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逢魔荘  作者: 上井椎
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第6話 近付く足音

 窓の外は赤く染まり、どこからかチャルメラの音が聞こえていた。

 こんな民家の少ない場所でも通るんだな、なんてどうでもいい事を思いながら、俺は買って来た袋をドンと机の上に置く。


 加藤から聞いた逢魔荘の話。あれはきっと、事実だ。俺は、この部屋で起こった事をほとんどあいつに話していない。それなのに加藤が話したお婆さんの話は、俺やこのアパートに住む他の住人の現状と重なるものがあった。


 余計な事をしなければ、何も問題ないだろう。


 そう、加藤は言った。しかし俺は、引っ越し初日に部屋にあった盛り塩を捨ててしまった。きっと、あれが立て続けに起こる奇妙な出来事の原因なのだろう。

 ならば、再び用意すればいい。元通り、盛り塩を用意するのだ。そう思い、俺は帰りにスーパーへ寄って塩を買って来たのだ。


 ピンポンと玄関のチャイムが鳴る。訪れたのは、白いワンピースに薄桃色のエプロン姿の隣人だった。


「帰って来るのが見えたので。あの、お夕飯、作って来たんです」

「わあ、ありがとう! どうぞ、中に入って」

「お邪魔します」


 柳花さんは律儀に言って、部屋へと上がる。妙な出来事さえ無ければ、最高の新生活なんだけどなあ。

 部屋に入った柳花さんは、机の上に置かれたスーパーのビニル袋に目を留めた。


「あら? もしかして、買って来ていましたか?」

「あ、ううん。これはご飯じゃないよ」


 俺は、ビニル袋の中身を取り出す。ふっと、柳花さんの顔から表情がなくなった。


「……もう、無駄なのに」


「え?」

「いいえ、何でもありません。さあ、食べましょう。冷めちゃいますよ」


 てきぱきと持って来た料理を皿に取り分ける柳花さんは、いつもと変わらぬ穏やかな笑顔だった。

 俺の気のせいだったのかも知れない。


「柳花さんって、いつも自分でご飯作ってるの?」


 ちゃぶ台の前に座りながら、俺は問う。柳花さんは柔らかく微笑んだ。


「いつも何品もという訳ではありませんが……」

「へえ、でも凄いよ。俺も、自分で作れるようにならないとなあ」

「昨晩は、どうされたんですか?

 ――誰か、いらっしゃっていたようでしたが」


 すうっと柳花さんの目が細くなる。俺をじっと見つめる瞳はいつもの優しいものではなく、俺は箸を止め身動き一つできなかった。


「可愛い女の子でしたね。小柄な女の子。とても仲がよろしいようでしたけど、でも、稔さんとはタイプが違う……少々、派手な子のようでしたが……」

「え……い、妹だよ。俺の……引っ越しの日にも来てたんだけど、見てない?」


 ふわりと、柳花さんは微笑った。


「ああ、妹さんでしたか。これは失礼しました。昨日、初めて拝見したものですから」


 俺はふっと肩の力を抜く。

 なんで、こんなに緊張しているんだ?


「稔さん、妹さんがいらっしゃったんですね。二人で部屋に入って行くのを見かけたのですが、どのようなご関係か分からなかったので、声をかけてはお邪魔になる気がして」

「ああ……それじゃ、あの時の視線は柳花さんだったのか。別に、声をかけてくれて良かったのに。あ、でも、あんまり家族の話ってしない方がいいかな……」


 柳花さんは、天涯孤独の身だ。詳しいいきさつは聞いていないが、家族と生き別れているようだった。この話は、地雷だったかもしれない。

 そう思って聞いたのだが、彼女は首を振った。


「いいえ、大丈夫です。むしろ、ぜひ詳しくお聞きしたいです。稔さんの、妹さんのお話。何てお名前なんですか?」

「唯だよ、高橋唯」


 言ってから、ふと胸の中に疑問が浮かんだ。


「――そう言や俺って、柳花さんに下の名前いつ話したっけ?」

「何をおっしゃってるんですか。引っ越しのご挨拶にいらした時に、フルネームで自己紹介してくださいましたよ?」

「あれ? そうだっけ、ハハ……」


 なるほど、言われてみればそんな気もしなくもない。どうして、こんな事を疑問に思ったのだろう?


 その晩は、主に俺の家族の事を話して聞かせた。唯の話、両親の話。

 柳花さんはいつものように優しく微笑んで、俺の話を聞いていた。




 食事を終え、隣の部屋へと帰る柳花さんを俺は玄関先まで見送った。


「ねえ、もし良かったらさ、今度料理教えてよ。俺も、作れるようにならなきゃいけないからさ」

「いいですよ。でも……」


 柳花さんは、少し困ったようにうつむく。

 あ、あれ? それくらいならもう頼んでも問題ない仲かなと思ったんだけど……まずったか?


「ご、ごめん。忙しいよね。自分で作るのと人に教えるのじゃ、手間が全然違うだろうし……」

「あっ、違うんです! その、稔さんが自炊できるようになってしまったら、その……私の手料理を、こうして食べてくれる事がなくなってしまうかなって……」


 柳花さんの白い頬には、赤みが差していた。

 思わぬ返答に、俺まで顔が赤くなりそうだ。思った以上に、彼女は好意を抱いてくれているらしい。


「そ、そんな事ないよ! やっぱり柳花さんの料理が一番だって。これからも、どんどん作って欲しいな。柳花さんさえ、構わないなら……」

「ありがとうございます。それじゃ、これからも持って来ますね?」

「う、うん」


 ガクガクと俺はうなずく。

 柳花さんも料理も大歓迎なんだ。それを断る気なんて、俺にはない。


「それじゃあ、私はこれで。おやすみなさい」

「うん、おやすみ……」


 扉を出ようとして、ぴたりと柳花さんは立ち止った。俺は首をかしげる。


「どうし――」


 柳花さんは振り返り、笑みを浮かべた。



「もう、中に入ってますよ」



 パタンと扉が閉じる。

 少しして、隣の部屋の扉が開閉する音が聞こえた。


 俺はただ茫然と、その場に立ち尽くしていた。






 柳花さんが帰って、俺は記憶を頼りに見様見真似で盛り塩を用意していた。その間も、頭の中には柳花さんが最後に残した言葉が響き続けていた。


 ――もう、中に入ってますよ。


 あれは、一体何だったのだろう。浮かべた笑顔も、いつもとは違う類のものだった。ぞっとするような、冷たい笑み。

 俺は妙な考えを振り払うように、頭をぶんぶんと激しく振った。

 考え過ぎだ。加藤の話を聞いていたから、そんな風に見えたのだろう。柳花さんを疑うなんて、どうかしている。


 元々あった靴箱の中、それからついでに部屋の四隅にも盛り塩を置く。軽く調べた時に、部屋の四隅に置くと結界だとか何とか書いてあるのを見たのだ。

 こんなものがどの程度効果があるのか分からないが、そもそも心霊なんて物自体が眉唾物な存在なんだ。霊の存在が事実なら、対抗手段となる結界の存在だって事実だと仮定していいじゃないか。


「……これで良し!」


 全ての盛り塩を設置し終え、俺は満足げにうなずく。

 これで、今夜は安眠できる。そう、思っていた。






 何時だかは分からない。真っ暗闇の中、俺はふっと目を覚ました。

 特に夢を見た覚えはない。悪夢を見なかったのはいいが、寝たような気がしない。

 身体が酷く重い気がする。寝返りを打とうとして、俺は指一本動かせない事に気が付いた。


 金縛りだ。


 落ち着け、自分。金縛りってのは、身体が寝ている状態で目が覚めた時になるものだ。こんな突然目を覚ませば、動けないくらい何ら不思議な事ではない。

 首を動かし、左側にあるベランダへと続く窓を確認する。カーテンの向こうは、まだ暗い。まだ起きるまで時間はありそうだ。もう一眠りするとしよう。

 ……待て。


 どうして、首だけ動くんだ?


 どくんと心臓が鳴る。

 本来の物理的な金縛りなら、首だって動くはずがないのだ。身体は眠った状態なのだから。


 まどろんでいた頭が、急激に覚醒する。もう、二度寝なんてできそうにはなかった。

 やばい。そう思った時、カン……と幽かに金属製の物を踏みしめる音が聞こえた。

 階段を上る音だ。俺は瞬時にそれを悟った。このアパートの階段は、よくある非常階段のように鉄製のものだった。上り下りすれば、カンコンと高い音が響く。


『寝ていたら、近付いてくるの。ゆっくり、ゆっくりと』


 見知らぬ老婆の声が、聞こえて来るかのようだった。

 カン……カン……。足音はゆっくりと、だが着実に階段を上って来る。じわり、じわりと、“それ”は忍び寄って来る。


 カン……カン……パタ……。


 足音が響かなくなる。階段を上り切り、コンクリートの通路まで上がって来たのだ。

 心臓が、早鐘のように鳴る。

 こんな時間に訪れる客が、心地よいものだとは到底思えない。

 身体は依然、動かない。焦れば焦るほど、どんどん身体が重くなっていく。まるで重い壁に押しつぶされているかのように、苦しかった。




 コツ……と玄関の扉に何かが当たる音がした。


 ――“いる”。玄関の前に、立っている。


 音はぴたりと止んだ。しかし、帰っていないのは分かっていた。身体はまだ、動かないままなのだ。

 一瞬一瞬が、途方もなく長く感じられた。

 玄関の前で、一体何をしているのだろう。じっと動かないこの状況は、物凄く嫌な感じだった。かと言って、中に入って来られるのは嫌だ。

 消えてくれ。このまま、そこで消えてくれ。それが一番、好都合だ。

 しかし俺の願いも空しく、ガチャリと扉を開ける音がした。


 ――なんでだよ!? 鍵はかけたはずだぞ!?


 ギィ……と床が軋む。あれは、流しの前の辺りだ。足音は真っ直ぐに、奥へと進んで来る。

 パタリと再び、足音が止まった。

 見たくない。見たくないのに、俺の首は足元を向いていた。


 そこには、影があった。

 小さな影……子供か? 真っ暗闇の中、分かるのは輪郭のみ。小さな身体が、俺の上に覆いかぶさり、顔の方へと這い寄って来る。


 首に、ひんやりと冷たい手の感触が触れた。


「う……うわあああああ!!」


 何とか絞り出した叫び声は、酷く掠れていた。

 身を捩って起き上がり、天井から下がる紐を引く。一、二回の明滅の末、部屋の中は煌々と照らし出された。


 子供の姿はすでに消え失せ、玄関から布団まで何かを引きずったように濡れた後が残されていた。

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