習しておきたいところある?」

「そうですねぇ。直した方がいいところは……」


 そう言いながらリアは分厚いメモ帳を取り出して僕にも見えるようにゆっくりとページをめくっていった。そのメモには日常生活で知った英語の知識やアメリカの習慣、やることリスト、そして劇の映像を観て気になった事などが事細かく記されていた。


「あ、覚えていますか?シュウが私に洗濯機の使い方を教えてくれた日のことを」

「ああ、懐かしいね。なになに……『クォーターは25セント。銀行で両替する事。』ハハハ、こんなこともあったね。お?『ペッ君にJ-POPを翻訳する事。』ペッ君懐かしいなぁ。もうタイに帰ったんだっけ」

「そうですね。こうして見ると一緒に卒業式に出られない人がけっこういますね」


「ん?『お嬢様言葉に気をつける!』……何これ?」

「こ、これは……まあ、今更隠しても仕方ないですね。私、実は俗に言う『お嬢様学校』に通っていたんです。幼稚園から高校までのエスカレーターで、私自分の喋り方がこんなにも皆さんと違うなんて思いもしませんでした」

「ああ、『ですわ』とか『ごきげんよう』ってやつね」

「気付いてたんですか!?」

「気付かないわけが無いよね?」


「私は真由子さんに教えられて初めて気付いたんです。それ以来できるだけ使わないようにしてきました」

「なんで?あの喋り方、か、かわいかったよ?」

「ほんとですか?変じゃありません?」

「今でもたまに『ですわ』出るよね。レアになってたから楽しみにしてるんだ」

「そんな楽しみ方やめてください!」


「これは……携帯の番号?ああ、充電が切れたときの対策か」

「ええ。独立記念日ではみんなとはぐれた上、誰とも連絡が取れなくてどうなるかと思いましたから」

「知らない土地で1人になるのって怖いよね」

「ええ。あの時はシュウを見つけてほんとにホッとしました。こんな人でもいないよりマシだなって」

「……ずいぶんなこと思ってたんだね」

「フフフ。私最初はシュウの事、大っ嫌いだったんですよ?」

「ええっ!?」


「なにせ初対面が最悪でしたからね」

「初対面?いつの事言ってるの?」

「日本の飛行場で初めてあったときですよ」

「……そんなころから接点あったっけ?」

「あのときはシュウが1人だけ場違いな格好をしていたので、私が『ここは私たちの待ち合わせ場所なんですが』って」

「ああ!あの時の高飛車な——いえ、おのときのお嬢様がリアだったんだ!ひょっとして留学生ってみんなこんな人ばかりなのかと不安になった覚えがあるよ」

「シュウこそずいぶんな事思ってたんじゃないですか……」


 リアが正直に見せた拗ねた顔にハハハハハと自然な笑いがこみ上げてくる。それにつられてリアもフフフフフと口元を押さえながら上品に笑い出す。ひょっとして『その仕草もお嬢様っぽいよね』と言ったらやめてしまうのだろうか。僕はリアのお嬢様っぽいところも嫌いじゃないから喉まででかかっていた言葉を飲み込んで、どんどんメモを読み進めて行く。


「……この辺は稽古に関することばかりだね。あ、僕が言った事ちゃんとメモしてくれてたんだ」

「ええ。この劇はなんとしてでも成功させたかったんです」

「このページは劇の映像を見てのの感想だね。『ボサボサ』……このメモのおかげでずいぶん頭がすっきりしたっけ」

「そんなイヤミな言い方しなくても……」

「冗談だよ。劇本番でカツラを両面テープで貼付けるハメになったこと意外は、この髪型気に入ってるんだから」

「うぅ……やっぱりイヤミですよねそれ」


「『衣装の直し』……マキちゃんに直してもらったおかげでずいぶんよくなったよね」

「ホントにマキちゃんにはお世話になってばかりです」

「ばかりってことはないでしょ。僕はマキちゃんにトーフル教えてあげたり技の練習台になったりしてあげてるし。リアはそばにいるだけでマキちゃん幸せそうだし」

「私としてはもっとマキちゃんに何かしてあげたかった……」


「たった3ヶ月のことなのにメモ帳すっかり埋まっちゃってるね。最後のページは……今日の通し稽古の反省点か。ホントにこの劇にすべてをかけてるねぇ」

「もちろんです!それでですね……最後にもう一度練習しておきたいところがあるんですが」

「オッケー。劇場の鍵が閉まるまで付き合うよ」

「ありがとうございます。私が気になったのはこの点なんですが……」




 そうしてリアが指差したメモ帳の最後の1行には『ステキなキスの交わしかた』と書いてあった。

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