Ⅰ-7 何処の国かや
志坂たちにあう前に、春香がなにをしていたのかといいますと。
しまった。そう、確かに思った。
あのいかにも群れのボスみたいな雰囲気の男は視線をこちらに合わせてきている。せっかく作り出した見えない武器やらなにやらの作戦が完遂できそうな空気はない。
『どうする、御方? 夜膜は目が慣れれば意味をもたんぞ』
道中のやりとりで思ったが、言い方はなめらかな癖に、黒之は性格が悪い。くつくつと隣から念話で話しながら笑っている。
相手にばれたらどうするか。本当に戦わないといけない。
春香は、最後の最後で取りこぼしたミスをどうするからだけを、必死に考えていた。
それは、志坂達の村に少し入る前の事。
タエから歩き出して十数歩もしてないのに、まだ怖い。
まっとうな神経をしている自分としては、犯罪者には近寄りたくはない。だが、術が使えるようになったならこれからはソレを使って解決していく事を覚える必要があるということだ。
タエを探している男達は松明の明かりが見える範囲でまだうろうろと山中の茂みを探っていた。
『やはり女の身であの男どもは怖いか? 』
『当たり前でしょう。暴漢相手には基本は逃げる、あと、大声で騒いで助けを呼ぶものよ……肝心の助けてくれる組織自体がないから今こうしているだけなんだから』
『ほんとうに、こちらの世と比べて太平なのでしょうな……。
そんなように弱者を助けるとは』
『普通はそうなの。人間も弱肉強食あったって、助け合う事で進化してきてるはずなんだから当たり前でしょう。
まぁ、持論は置いといて。こっちは視界が暗視対応だから見えているっていう有利性があるからそこから攻めるかとは思うけど』
茂みのトゲに服を引っかけたのか、男の悪態をつく声がした。タイミングとしてはこちらを向いていない時に一発気絶させられればいいけれど。
『術力をつかって術式をするのってどうやるわけ?』
『御方の想像と意志によって術を編むだけだが? 難しいことではないだろう?』
黒之はそう言うとすいっと目の前で影から出入りしてみせる。
どうやら影を移動していく術式もあるようだが、それを想像で可能とするだけのカタチが春香には分からなかった。今更手に汗をかいているけど、この文様を使ってどうするんだろう。
『御方、あの気持ちは貴方の実だろう。嘘ではない以上、俺が力を貸す。ならば、それを術力に乗せればよい。それだけではないか』
『どう考えたら、刀をもっている男、しかも複数に勝てるのかって咄嗟には浮かんでこないわよ。
あとは、創造というけど、何を創造するのかが検討もつかない。影を使う攻撃ってどうなんだろ……』
創造する、けど実態がない影にどうやって攻撃をさせる?
術力を乗せると言う話からするに、バットでボールを打つ。一通りの行動パターンではあるだろう。
『御方、貴方に見せたように、夜幕皮を使えば、姿を夜の闇に紛れさせる事ができる。それと同じことだ』
『だからさー、説明の仕方が下手だっていうんだよそれは。
何を、どう、使うか説明してくれ。あとは術力操作って生まれてこの方やった事なんぞないんだから説明そこからだってば』
先ほど黒乃がみせてくれた夜幕皮という技は使えそうだが、男たちを相手取るにしては実戦力に欠けている。
かといって影で攻撃するというと、以前やったことのある格闘ゲームや、RPGぐらいしか想像元がない。しかもどれも殺傷能力が凄い高い印象だ。使用しているキャラクターのせいか脳内でスッパーンと真っ二つになったり、影の下からグシャアッと槍が突き出たりと残忍この上ない。
まだ非殺傷めな形だったら、影からとげが突き出したり、腕が伸びてきたりになるだろう。
『おお、流石は御方。確かに、今の貴方では影針や、闇撫は難しいだろう。
しかしながら、貴方のその把握する力から、もっと有用な力をお使いになれそうだと我は思うがな』
『待った、存在するのかそっち系の技。使わないからね? 』
『贅沢なお悩みだ。術式を使う想像の構築は速度が速いのに、制限を己にかけるのか』
悩んでいる此方の気など知らぬように、黒い竜が浮きだった風に一羽ばたきする。
自分がうんうんと悩んでいるのを見るのが楽しい辺り、やはり性格は悪そうだ。話し方が最初にあったときから砕け出したが、その目線は上から。色々な言い方や、時に子供を宥め賺すように名素振りさえ見える。もう一回ぐらい鉄拳制裁してもいいんじゃなかろうかと私は思った。梅干でもいいからこの飛んでいるしたり顔に何とか一撃を入れたいものだと、春香は思うのだった。
『思考が乱れたわ。うん、今は術を使う事だものね。
とりあえず、さっきなんか吸い上げられるような感じがしたのが術力? で、それを使ったのが夜幕皮でしょう
あの吸い上げる感じ、をするわけ?』
『ふむ、そうだ。なら、一度先ほどの状態を思い出せ』
視界に入っている男達が此方に向かってこないのを確認して、春香は手を僅かに上げた。想像する、自分の腕から、中から、吸い上がる水、もっと濃い油のような、いや、シェイクのような。
吸い上げるように想像しても、なんとなく頭の中から外側へもたついていく感覚がする。
『んんんーー? ヒトデか? 液状じゃないから持って来づらいような。あーでも、なんかわかるような』
『ヒトデがどのような物かは知らぬが、けったいな形で術力を引き出そうとしてるのが成功しているのが恐ろしいな……』
黒之の言葉に目を開けて腕をみると、ぐったりとした五つ足のヒトデ状の固まりが腕に絡んでいた。気持ち悪いという感覚が無かったから驚くまでは行かなかったが、一瞬だけ思考が止まりかけた。
『……お。うわぁ、そうだヒトデこんなんだったわ。あ、でも成功してるんだこれで。というか、これからこんな風に術力を引きずり出さないといけないの? 気持ち悪くない?』
『初手で我の力も借りずに引きずり出しただけマシだ。術の経路に自信が意識して術力を流した。いわば、まだ小川が流れた程度、形成は意識すれば又形が変わるだろうが、まずは良い』
そう言うと、黒之は春香の腕の高さにとどまって、自身の大きな翼を下ろして並べた。滑らかな大型のコウモリを思わせる翼の先端、猛禽類を思わせる指先は、四本のかぎ爪の形をしていた。
その色は白く、今は黒く染まってはいない。
『身体、記憶、覚えのある事柄、形にするならば自身の経験が何よりものをいう。触れろ』
『これに? ……あー、なるほどね。黒之の爪を形として意識しろということか。失礼』
ヒトデをだしたままの右手で出された爪に触れてみる。自分の腕の太さと同じくらいに大きな爪は、内側に向かうほど鋭角になっていた。しっかりと捕まれたら柔い春香の腕などズタズタに引きさいてしまうほどに。
獲物を狩る為の作りにしては禍々しいそれに、ひとつ、ふたつと触れて黒之に確認するように目を合わせた。何も言わず、黒之はその指先を動かし、まとわりついているヒトデに爪を立てる。サクリとあっさりヒトデが割られ、爪の先が地肌すれすれに迫った。
ひやりとした空気だけがあたっているだけだから、切り裂く気はないようだ。けれど、いい気はしない。ヒトデは裂かれてもまだ自分の腕に巻き付いているが、黒之の爪がどかなかった。
『なに、私が傷つかないといけないとかそんな流れ?』
『いいや、だがこれでこの爪がどれほど鋭いかを御方は知っただろう? 術力さえ断ち割ることが出来る我が爪の鋭さを。
経験は理解につながり、理解できぬ形が見える形になる。御方の爪では相手を裂くに足りずとも、我ならば、すっぱりと胴と首を分かつのもたやすい。
あいつらを始末するのにはお勧めしたい技だ』
『血なまぐさすぎて私の脳内会議で出席禁止案件。
術力を武器化するイメージなのはわかった、理解した。でも人間相手で殺す武器は遠慮願いたいんだってば!』
『なら御方の爪を意識すればいい。我の爪と違って脆いゆえに武器には向かぬ代物だが』
よし、分かったと私は一人大きく頷いた。この竜は人に教えることが心底苦手なのに違いない。でなければこんなひどい真似を教え込もうとする訳がない。
元々、影の力が、印象で悪とか闇とか無とか不吉な単語しか出て来ないのも悪いとは思う。黒之の言い回しからしても、一撃必殺の技や毒々しく相手に嫌がらせでもしそうな技だろう。
黒之は当てていた腕から爪を上下させて自慢げにこちらを見ているが、『死神』とか言われて喜ぶ世代ではないと、断固として抗議したい。闇を統べし者みたいに振る舞う素養なんぞ私にはないんだ。
そんな事を考えていた時、中二病からの連想でふっと一つ思い浮かんだ技があった。
『黒乃、聞きたい。私の想像でできるなら強制的に相手に闇、眠りを与えるのも影の技になる? 』
『夜の間であり闇のある時間ならば』
『その際に、起きている意識を一時的に切り取ってしまうというか、体と意識を繋げている覚醒状態を電源オフにするみたいな形にする事もならばできる?』
デンゲンオフ? と、黒乃が聞きなれない言葉に額にしわを寄せる。どうやらわからないらしい。異世界から召喚してきている人間にそういう話をした事がなさそうだ。不可解そうなため息交じりの念話が恐らくそうだと思えた。
『あー、そうか電源とか英語とかこちら側は存在してないか。えーとね、意識に影を作るという想像なんだけど』
『ふむ。……相手に眠りを与える領分は少し異なりますが、意識に影を作るという発想は面白い』
ブツブツとなにがしかを呟きながら、黒之は『失礼』というと、爪の先にヒトデの足一本分の固まりを乗せた。
先ほどと同じく、春香の身体から何かが抜け出る感触に、黒之の爪が黒い固まりを吸い上げて爪の色が同じ黒に変わっていく。抜き出して術力を変換する感覚が今のかもしれない。
ヒトデ色にそまった爪をぐにりと黒之が変形させていく。翼手の先端にある指の先にある爪が、その翼の長さよりも大きく長くなっていくのだ。
『どういう仕組みよ。え、術力はそんなに万能素材なの? それとも粘土みたいに形変えるのが得意、って聞いてないか、おーい』
『人の起きている間の意識を無理やり切り取って眠りに陥れる事ができるかどうかと、問われれば……
ふむ、デンゲンオフという状態は、強制的な眠りですか。どれ、試してみましょう』
春香の言葉に全く反応も示さず、黒之は数メートルになりそうな爪の形を一度戻した。途端に、あっという間にその左の翼の爪の先端が噴出したように伸びきる。音もなく伸びたそれは木々の隙間を抜けると、先に歩いて行こうとした男たち二人の首のあたりにドッと突き刺さった。
『ひっ』
念話で悲鳴を上げた春香の先で、男の一人が持っていた松明が地に落ち、沢の方へ転がり落ちていく。
湿った大地に倒れ伏す音が次に続く。前方をあるいていた男がそれに気づきすぐ戻ってきた。
「おい、なんだ松明落としてばっかだなぁ。
あ、おい? 治郎佐、一元、どうしたよ、スッ転がったんならさっさと……おい、本当にどうした」
刀を脇に置いた残った男が、二人の胸に手を当てる。男達は動かないが、どうやら生きているらしく、男が少し安心したような顔をみせたのがみえた。
と、ズトッと、もう一度同じ形で黒が目の前を走った。
今度は正面から首を裂いた位置になる。
すぐに首からそれが引き抜かれ戻ってきたが、思わぬ黒乃の一撃に喉の奥がつまった。
こんなに簡単に黒乃は人を殺してしまうのだと。思わず黒乃から距離をとり離れようとすると、黒乃がこちらを不思議そうに見つめている。
『御方? あのモノ達の意識を刈り取るというので首の近くにある意識と体を繋ぐ流れを軽く絶って、闇を流し込んでみただけだが?
いや、殺したわけでないぞ』
明らかに突き刺さったのが分かるのにその言い訳は通じない。すぐさま、男達の方へと春香は向かった。
落ちた松明が湿り気のある土の上でじりじりとまだ燃えている場所までは遠くはない。近くまできてみて、春香はその首筋に赤い痕が残っているが肌を切った様子がないのに驚いた。
『殺したわけじゃないっていうけど首から血は!?……でて、ない?? 』
触るのは怖いので、観察してみると瞼をしっかり閉ざしたままで呼吸を繰り返している。先に首を切断されたと思った男達も同じだ。昏倒か、それともただの失神か。倒れている男達がいつまで経っても起き上がってこない。手近のもう一人も息をしているが、黒乃が刺したあたりには傷らしきものとして、ミミズ腫れのような爪のあとが残っていた。首の中で内出血もしていない。
眠りと言っていいのかわからないが、ひとまず、殺してはいないことは確からしい。
『自分で言っておきながら、今更心配か? 御方。
しかし、面白い。人はこんなところを軽く切られただけで流し込める上に、意識が飛ぶものなのか。
斬るだの刺すだのをした事はあるが、これは新鮮だ』
不穏な発言が春香に聞こえてきたが、もう、これ以上気にしていても仕方がない所に来ていた。暴漢を撃退したのではなく、ぶちのめしただけだ。そう、正当防衛、正当防衛とまがい物の呪文を脳内で唱え続ける。
『でも、この人達だけじゃない、わよねぇ。村を襲うだけの人数なら少なくたって十人以上いるだろうし』
『まぁ、そうだろう。数に十はみたなかったが、こういったことに慣れている手合いだろうと思う。でなければああいった並べ方はせんだろうな』
黒之がいうには、ここにいるのが先にタエを探していた男を併せて三人。だが、村にはまだ残っている兵が十満たなくとも少人数以上はいるとのことだった。
くわえて、どうやら既に犠牲となった人間がいるらしい。
『見て取る限りでは、おそらくあいつら事が終わり次第に、あの村自体を燃やすか殺し尽くすかして、無かったことにでもするのだろう。血をまき散らしておけば人が絶えた村など魔獣どもの格好の餌場になる。あそこにおらぬ者達が帰ってきても残骸で、魔物に襲われたとしたか思わぬようにしてな』
『完全犯罪だから許されるってか。えええ、痕跡とかそこら辺の調査もまともに出来ないのか。いや、それよりやっぱり急がないとか。
で、新しく作り出した力で、黒乃が試し切りしたのは使用できるかをみたの? ぶっつけ本番で』
肯定をする頷きが返され、恨みがましい目で私は黒之をにらみつけた。そんな目を返すあたり、分かっていないだろう。
『時間が無いけど、ちょっといい? 黒之』
時が足りないのは分かっているが、やはり言いたい。私の世界と違う道理があるとは少なからず理解してる。でも、説明が圧倒的に足りないこの竜に、私は思っていることをぶつけてみることにした。足下でまた松明が音を立て、下から照らし出されて浮き上がった黒之の下腹の輪郭が陰影を際立たせた。
『なんだか私にそんな目をされるのは、って顔しているけど。
私からしたらトリックも知らないで、切断マジックされたのに近いんだからね。というか、人を殺すのに躊躇してない黒之が攻撃したら見分けなんかつくわけ無いでしょう』
『御方に任していたらマゴつくのが分かっているので、その手間を考えるのならば此方がたやすい』
『……実践投入するならせめて一言かけてよ。
マゴつくかどうかは、わからな、いかもしれないかもだろうし』
その言い方こそ、マゴついた証になってしまっている。ハッキリしない私の言い方に、黒之は小さく鼻を鳴らした。
さも当然のように流されても、私が流しちゃいけない。
人を殺さない術式、せめて多少の良心か気遣いがあってと思いたかった。恐らくだが私が人殺しを躊躇したのをおもんばかってくれたのかもしれない。ほとんどない繋がりをもち、少しでも生き残ることを、私は僅かにこころに置いていた。
『黒之、この術式、どう使ったらいい? なにかかけ声でも必要なの? それとも、イメージだけ?』
『まずは想像だけで、といいたいところではあるが。……術を呼びかける形はいるだろう。今の術は簡易に、一の座 意断とでも呼べばいい』
『はぁ、意断ね。で、もう一回見せて欲しいんだけど。数回は使えるっていうならすぐにも使える? 』
『先ほど二回試したので十分だろうが。意識に黒い固まりを放り混んでやればいいだけだろう』
何で分からないんだ? と冴え冴えとした答えが返った。期待した私が間違いですか。そうですか。
黒之は、今のは自分が使えるか試したのであって、それ以上はする気がないようだ。なんだろう、会ったときからの温度差が大きくなってきている。
『それが出来れば苦労しないから、貴方に聞いてるんだけどさ。
術式引っ張り出されても私は使ってないでしょうが』
『意断の想像の元は御方の由来でしょう。
だとしたら、御方が使えない道理はない。
我が行ったのは御方にある創造の元を使って呼び出しただけだ』
『…………なに、それは』
この竜、言葉が足りないんじゃない。分からせる気が無い。イラッとしたが、二回ほどこちらから向けた意識を払われたなら、あまり頼る事は出来ないかもしれない。とりあえず無言で自分の中で言葉を解釈する事を春香は始めた。
(まず、黒之が出した術は私の中から引っ張り出した。そして、創造の元は私の中にある。これは、私自身が意断をつくる元を知っているということだろう。
そこから、……うん、)
問題が新たに発覚しているけどこれは落ち着いたら問いただす。
連想しながら考えていたら、黒之が私の心を読んでいる可能性にぶち当たったが問いただしてる暇がない。
『説明下手くそだから、私が出来なくても文句つけないでよ』
『? 何をいうのだか、御方。答えが分かっていそうな事を問いただす必要も無いだろうに』
『よし、決めた』
かんに障る言い方をする黒之に向かい、技を発動するべく私はさっきと同じ術力を吸い上げる力をイメージする。ぐにょりとしたヒトデにまた追加して小ヒトデが合わさり、腕に乗る形を想像。
肌が少しだけ波立つような感触に、春香の腕には先ほどのヒトデ大に、小ヒトデが重なって一匹になるような形が見えた。次に、連想していく想像の枝を一本にしぼっていき、黒之がふよふよと浮いているのに向かって、中指を向ける。
『えーと意断 あれ、……一の座、(意断?』
ツトン、と軽い振動に自分の爪をネイルコーティングしたような感触。中指の先から、黒之によく似た尖った爪先が黒之の隣に立つ樹の幹に刺さった。
『ほら、出来たではないか。狙いはまだまだだが。それでも刺さるか、掻き裂くかでもすれば、その爪から影が入り込む。
意識にできた黒が薄れるまではそのままよ』
『…………やっぱり落ち着いたらアンタをぶん殴る。絶対に。
本当に説明下手くそだから今ぶん殴りたい。あ、殴らせて欲しいけどいい? 許可あと取りでさっきみたいに』
『なんで、そうなる御方。 説明してやったのに殴るのが人間のやり方なぞ聞いたこともない。
それとも門外人だからか? こちらでの振る舞いを知らぬならば礼儀を教えてやろうか?』
すわ、本気で殴ってやろうかと。春香の構えた右手のグーに、黒之が片羽を上げる形をとれば、腕にあったヒトデの足が一本消失しているのが目に入った。
さっき黒之が取った足とは違う足が元々ついてなかったように丸くなっている。黒之が使った場所は切断面ができているが、小ヒトデの足が小さく生えていた。
どうやら意断という名前で術式を使用した場合には、自身の術力を足一本使う事になるようだ。今出せている足は四本。ここから使うとしたらやはり数度しか使えない。
『ねぇ、げんこつ一発分無しにする代わりに、質問答えて』
『一発と言わず三発なり多数はなくしてしかるべきだろう? 暴力的な行いは控えろ』
『……いいわよ。五発はなくす。このヒトデを簡単に引っ張り出さないと術式発動できないわけ?』
『御方の場合ではそうだろうな。術式を使う為の術力を出すのになれていなければそうなるだろう。我を介して術式を使うならばその限りではないが』
黒い竜が目を細めて笑った気がする。言い方からすれば、私だけじゃ術力を発動する事が出来ない事も無い。慣れてないなら多くタイムロスをするということだが、時短をするなら黒之を経由する方がいいと言うのだろう。
『分かった。じゃあ、できるだけ黒之無しで発動するようにする。
でないとこの借り多分だけ返済が大変になりそうだから』
『出来るものならな。ああ、楽しい主張だ。本当にな』
黒之と私の視線がきつく交わった。目玉の時よりもハッキリと言えることが今ある。多くの言葉を交わしたわけじゃないが、私はこいつのやり方がすこぶる嫌いだ。
にらみ合っているが、黒之の方は余裕げにこちらを見下ろしている。うっさい、もう一発殴ってやろうか。兄貴と弟に挟まれている長女のけんかっ早さなめてかかってるな。
『……だからって、あんたが何もしなかったら私も死ぬけど、そうなっても文句ないって事? は、生かす気が元々ないのか
大嘘つきドラゴンめ』
『死にたくない人間にそう言ってどうする?
死なせる気ならまともに術力も使わせないだろう。
結局我の力を借りて使うしか力の通りを作ることも出来なかっただろうに、どの口がのたもうか。
そして御方の言う処の借りは溜まりに溜まるだろう。そら、結局我無しには』
『だったら、お互いでしょう。あんた、私の質問に答えてないじゃない。死にたくない人間がそう言ってどうするか?
決まってる、生きて向こうの世界に戻るのよ。
借りる形になったのは返済する。何がナンデモね、なに? 話がわからなかったかしら』
『――――いい加減にしておけ。小娘がっ……』
途端、黒之の首の後ろ側が鈍い白色を放った。飛空していたバランスが崩れ、落ちかける。
春香は、そのとき黒之が発した言葉を言い直した。
『こむすめ、今の小娘がキーワードか。としたら、…………そこそこに勉強はしてるんだ、学生の発想力舐めるなよ。
少なくとも私に対するあからさまな暴言に詰った、つまり、NGワードか、その行為自体が制限もらってるということ』
『き、……御方に、対して発言を制限している? そんなわけ無いでしょう。だったら我が御方に爪を突きつけた理由が』
今の言葉の裏を逃すほど、春香は怒りを残してはいない。崩れた箇所から一気に突き崩すのは定石だ。先ほどより冷えた頭で黒之の言葉をしっかり捕まえる。
『おめでとう、墓穴だわ。爪を突きつけたときの発言は怒りにまかせてた。けど、実行に移してなかったのよね。
別面から見たら、移せなかった、移す気が無かった。のどっちかになるのよ。貴方がもしも縛りを知っていたらだけど』
『…………』
『沈黙したって同じ。さっきの回答こそ答えなければ良かったのにね。じゃあ、今の会話踏まえてもっかい聞くわよ?
将来、返済する予定で借り入れはできる?
それとも、余計なことをし続けてアンタにとって都合の悪い方に事が運んでいい?』
『グ――――ギシュウ、……いいだろう。借り入れとやら、受け入れる。ただし、その返済方法、軽くはないと思うがいいさ』
舌打ちにあたるらしいうなり声と歯ぎしりの混ざった音を立てて、黒之が私に対して確かな約束をした。
これで、一つ、私自身が選択する事が出来た。
元の世界に戻る。これは私の絶対の望みだから。
けれど、黒之に反目をする形を取った私は、後先をもっと考えておくべきだった。まだ、この世界の全てを知ったわけでもないのにやりとりをしたのは失態だった。
後悔はいつのまにか、後ろから追いかけてくる。それこそ先で知ったことを皮切りに、時間が経った流れにおいついて。
三名が未だ足下にいる中で、黒之がふん、と鼻を鳴らして近くの茂みに絡みついていたツタ木を引き剥がした。
『いつまでも、こいつらが転がっているワケではないのでな。そちらを持て御方。縛り上げるぞ』
『ええ、分かった』
即席ロープは樹上の方まで伸びていた分だらりと落ちてきた。片側を私が持てば、咥えた根の側を引いて三人を太い幹にぐるぐると巻き付けていく。
残っていた松明はそのまま川へと投げ捨てて明かりを消してしまえば、すぐすぐには追って来れないだろうと言う事だ。
『さて、では村に行こう。……手間取ったが、その技。意断は声を出さずとも発動は出来る。御方の意志でしっかと問えば術力が動くゆえにな』
『……ヒトデから直結してそのまま唱えても出来なかったのに?
出来てたらさっきなんで出なかったかっていう話になるでしょうに。何か、隠してない?』
縛り上げた男達を後ろに、煙の上がる方角へ斜面を登っていく。ゴタゴタした話し方をしているのはお互い様だろうと思う。けれど春香が突っ込んだことを交わしている話し方を、黒之がしている。
『隠しているとは、御方様が思っているような、意識を読むことは表層程度しか読めんが。
ついでに、術式は本当に御方が意識を込めて発動させれば発動できるので嘘はついておらんな』
『ねぇ、心底嫌なこと聞いたわ。
表層って、え、今凄いコイツ気持ち悪いわ。って思ったのは透けているって事なわけ? で、術式は気合いだと』
口を細くひらいて黒之はこちらへそうだと笑った。もはや性格が悪いのを隠しもしない。
『御方、ならば練習なさればいい。
夜幕皮はあなたが使う限りならば、一度だけ使えば移動の際私がついていけば問題はない。ほら、あれに見える男、ちょうどよろしいかと』
黒乃に促されたほうを見ると、なにやら、困った顔の男がこちらに向かってきているようなのがわかった。あまり悪そうには見えなかったが、この男を早速実験台として、意断を成功させるのは、それほど苦にならなかった
いざ、村の中に!というところで明日への投稿分とさせていただきました