Ⅳ-ⅩⅣ 暇は半刻 日は高く
再度水煙が立ち上った時に、片木梨は嫌な予感しかしていなかった。そんなところから戻ってくるやつで、しかも水面に立てる人物は限られる。水煙の白さと下の騒ぎが静まったのより、先ほどの水しぶきの多さから何事だと思うのもしんどかった。影の術式と近づいてきている水の術式が戻ってこなければいいと思う程度には。またか。という言葉しかないからだ。
「よっと、文句言う前に俺の幕を四半時立ち入り禁止で。まぁ、この陽気ならなんとかなるだろ」
「それが、お前の意見か井双路」
影の術式を解除してない塊が誰かなんて分かりきっているが、結局手をかす羽目になったではないかと、片木梨の苦い顔と、自分の幕内に入っていた斡辰が顔を覗かせた。
幕のうちに女をひきいれているなんて事がばれれば、それこそこちらの威信にヒビが入って、砕けるどころではすまないというのに、何をやっているのだろうかと。なかば遠い目をしている片木梨は、井双路がつれてきて放り込んだ式陣使いのいる幕のほうをみようともしなかった。
「すまんな。あの場というか服が軽く乾くまでの間らしいから、すこーしだけ我慢してやってやれよ岩」
「その呼び方で呼ぶな。井双路。貴様が何を考えているにしたって何故こっちにつれてくる必要がある。下隊のほうでも結界の一つでも奴に晴らせればすむ話ではないか。なのに」
お話をさえぎるために皆までいってないけれど、そもそもそんなものの張り方を知らないわけでして片木梨様。
「結界の張らせ方説明してたらそれだけで時間をくうからもっと、大騒ぎになっていたと思うけどな。あとねー、仮にも男の名前で契約している奴が、女でしたーってする場じゃないだろと俺は」
ええそうですとも、井双路様。ですけどあそこまで派手に水中から出てくるなんて聴いていませんでした。正直担がれていたとはいえ恥かしいの一点です。
春明は幕を隔てた向こう側で低く言い争っている二人の話し声に相打ちをするように、心の声で答えていた。なぜかと問われれば、そりゃ、片木梨様のつっこみを受けるのを少しでも遅らせるためだったのだけれど。水中から一気に出てきて井双路様の肩にゆられながらつれてこられた先は、先日とあわせて二度目になる斡辰様がたの主幕の中。
井双路様がつれてきたのにぎょっとして後ずさった片木梨様と、流し目をするみたいにこっちをちらっと見ただけで直ぐに自分の仕切り幕に引っ込んでしまった斡辰様が何を考えているのかをうかがい知る事はできそうに無い。ただ、片木梨様がその斡辰様のお怒りというかおしかりというか、説教を代弁しているであろう事だけが分かるばかりである。下ろされてから直ぐに影の術式を解除したが、そのときに目線があっただけで射殺されるかと思うほどだった。視線で人を殺せるとかいう魔法なりなんなりを聞いたことがあったけれど、実際に人を殺せるだけの視線なんて小説か漫画の中くらいしか体感する事は無かったし、なによりそこまでの怒りを向けられたことは無かったのだ。ただ、先日みたいに本気で掛かってきているというときよりも、殺されそうだという感覚が両肩をびりびりさせるくらいに伝わって、井双路様が隣に居なかったらまずへたり込んでいたと思う。
今は井双路様が貸してくれている幕の内側で上着とズボンを脱いで滴る水滴を岩場にこぼしている状態である。井双路様の幕は日差しが少しはいるような形で張られていて天井の一部が括り紐で結ばれているところをはずすと、お日様が入ってくるのだ。上の人が寝食するところなだけもあり、作りは立屋の棒と紐とを渡して作るような簡単なつくりに比べると、しっかりとしていた。尾日さまが照っているうちにかわかす所は、と確認すると、下がっている紐のようなものがあり、そこに井双路様がつけていたらしい襟に巻いていた何かが掛かっている。他には軽いかかり紐と椅子と本当に少ない物品しか置いていなかった。
一緒に干したら濡れてしまうだろうと、そっとそれをとって下ろしたあとで小さく畳むと、おいてある椅子の上にそっとおいておく。物音に、井双路様が片木梨様との会話途中でこちらを心配するように声を掛けてきて思わずどきりとした。覗くような人ではなさそうだが、やはりこういうところでも羞恥心くらいはある。
「で、春明ちゃん。かかるとこはそこの紐と、俺の襟掛けを下ろしておいてくれ」
「ありがとうございます。椅子の上に今畳ませてもらいました。井双路様」
「ならよし。四半時は譲る事はできないからそれまでに乾いてなくてもだ」
井双路様も親切なのかどうかと少し悩むところだが、さっきの判断はどういう形だったのだろうかと、春明は脱いだ服を乾かしている間ふむと考えた。脇の影が僅かに波立ち、自分の首筋が熱くなるとさっきまで影の術式の中に隠れていた黒乃が、何かを口にくわえているではないか。
「黒乃? 何を。あああ。私の荷物か。ありがとう。中に多分タオル二枚くらい入ってたはずだから助かる」
『たおる? ですか、とりあえず御方が何かしか必要かと思いまして、内に入れておきましたものですが』
黒乃によって出された肩掛けバッグは、汚れた様子もほとんどないあの時のままだった。春明がそっと中を開けば、そこには大学講義にもっていった教科書とノートに筆箱といった、日常だった品物がある。横にある広口ジッパーを開いていくと、使い込んである白い商店街の名前いりのタオルが顔を覗かせる。手にとって広げてみて少し湿っているかもしれないと思っていたタオルは、思っているよりも充分柔らかいし、乾いていた。
びしょぬれの身体を拭くには小さめだが、文句はない。下着までを脱ぐ事はできないけれど、せめて上の下着くらいは外しておきたい。こっちを見ている金目の竜は雄っぽいけど、流石に人じゃないから女性の身体に欲情する事は無いって思うし。上着とズボンを脱いだ時も反応ほとんど無かったかったから、おそらく何とも思っていないはずだと、春明は思うことにした。そうすると、濡れている上着類はともかく、下につけているブラジャーをはずすかどうかは悩むところになる。
「一応水中偵察という名目で~」
「そんなのを水中に一々潜る必要が~」
井双路様たちの春明が水の中にそのままいたことになった説明の必要性とやらについて話しているのが聞こえてくるが、傷口にぬった軟膏もはがれているし、靴下やその他はぼろぼろ、体の傷に巻いてある当て布とかもはがさなくてはならないだろう。声がこちらに向かない限りは大丈夫だろうか?と、不安はあるけれども、濡れたままだとどうせ身体がすれて痛いだけだ。
喧喧とした二名の話し合いはこっちに向く気配もなさそうだし、幕内に来る気配もないので、春明は葛藤はしていたが短く答えを出すと、ブラジャーを外し同じように自分の服の隣に掛けておいた。引きずり出しておいた身体を拭くようのタオルとは別にもう一つ、長めのタオルを入れておいたので、それで代わりに胸元をかくすように巻くとやっと落ち着くことが出来た。我ながら見られてもいい姿ではないが、隠せるところが隠せているならば問題はない。
「春明ちゃん。なんとかなりそうかい? 片木梨がはやくしろってせっつくんだよ。水滴とばすのに術式使えとかまで言い出しそうなんだが」
「冗談でもそんなことはいっとらん! だが、お前がそうしたいならそうすればいい。この状態がどうしてなのかまで得心のいく説明になっておらんと俺は何度言えばいいんだ、井双路」
「お二方が話しているのにどういったらいいか、私には話しの取っ掛かりがありませんので、答えられませんよ井双路様」
なおかつ下穿きとタオルだけの格好で答えられるかと言いたい。声を掛けられそうに無いと思っていたところでこっちに話しを振ってくる井双路様は、白い幕を通しているとはいえども、かなり近い所に立っているのだ。話しかけられただけで、春明が胸元のタオルを強く引き寄せそうになったのもそのせいである。だが、ふと、そんな中もう一つ気づいた事のせいで春明は声を硬くせざるえなかった。光がさんさんと降り注いでくるのはいいことだ。でも、あたっているこっちの面があるという事は……反対側にある自分の影は? 気のせいじゃないはずだ、幕の向こうからこっちに声が向いているなら見えている。
「いそ、井双路様。もうしわけありません、こっちは向かずに話してください。おねがいします。片木梨様もです」
「ん? 何か問題でも? 」
「わかっているかどうかしりませんけどね! シルエットうつっているから見られるのが嫌なんですよ! 体の線見られたくは無いんです! それとも見たいほど変態ですか?! エロですか?! 」
大声とまではいかないが語尾の強くなった声で、春明がそういうと、向こう側から強い咳払いの音が聞こえじゃりっという足音が遠ざかっていく音が聞こえた。もうひとりのほうはクスクスと笑いつつも、「それは失礼」と、軽く流して同じように立ち去っていく。




