Ⅳ-Ⅲ 時に通る道なると
ついていけどもついていけども、次の宿営地までが思っていた以上に遠くに感じるが、足の痛みのせいで惑わされているらしく、上を見上げても、春明の上空で太陽は燦々と輝いている。廃村から出立しても数時間と言ったところだろう。季節が憎らしいし、それ以上に自分のはいている靴が憎たらしい。砂利がはいってもそれを出す暇さえないこの歩みは留まらないので、なんとか足の先に小石を移動するようにして春明は一時間くらいは歩いていたかもしれないが、足首にできているスレによる痛みと治りきっていない肩口の怪我、くわえて頬傷もズキズキとする。
言わないようにして少しばかり口を結んでいると、怖い顔になってしまう。弱音をはいてもそれを吉郎さんが慰めてくれることがわかっているから、余計にそれを出せない気がした。只、少しだけランナーズハイに近い感覚があるみたいで、春明の痛みは鋭かったものから少し陰りがかったような鈍痛に変わっていた。当て布が出来ればもう少し楽なんだがとは、思うが、それで止まったら、それも怒られるんじゃないかって思ってしまう。
「ふーっ」
かすかに音の出ないような吐息をついたが吉郎さんが向けているであろう方向には、あえて春明は視線をあわせなかった。視線がこっちをずっと向いているのは分かっているけれど、言えない。
「春明? 大丈夫なのか」
「大事でも、ないんですからそれほど気にしていると歩きが止まりますよ。吉郎さん」
そうか、とまだ何か言いたげな感じがする言いかたを吉郎さんはしたけれど、深くは聴いてこなかった。さっきまでの臭い地獄も続いているけれど、鼻も馬鹿になってきたみたいで春明の視界が少しぼんやりとしている。ぶっ倒れる前に近い状態が多過ぎて自分でも嫌になりそうだ。けど、誰かに助けてももらえないし、術を使うといっても影の術が癒し系の技を使えるかっていう思考をするのも今は難しい。すると、首に添ってまた術印紋がうずくような奇妙な感覚がした。
『御方、ご無理をなさっているのは分かられております。御方が隠されたいというのもわかりますが、無理に足を動かされても御方は辛いばかりになりまする。
差し出がましいでしょうが、御方の足元に術をほどこす術をお教えいたします。私が使用しては怪しまれましょうが御方がお使いになる分には構わんとされるでしょう。術式の強さも大きくはない。影で補強をする。影添とよばれる術式です。助発は、こういいなさい。』
見計らっていたように影から黒乃が言葉を投げかけてきたのだ。行軍を邪魔しない程度に補助できる術式とやらがいくら効くかわからないが、春明にはいまそれを使うしか術もない。
静かに歩いていた足をとめず、春明は聞こえるか聞こえないか程度の術式の助発の言葉をゆっくりとかみ締めるように呟いた。
「添いて 体躯を 支えるは 影 添うままに あれ」
吉郎がその呟きに目を向けているが、構わずに最後の『かげそい』と、唱えきった。
黒乃が言った言葉どおりだがちゃんと発動するかどうか分からない。だが、助発の言葉はいつもだったら発動するのにもっと力を掛けなければならないところを、まるで手で土を掘っていたのがシャベルを使うようにすんなりと掘り進むような感覚をもたらした。通る力を僅かにして、春明の術式を小さく発動させたのだ。
足元にあった影が小さく動いたのには、後ろから見ていた井双路がその変動に気づく程度だろう。井双路が僅かに頬を硬くする笑みになったが、術式の効果を確認するとその目はまたもとの通りに戻っていた。
春明の足元から上がっていたかすかな影の変動、それは春明の影が己の足に僅かに伸び上がり、傷ついた部分を保護するように覆ったのだ。足首より上にはその影は上らなかったけれど、春明にとってはその術式のお陰で補助テープを巻いてもらったような安心感があった。なにより、靴ズレをおこしていた足首の所が緩衝材をおいたみたいにズキズキしない事は素晴らしい事この上ない。
初めて、本当に心の其処から初めて、術式というものの存在に感謝できたかもしれない瞬間だっただろうと思う。
『御方が安らげたようならば何より、では御大に術式を使用した事を報告しなければなりますまいが、この分なら少しばかり間を置いても変わりますまい』
術式を教えたことに満足したらしい黒乃は、心話でそう告げると影の奥に溶け込んでいくように自分のところから移動をしていったらしい、呼びかけをするかどうか迷ったが、これ以上は余計な会話に相当するかもしれないと、少し無視していた分もあって吉郎さんには申し訳ないが、この先の休憩地までこの状態を続かせるためにも少しばかり演技を含めて、春明はしばらく黙ったまま歩き続けたのだった。
だが、黙った状態はそう長くは続かなかった。動いていた足音が止まるまで、それは織田峠の初日に比べると凄く早いような遅いような時間だったと春明は感じた。日はまだ上空にあるし、行軍するには行程として大分短い気がする。
「総員、今日は早くの休息をとる。本来の休息地であったここでしっかり英気を養っておけ。出立は明朝の日の出頃とする。各自、各隊の隊長指示を待つよう」
よく聞いた片木梨様の声が通るとワサワサと人が散開していってしまい、残されるように春明と吉郎が場に少しいることとなった。行軍日程どおりなのはわかっていたけれども。
「何で今日は羽末がでてこなかったんだろう」
「春明も、そう思うか? 俺もなんだかおかしいとは思うんだが」
「そうだねぇ、本来詰めるならあそこで複数の挟撃が決められたのに、何故か、来なくてね。俺も読みが外れてがっかりだ」
頭の上から二名に声がかかり振り替えると、後ろの軍に既に伝達を済ませたらしい井双路様と、その隣に春明は見たことがない隊長が一人くっついていた。馬上からの声はやっぱりどこか人懐っこい感じをもたせる声をしているのだが、こうして一兵卒になっている自分へ隔たり無く話してくるのは少し以外だった。
「井双路様、読みが外れたとは? 」
「おう、まだ礼儀を分かってないみたいだからついでで言っとく。俺や片木梨が話しかけているようなら答えて構わないけど、一番下から話しかけるの、ダメだからね。ま、聴いているか分かりづらいいいかただったから答えとく。
本来この休息地にはもう一刻は掛かるだろうと思っていた。死傷者を今回もだしつつな」
井双路はそういいつつも、笑みを途切れさせないまま自軍と片木梨の軍とを見比べてつつ、何かを考えているように続けた。
「羽末が出なかったからには、今夜あたりが襲撃の一番危険な頃合いになる。完全に休みきっている横っ腹をつっつくのは大きな痛手をあたえられるからな。挟撃の確実さを捨てて博打に出ているという考えさ。ま、そうじゃないかもしれないが」
井双路は隣にいる男へ同意を求めると、同じく乗馬していた男はそれに短く答えると下馬した。まだ壮年とまではいかないがこちらも片木梨様のようでこっちに対してとげとげしい気配をもっている。男は、答えた井双路に対してしかしながらと、何かにごす様な口ぶりでこう言った。
「井双路様、軍の予測を軽々しくお話してよろしいのですか? 術式使いとはいえど、このものは」
「いい、桐継。大体俺等以外でも他の奴らも思うことだろ。大物がきていなければいつ来るかーなんてな。俺はおれの考えを話しただけさ。軍の予測を俺がすべて仕切っているわけではない」
井双路はそういうと、桐継は失礼いたしまた。と短く令をするなりその場から立ち去っていってしまい、後には井双路と二名が残される。こちらの桐継という隊長格もやはり自分の事をよく思っては居ないのだろう。春明がその後姿を見送っていると、とんとんと頭をつっつかれた。
驚いて振り返ると、井双路様が指先に何かをつまんで持っている。
「ほい、落し物。春明、もう少ししっかり足鍛えておかんとこれから後半分を行く道で耐えられないぜ」
何かをいいかえす前に、ぽすっと頭の上に小袋が落とされ井双路はそのまま馬の方角をかえると、本陣が立てられつつある方角にとっとと去っていってしまった。ぽかんとする事本日二度目、井双路が渡してきた袋を頭に載せたままなのもアホみたいに見えるだろうから急いでおろすと、中で硬くて小さいものがあたった。
「なんだ、貝? 」
とりだしてみればその中に入っていたのは古ぼけて薄赤い紐で閉ざされている二枚貝で、紐でしばってあるからには、中に何かを入れてあるのだろう。春明が手の平に出してまじまじとみていると、吉郎がそれをみてこう言った。
「傷含みの薬だ。まぁ、これなら確かに落としていてもおかしくないが」
「傷含み? って」
「要はこの貝の中に入っている塗り薬の事だ。兵ならだれもが一つは支給される簡易薬の一種よ。傷を覆い痛みを緩和させてくれる代物だ」
つまり、彼なりに分からないよう気を使いつつ、春明の傷に効く薬を渡してくれていたという事らしい。颯爽と去っていくその後姿もやっぱりきまっていて、彼をイケドル認定した自分の鑑定眼は間違っていないと尚更春明は深く頷いたのであった。




