Ⅳ-Ⅶ 水光の壁と水中の視野
真っ先に突っ込まれたところというか、投げ入れられたところが深みで助かったとしかいえない。男どもから遠い上に視野が曇っているお陰で水の中でのぼやけ具合は天然のモザイクの役割を果たしてくれている。足が見えたような感じは二本の肌色の棒にしか見えないし、それ以外のところもはっきりと見えなかったお陰で、さっきより水につかったお陰で思考がしやすくなったのだ。
怪我の巧妙は有効活用する機会に他ならない。空気を吸い込みきれていないから長くは潜っていられないだろう。見えない水の中で泡立つ水や流れが見える中、隣よりの奥のほうで鈍い飛び込む音が聞こえた。
『御方、ご無事ですか? いかようになされましょう、この状態から外へあがれば姿の輪郭は男のそれとするには術式で覆い切れますまい』
(息つづかないから、まず私の息をできるようにして。それから以前使った夜幕皮とかいう術式、あれ、使えない? )
黒乃からの心話を繋げることが出来たが、それでも時間が足りないだろう。少しだけの息苦しさが感じられ強く思わないようにすると余計に意識をしてしまう。思っていた体の熱さなどすぐに水の冷たさが奪っていき、水中が心地いいと感じる間は多くない。そして、術式を発動するという事を考えたらもっと面倒なことに気づかされた。水中では助発の言葉が使えないのだ。追い討ちをかけるように黒乃は夜幕皮の使用は出来ないといってきた。あれは夜のうちだから仕える技なのだと。
『御方、息をつぐことが難しいとは思いますが、術式にて形を、細い管のような形をお造りになられますれば、私が術力の補正を行いまする。術力を使うわけではないなら、他者には悟られますまい。さ、急がれよ! 』
飛び込む音にごぼりと周囲の音がもう一つ。おそらく沈んでいる自分を誰かが飛び込んで助けに、いや、見にやってきただけだろう。其処までしてくれる吉郎さんは分かるが、いや、きっとわからない。息を継がなければという思いがまだ思考を占めていて誰かなんて考える暇もない。ふくれた泡の群れの中で、息を吸う為の最大限の想像力を発揮しなければならないのだ。春明はすでに息苦しいと感じ出している自分を押しやるように、ひたすらストローのような物体をイメージしていく。口元から水中に向かって影が影を伝って管となるそんなイメージだ。肌色が一つこっちの深みへと向かってくる。口元に含まれているそれに水があり、管の生成がされたのと、術力がまた多くもっていかれる感覚がある。飛び込んだ誰かも自分を探しているようなこっちへ向かう肌色が上に見えた。水底へ繋がるように服の重みで身体を落としている自分は、肌色がのばす手に、下から手を伸ばせば届くくらいのところにある。
ダメだ、触れられてはいけない。春明は咄嗟に川底のすべる石の一つをつかみ、伸ばされているであろう誰かの手をよけた。肌色の伸ばされた棒はそっちも息が続かないのか一度上へあがって、二歩足の棒になる。
形が定まらないであろうそんなとき、ひたと水上の岩のあたりを指で押さえた感覚と共に、口元の水がとたんふっと抜き取られ、何もなくなったところに空気がすっと入ってきた。イメージは続けているが、形は保てそうな保てない不安定な感触のままで、途切れればまたできなくなるだろう。水中では見えないがコレが黒乃が補助しているという事なのだろう。ついで呼吸が出来るようになったなら次の思考が出来る余裕が生まれた。
水中に長い間留まっていてもここにい続けることはできない。さっきみたいに誰かが助けに入ってきたのを交わし続けるほうが不可能だ。だとすればどうする?
春明は小さく呼吸をし続けることで、影の術式をどうすればこの場を切り抜ける術になるかと、頭を働かせていく。
(影、覆い、幕、視界、暗幕、黒、混じる。重なる)
『お、御方? 何をするおつもりでしょう。術式を急がねば、次に飛び込んでくる男に触れられますぞ。』
(黙って、触れ……。黒乃、夜の闇に同化するみたいに、わたしの表面を黒乃の翼で覆い隠したのが夜幕皮よね。同じように影の色に貴方の翼はなれる? いや、できないはずないわよね)
連想ゲームを途中できられたがひらめきは、そこにあった。春明の呟いていた単語とは影でから連想される言葉である。それをどう利用するか、答えは出た。水中なら相手が人間なら相手にも自分の姿は見えないはずだ。ならば、黒乃の影を利用しても水底の石の区別はつきずらいだろう。
『なり、ますが。どうするおつもりですか? 岩の影にもぐることは御方には』
(出来かねるなら、岩に擬態するの。大きく動かなくてもいいからゆっくりとこの場を離れる岩の塊になるのよ。)
意図していることがいまいち伝わっていないが、時間が足りない。すでに水上の二本棒はもういちど潜るべく、音を立てた。何より黒乃が術式を補助しつつで発動している術式ではもう一度重ねたらこっちの息をすっている術式を保つことが出来ない。だが、今がまさに恥と死かの瀬戸際という思考で、春明は大きく息を吸い込んだ。吸い込んだ息のお陰で一分くらいならなんとか術式を発動する時間が出来る。
(黒乃、一回今使っている呼吸のための術式を解除、それから黒乃の羽を私が使う。術力をあなたが使うのではないけれど、術力を貴方に通すから私がそれを変質させようとするのに、抵抗せずに翼をひろげつつ私を覆って、それしかない)
『御方、無理難題を! 急にそんな事を言われまして! ああ、もう分かりました。通しなさい。変質は貴方の思うとおりにしますが、補助はできませんぞ! 』
黒乃とお互いに怒声のような心話を伝え合った後の変化は急だ。黒乃は影からするりと抜きあがり翼を開いた形で水中に顕現する。水音でゴボゴボと幾つも音がした気がしたが、水中ですべてが見えないと期待するしかない。呼吸が出来なくなっている間に想像を紡ぎだすしか、今の窮地を脱する事が出来ないのを忘れるなと、自らを叱した。顕現している姿が分かられないうちにと、黒乃が急いで水底の自分の身体へまきついていく、広げた翼はあっという間に自分を包み込み、身体を流れに平行にして翼がそれをぎゅっと引き締めてしぼった。
(黒き、岩、影に、岩影似! )
想像だけで心許ないその助発まがいの言葉を心話で黒乃へ投げつけながら、春明は多い尽くされていく。翼の影の先に、水中の光と覆われた流れから切り取られたような水中の感覚を感じていた。ゴボゴボという音に何かの音が混ざって黒乃の翼に誰かが触れたらしい、黒乃の顎から覗いている白い歯だけがはっきりと見えた。春明は、術力を確かに消費したのはわかるが本当に術式が発動したのかと思えるような感覚で、黒乃に覆われている。これほど急すぎる術式の発動も、成功の有無が分からない発動も初めて過ぎて分からない。加えて、もう息が苦しくなり始めている。
一分くらいしかもたない息を続けつつもここで、下に向かって泳いだほうが良かっただろう。そう思い始めると、スッと体が水中を動かされる感覚があった。何があったか分かっていないがゴボリという音が少しだけ遠ざかり持っていた岩から体が引き剥がされていく。息が続かないのに、何をされているのかを理解できなかった。ただ、黒乃から伝わってくる感触だけが彼が自分を水中で引っ張っていることだけが分かる。川の流れに沿ってゆるゆるつつんだまま器用に移動しているらしいのだ。だが、黒乃の水中を動く速さよりも、自分が呼吸する限界のほうが先になりそうだ。
春明が息が続かないと思う頃には口中の端から大事な泡が少なくはない量で、こぼれ始めていた。と、ぐいっと一気に其処から黒乃が上へと引っ張り揚げた。
水面を見ることはなかったが、一気に外に出た感覚と翼の内側の水が無くなったのが分かり、一気に息をすいこんだ。
「ぶはっ、げほっ、えほ」
頭のおくがちかちかするし、目の前が水で滲んでちゃんと見ることが出来ない。音が一気に耳鳴りのように響いて、男たちの声が前方から聞こえてきている。意識は混濁までしてないけれど耳に入っている水が音を拡散させているみたいだ。




