Ⅳ-Ⅷ 影にある水窟
呼吸をして息がつけてくると、思っているよりそこは薄暗い。昼間の明かりは差し込んでいるがその光を入れているようだ。耳の奥につまった水と鼻をつんとさせる感覚は、春明が水の中から出たという証明になる。息を短くついていくと、男たちの声はまだ聞こえるし油断は出来ないと、半身を水中に浸かったまま春明は水面から外に出る場所はないかと見回した。
『御方、其処まで警戒する必要はございません。ここは言わば岩同士によって出来ている影です。御方の姿をさがす声はすれど、この岩を登ってまで中を見ようとする物好きがおらねば、気づかれますまい。』
黒乃が同じく自分と同じように水面から半身を出している。彼にも無茶を言っただろうに、すらりと覆っていた翼が開かれ、はっきりとした明かりが自分に差し込んでくる。
そこは岩同士に囲まれている一室のような形をした場所で、頭上には小さな茂みが生えているらしい。らしいというのも、上を見上げても枝葉のようなものがせり出していて、頭上がはっきりと見えないからだ。おそらく、上から見た光景を想像するならば、樹木が小さく岩の上に生えているだけにしか見えないはずだ。岩場をしっかり見る機会はなかったけれど、水中からまさかこんな隙間にちかい一室が出来ているのを見ることはないだろう。
「運がいいって思いたいけれどねぇ。外の声が聞こえるとなると暢気にしている訳にもいかないし」
耳に入っていた水が切れてくるとわんわんとしていた耳に飛び込んできたのは、それぞれが自分を探している声と、吉郎さんの必死に潜りながらさがす声。ついでにあのでこぼこコンビも一緒に水に飛び込んで探してくれているらしい。
「春明ああ! どこだああ! 」
「そっちいねぇか?! おい、夏緒、潜った先どうだ? 」
「まだ、みえない」
大きい声で探す声に、野次が重なって絶賛一大事未満の大事以上という気配が漂っており、この状態になってしまった後始末を考えると、水中にいる自分の体が底冷えしてくるようだ。だからといって無理に外に出たらそれこそ女だって完全にばれるわけで、にっちもさっちもいきはしない。
加えて今さっき声をだしたが、この岩場の空間、音が軽く反響するので外に聞こえないとも限らない。心話に再度話しを切り替え、続く窮地をどう突破するかという話しを黒乃とはじめた。急がなければ身体を洗うどころではなく、折角の休みが風邪をひいて行軍自体に響くという大迷惑になりかねない。状況状況のジェットコースターが多過ぎてどうしろというのだろうかと、本当に天を仰ぎたい気持ちだ。
(とりあえず、この事態収拾つけるにはどうする? 個人的な案では、なんとか見えないようにしたいけど、水中から外へ再度でたらまず間違いなく見つかるし、服びっしょりだし、ばれるしでの困りごとの盛り合わせじゃない。影の術式だけじゃここを切り抜けるにしても、擬態が難しいし、かといって、ここで斡辰様煩わせたらお説教じゃなく制裁になりそうで……)
『御方、影の術式で今御方が使えるのは、意断ち、夜幕皮、|先ほどできた影添いに、岩へ擬態する岩影似とほぼ、使い勝手はあるかもしれませんがそれ以上の術式となると確実に斡辰様へご報告する強さの術式になるゆえ、使用をつげなければなりますまい』
そう、戦闘に関していえば彼等の黒乃を使わずに術式を使うことには、お咎めは無かった。只、昨夜のように術力の暴走をおこすような様では、誰といわず止めに入られるだろう。昨日のお説教というか話は苦々しかったが。そう、思い連想式に何かを思い出そうとして、ふと斡辰様が言っていた言葉を思い出していた。たしか、術者は契約者と繋がっているとかという話で、……そう、契約者と従者に当たる式陣士は互いの属性を使用できるとか言う凄い便利な方法があるではないか! 斡辰様は水の主属性なのもあるし川ぐらいなんとも無いはずだ。そして、自分にも使える術式があればそれを併用して何かしらの対策が出来るやもしれないではないか。
(発想は正しく武器ね。黒乃、斡辰様に報告ついで、水の術式を使わせてもらえないか聴いてきて。最悪水の術属性を使えば、私が使ったとは思われないはずだし、水中移動くらい楽にこなせる術式もあるかも。…………ただ、昨日の今日で、そんな風に斡辰様が使わせてくれる可能性は低いとは思うけど……ね)
発想は確かにすばらしかったのだ。前日の事をおもいだしすぎてしまわなければ。アレだけ斡辰に言わせしめた自分は、第三者の視点で見れば都合のいいときに助けを呼ぼうとするお調子者というか、恥知らずというか。ああ、なんというか考える度に自己否定の言葉が出てくるばかりでいい案が欠片も浮かんできてくれなくなってくる。
『……大事ゆえですからな。御方、直ぐ戻りますゆえここで浮いていてください。御大の事は私もすべて分かりかねますが、負った事をほうり出す御仁には見えかねますしね』
(どういう? )
ことの心話を続ける前に黒乃の体がするりとぬけて、水中に一瞬体が沈み、慌ててからだの力を抜いて、春明は背泳ぎのように背中を水中にしてふかりと浮かせるようにした。体にまとわりついている服がさっきは重石の役割を果たしてくれて大活躍をしたが、今は一転して身体を沈めようとするお荷物だ。黒乃が直ぐにってしまって、声が聞こえる中で春明は溜息をつきつつ、またどうにもならないのか。と小さく呟いたのだった。
ざわつきが大きくなり、それぞれが探し出している音がしている。さっきまで一大事未満だったがこれで大事確定間違い無しである。浮いている状態を誰も気づきもしないし、ここにこんな場所があるなんて思いもしてないのかもしれない。傷口にしみている水ももういたくは無いけれど、春明は水に浮きながら待っている状態で、とても長い間こんな格好をしている気になった。
「誰も見つからないほうがいいか、それともみつかったほうがいいのか」
小さくそう言ったが、見つからなければ見つからないで、斡辰様が出張るだけだろう。そしてこっぴどくしかられる。見つかったら見つかったで心配をかけたことについで、恐らく羽黒さんもお説教と、今回を避けられなかった事に対する注意を雨あられといってくるに違いあるまい。
「どっちみち、しかられるか」
なんだかこっちに来てからしかられてばかりじゃないか。と、春明は大きく騒ぐ声を背景に反比例して気持ちも水に浸かっているように冷たくなってきていた。黒乃が戻ってくるのがいつになるかと、ぼんやり考えていたそのときだ。
「じゃあ、ちょっと叱らないから、静かにしてられるかい」
耳元でいきなり声が掛けられビックリして水中に身体がしずみ、かすかな水音を立てた。いやまさかまさか。声の主はいないし、こんなところまでまさかでもぐってくるはずが無い。けど
「確か、に、声が」
「そりゃね。俺は水伝を使っているからね。しかし、こうも続くとわざとじゃないかって気にもなるだろうねぇ。岩の縦じわが三重になるくらいだったから」
のんびりと言ってのけたその声の主は、術力を使ってどうやらこちらに話しかけているらしい、だとしてもまさかあの人も。と、春明が思った時
「俺も水の副属もちだからこういうことはできるさ。ま、斡辰が今回は使いたくないらしいのと、俺なら周囲に気取られずに術式を使える業があるからね。礼を教える前にこっちを教えることになるとはなぁ」
斡辰本人ではないその声は、井双路様のものだった。




