Ⅳ-ⅩⅢ 昇り手に花
いつしか十人くらいが川の中に飛び込みつつ、衆目が増えつつしていた川の周りには休んでいた兵でさえ立ち上がって様子を見るものも出てくるほどになっていた。目当ての人物が見つからないので、周囲もざわついている中、「またか」という声が多数聴かれたが、それぞれが呆れたように声を返しあうだけである。術式使いが水中に放り込まれてまだ見つからないというのは、彼が軟弱者だという事しか意味しなかった。
数えしてもそれほど経ちはしていないが、人が水に潜るだけなら長い時間は既に術式使いは過ごしている。流れに何人もはいっていって深みを見たりしているが、唯一水底に彼がいたといっている本人だけは苦しさを隠しもせずになんども深みへとその身を沈めていき、見つからない度にぜぇぜぇと大息をついていた。同じように別の場所をみながら山谷のような組み合わせの男たちが息をつきつつ深みと浅瀬に近いあたりを探しているがそれらにも見つからないようだ。
続いてはいっていった人のいいもの達もくわわっての捜索は、行軍中とは思えないほどである。
吉郎は身を投げられて受身も取れないまま水中に沈んでいった春明へと急いだ。怪我もだが、水にはいることを拒んでいた身では恐らく泳げないのかもしれないという思いが彼の頭にあり、水中に放り込まれる前も二人組みになんども拒否の言葉を述べていた。
拒否をしているし、怪我人にあそこまではするまいとタカを括っていた自分が悪い。
そんな自分のせいだといわんばかりに、水中に幾度も潜っても、春明の姿は見つからない。荒く息をついて何度か水を吐き出していたが、吉郎は水中に潜る事を止めなかった。ざわめきを聴いている耳はより、水中の水の流れる音の中に彼の泡音がないか、この目に人の姿らしき形はうつらないだろうかという事ばかりが頭を占める。一度掴みそこなった体は沈んで流れてしまったかもしれない。水上に浮かび上がるのも惜しくて息が口からこぼれていくのに、水が中に入ってもこらえて岩の周囲を探したが、そこに横たわっているかもしれない人物の姿は無い。
再度あがった水面でがっしりと肩ごとつかまれなかったら、もっと深みまで潜っていただろう。呼吸も覚束なくなっていたので、また水の中にもぐることが出来ず体が前のめりになった。だが、それを支えられないほどに吉郎は呼吸を整えられておらず、明らかに無理をしきっているのが見た目でも分かる。紫になり始めている唇のはしは自分には見えていないだろう。
「とめ、るなっ。誰だか知らんが」
言葉をかわすのさえ惜しいと、吉郎はとめにはいった人物の静止を振り切ろうとした。
だが、相手はそれをさせないように更に強く力をこめ、吉郎が潜ろうとするのをがっしりととめる。肩の骨のあたりに食い込んだ指が痛かった。
「駄目。お前、もぐりすぎ。おまえ、息続かない。それじゃ、水沈む」
片言のような、単語を区切った話し方をする妙な男を振り返ると、自分より頭一つ以上水面から身体を覗かせている男が肩をがっしりと捕まえているではないか。吉郎は大きさに一瞬息を呑んだが、人の体をしていることと、目が真っ直ぐで自分を覗き込むようだったのもあって、驚きはすぐに薄れていった。水の当たる面積が広いせいか水しぶきも随分とあがっているのに体勢をくずす様なことも無い立派な体格だ。
片言の大男が吉郎をしっかり捕まえていると、隣に小柄な男がもうひとりざぶざぶと泳いでやってきた。
「おいよ、どうだ夏緒。そっちには姿とかあったかよ! 」
「ない。聡円もあった? 」
「いねぇ。畜生、こんなんだったら投げるとか言わなけりゃよかったぜ。まさか泳げねぇとか」
はっとして吉郎の視線が聡円と呼ばれた男へと注がれる。たしか、春明が放り込まれる切っ掛けになったのはこの男の一声と、隣にいる大男が投げ飛ばしたからではないか。少し前の記憶がはっきりすると歯を音鳴らし、吉郎は小さいほうの男へと手を振りほどいて身体を向けた。
荒かった息が静まっていくと、思わず吉郎は聡円へと掴みかからずにはいられなかった。
「お前か! 春明が泳げもしないかもしれないのに水に放り込んだ馬鹿野郎は! どうしてアイツが断っているのに放り込んだんだ! 事と次第によっては只じゃおかんぞ」
水で冷やされていた体が急に熱くなったように感じられる。元凶を目に自分の冷え切っていた身体も呼応したようだ。聡円と呼ばれた男へ自分がされたように肩をつかみ、吉郎は眦をあげた。
「そりゃ悪かったとは思う。だが、あいつは自分で入れる口調をしてたし、俺はたしかにアイツが後で水場に一人で行くといっていたから、仲間入りできねぇもんだとばっかり思ってたんだよ」
上着を着ていない小柄な男の身体をつかむことは出来なかったが、首元のあたりを強く掴むと怒声のままに彼へ声を荒げた。春明の正体を知らないとはいっても、彼が促した事が今に繋がっているのを思えば、吉郎の怒りはとめ難いものだろう。
「二人、言っている。春明はまだ水の中だ。まだみる。けど、お前は駄目。顔青い、くちびる色変。長くもぐりすぎだ」
「そりゃ長くも潜るだろうさ! 見つからなければ春明に大事があったことになるんだ。大体なんだ! お前のその口ぶりは」
へんな言い方をする男に対しても怒りがわいてきて、思わず彼を振り払い、拳で強く胸板を叩いた。微動だにしない大男にもう一度なぐりつけたが、男はびくともしない。僅かに流水に身体を揺らされ、流れに逆らう波が出来るだけだ。そんな波に逆らう僅かな水の流れが水中から、ゆっくりと上に向かっているのに、傍でみていた江頭が水中から上がり、岩に昇っていった。術力を感知するとあとは何が来るのかだが、この覚えのある術力は二人しかいない。
「おやまぁ。こりゃここでは逃げ切れんか」
江頭が三名を見おろす様に見ていたところから諦めたような声を漏らした時だった。
唐突に水流が巻き起こり、吉郎達がいくども探していたところよりも下流のところから水柱が迸った。呆気にとられている三名も水柱から降り注いでくる水の礫を受けてたじろいだ。水流に思わず、副隊長格が何名か刀をとるほどの術力だったろう。
術力の波長自体に覚えのある隊長格は動きをとらなかったが、その様にやれやれといった風情の顔をしているのは仕方ない事だ。水流を吹き上げた中で水面に水しぶきのような白波を立てつつ、立っている人物をみればこの騒ぎも終わりだろう。肩に担ぎ上げられている黒い塊が尚の事それをはっきりさせていた。
「やれ、術式の乱発はよろしくないとは言ったが、水流に隠れる隠蔽術式を使いこなしすぎているのはちとやりすぎだ。春明よ」
黒い塊に向かって事も無げにはなしかけた人物の声は誰もが聞き覚えのあるものだろう。水流から現れたにしては頭髪にも水滴を僅かにつけただけであるその姿は術力操作が卓抜している事の証だ。斡辰に並ぶ水術の副属性使いであるあの白い陣幕の向こうにいるはずだった、水煙の井双路がそこに立っていた。
川に身を浸していたそれぞれが呆気にとられていたが急いで水流からあがろうとする者や、水場で礼をとろうとするもので周囲は大慌てである。そんな中井双路に話しかけているものもいた。
「おや、水術の気配が急にしますれば、まさか井双路様とは」
「お、江頭か。いやいや、騒ぎになっているのに気づいてな。影術の使用があったのもありちょっとばかりこちらを見にきたところよ。あとは、水浴び終わったものは順次水場からあがれよ。ここにも羽末がでるぞ。水中に術痕がいたるところにあったからな」
その発言に、肩に担いでいる黒い塊が僅かに身じろぎした。真っ黒なその塊はよくみれば人の形をとっており、影の術式という井双路の話しをきけば、コレが恐らく春明なのであろう。
特に探し続けていた三名は、その黒い塊へと話しかけようと井双路の傍へとよってきた。
「春明?! 春明なのか?! 生きてるんだよな? 」
「おい、術式使い、しっかりしろ! 」
「春明。大事ない? 」
三様に黒い塊へと話しかけると、黒い塊はそんななりでも耳は聞こえているらしく、僅かにぐにぐにと身じろぎをしてみせた。その様に生きているのを確認した三名はそれぞれ溜息をついた。いささか三首の一人を前にして礼を失している行動とは言えども、井双路は三名をちらりと見おろすだけで特に怒っている様子は無いようだ。
「生きているし、大事も無い。影術式を使っての水中を探る命も果たしている。ただ、行き違いがあったらしいようだな。
こいつは借りていくから後の話は戻ってからにしろ、羽末に近い魔物の話があるらしい」
井双路はそういうと水面をすたすた歩いていき、流れ落ちる水の傍までいくと、まるで陽炎のようにその滝が発する水煙と同化していってしまった。黒い影もそこにはあったのだが、井双路が発している術力に巻き込まれていくようにその姿も一緒に消えていってしまい、あとには褌すがたと水面から顔を覗かせている男たちが、あっという間の出来ごとに水音とざわめきを残している。
「つまり、術式を使うために、俺たちを、よけてたってことか? 」
「わからない。でも みつかった。よかった」
「春明もだが、おれはわけがわからないよ」
井双路の姿を途方にくれたように見送っていた三名は、今更ながらに水の冷たさに身震いをすると、大きなくしゃみをそれぞれしつつ岸へ向かって泳ぎ戻っていくのだった。




