Ⅳ-Ⅳ 峠の流れる沢が如
薬をもらった後直ぐつけるのをためらっていたら、吉郎さんに今つけろといわれしぶしぶ影添の術式を解除して薬を塗る事になった。蓋をあけてからの薬の色が赤いのがちょっと引きたくなるくらいの色だったのは、コレが薬なのかという疑問を抱かせる程度であったことは言わない方がいいかもしれないが。
春明の指先についたひとぬぐい分は固まっていたところから取り出したせいなのか、えらく鮮血っぽい色合いで血を固めて造ったんじゃなかろうか思えるほどだった。
「吉、朗さん。その、コレって原材料はなんだか、……知りませんよね? 」
「確かに知らないが、言いたいことは分かる。里山に生えているアカアシソウの根をすり下ろして其処にいくらか生薬を混ぜたものらしいが。アカアシソウのためにその色になるらしい。効果はあるからつけてみろ」
とにかくつけなければはじまらないだろと、吉郎さんにせっつかれ、しかしと思いとどまるのを数度繰り返して、やっとじぶんの靴を脱ぐ事に同意した。吉郎さんたちの草鞋からしたら見慣れないこの運動靴も、コレだけ酷使されることになるだろうとは思いもしなかっただろうさ。脱いだ靴の中は埃と小さな砂利で、軽く逆さにするだけでぱらぱらとその粒が落ちていく。靴の入り口にあたる足首の裏のあたりが汚れとすれた傷の血がついていたらしく、靴下にも滲んでいるそこははがすのをためらいそうだ。
「お前、足に怪我していたのか? 何で言わなかった」
「痛くても行軍をとめるほうが悪いかと思ったので、あー、これ靴下はがせるかな。吉郎さん水はまだ残っていましたっけ。これ少しでも洗っておかないと化膿するかもしれない」
ぺりりと少しだけ傷にくっついている靴下をはがしただけで痛い。けど、このままにしたら炎症だけですまないだろう。春明はもっていた手持ちの水筒を出すと、脱いだ足に向かって軽く水を掛けて湿らせた。傷口にもしみるけれどまずはこの汚い靴下をぬいで薬を塗っておかなければ。痛みは誰だって好きじゃないが放置しておいたのはどうしようもない。湿っているのが充分になってきたところで、思い切って傷のあたりの下まで靴下を脱がせると、痛みと鈍いはがれる音がした。
「~~~~~っあ」
「無理するからだろ。行軍中でもわき道とはいかんでも羽黒様の横に行かせてもらって、通りを邪魔しなければとどまることはできる。治療とか名目がはっきりしていることまでは言われんよ。もうすこし俺にも話しを聴いてもらえればなぁ」
吉郎さんもはがす瞬間に目をつぶるくらい痛そうなしかめっ面をしたあたり、本当に人のよい人なんだろうと思える。ちょっとだけ、彼の事だけは信用してもいいのかと思いはしたけれども、思いはしても其処までに感情が切り替ええられなかった。彼からしたら気持ちを傷つけていることが分かっているけれど、やっぱり世界が違うという溝は早々に埋まらないのだ。
残っていた砂利が傷口に付着している分をすこしづつ水を流していって、春明は傷を洗い終えた。立てたままだったひとさし指の軟膏をゆっくりと傷口の上におそるおそる塗ってみる。とんでもない色合いをしているだろうからきっと痛いだろうと思っていたが、春明の傷口にすんなりと馴染むように軟膏はしみていき、傷口と反応したらしいのか乾いたのか、その軟膏は垢から黒っぽい色に変わっていった。
「軟膏が黒に変わったら其処の傷口に張り付いてきた証拠だ。指先にもっとしっかりとって塗らないとすぐ覆いがはがれてしまうからもっと多めに貼り付けておけ。明日の朝頃にはこの軟膏が固まって傷を隠してくれるだろうさ」
「じゃあ、少し大人しくしていたほうがいいでしょうか? でも立屋つくりや水汲みが」
「もともと上の方たちの一件、怪我して帰って来たんだから無理をしているとは思っていた。これ以上無理すると行軍自体に響かせる事になるからお前は休め」
そうは言っても一人で作業するのを眺めているのはなんというか、とてもいたたまれない。春明としては、せめて足が痛くともできる水汲みぐらいはしたいと吉郎さんに頼んだが、彼はそれだけはと、首を横に振ってこう言った。
「さもないと俺が怒られるんだよ。仮にも斡辰様と契約している術式使いなんだからお前は俺より立場は上。けど、井双路様たちにとっては下。難しい事かもしれないが春明の立ち位置はいまだしっかりと定まっていないからな」
俺が怒られたらお前はもっとしょげるだろう? と、寂しそうな目をして彼は締めると、立屋を組み立てる材料をとりにいってしまい、春明はまた置いてきぼりにされたように感じる。ただ、お互いが寄っているわけではないのだからこの距離感が本来あるべき遠さなんだと思いながら。
立屋組みから水汲みまでをさっさと終らしてしまった吉郎さんは、今は目の前でくあぁと大きなあくびをしている。
夕刻にいたらない陣中はどこか和やかだった。警戒への見張り兵が立っているが羽末がおそってくる様な素振りもないし、天候の具合をみるには空は快晴。行軍中とは思えないほどの穏やかさだったのだ。春明にもあくびがうつり手で覆いつつ小さく口をあけた。
指示がでてからはひたすらに睡眠をむさぼるもの、行水に向かって谷川で体を洗うものも多数だ。指示の内容が、ひたすらにしっかりと休養をとることなのだから、それに従わないこともないだろう。まばらなそれぞれの軍の人々は貴重な休みをそれぞれで体を癒すために使っていた。片木梨様の隊では怪我人がゆったりとしたように木の影で休みをとり、立屋から足が大いびきをかいている音がする。それでも片木梨様の隊の人数は半数がこの場にはいなかった。
春明としても、できるなら行水に行きたいところではあったが、服を脱いでからするにしてもいささかどころじゃない大問題である。
「あー・・脱ぎたい。けど脱げない」
「脱ぐわけに行かないだろう」
わかっていていったのだが吉郎さんがそれを聞き咎めて返してきたので顔をそっぽ向けておく。足の傷もあるしいざというときにこんな事で術式を使ったという事がばれたら羽黒さんか、あって近条路様、最悪を想定すると片木梨様からお説教が待っている。けど、できるなら、本当に身体を拭くくらいの事ができないと息がつまりそうな本音をどうかわかって欲しい。
峠の中でもここは川に一番降りやすい高さに位置していて、川の流れも穏やかな部分だ。川岸の砂利も広く、一部が道沿いに立屋を張っているがそれでも多くは砂利のところに立屋をつくり、斡辰様はといえば、一段高くなっている高台に幕を張ってそこにいっきりである。片木梨様たちも姿が見えないことから、上司同士の会議がこんな時でも行われているのかもしれない。
「上の人って大変なんだろうな」
ぽつりと呟いた春明の声は、その場から遠くない別の声がかき消してしまった。
水場から歓声に近い男たちの騒ぎ声がする。とはいっても、血気盛んな若者たちばかりだろう。年のいっている者たちは短く体を洗うなり服を脱いで上半身裸になっているくらいで静かなものだ。
正直女子としてはいってしまうのはどうかと思うが、目のやり場に困る場合も少なくはなかった。男ばかりの軍なんだからそう、多少は覚悟していました。脱ぎっぱなしもあるので今は川は見ないようにしているばかりなのも、余計にむずむずと水場へいきたいという思いをかき立てる。
「吉郎さんもいってくればいいのでは?」
「俺が? ああ、そりゃ行きたいけれどお前と離れているとまた何か起こりそうな気がして」
「その程度なら昨日の事件のおかげでしばらくはよってきませんよ。あれだけのことをしたあとでよってくるバカはバカですから、遠慮なく羽黒さんにいいつけます」
そう、もし相手がいちゃもんなりなんだりいってきたって、助発を知っている今なら何とかなるような気がした。でも、一番の目的は吉郎さんの目をよけていたいという事かもしれない。春明はそういいいつつ立屋に引っ込んでしまうと、吉郎をしっしと手でおいやり、草の上にすっと座った。
「だが」
「くどい。それにですね、少なくともそれだけの汚れですから、今洗えるうちに洗ってきておいたほうがいいと思います。さ、いったいった」
きっぱりと断じても、しばらく立屋外で吉郎さんがうろついている足音はしばらく続いていた。けれど、やっぱり彼も体の汚れを自分に言われたのが気になったのだろう。続いていた足音が振り返り、振り替えりするように少しずつ離れていくと、立屋の影には自分ともう一匹が残る形になった。彼がいなくなったのも含め、作戦をコレでやっと立てられるというものである。




