Ⅳー? 空気に境
夜に眠っていると夢なんてみたくない日がある。二十を超えた今になっても見る夜の悪夢は、どこからが本当でどこからが幻なのか分からなくて嫌だった。夢から覚めたらそれは忘れているのだけれど、夢に戻ってくるとこの景色で前も見たことがあると思い出す。青と黒い青に、光が少しだけ見える水面のようなもの。海草や魚もみえないけれど塩辛いような気がするのできっと海だ。
私はいやなことが起こると深く深く沈んだ色の海の夢を見る。それがなんでだったから私は知っているけれど、思い出したくなくていつも海を畳もうとする。開いた本のページのようにこの世界が閉ざされてしまえばいいのにという感情を込めて、夢の中で海のはしをつかんであふれ出した水を浴びながら自分はその夢を閉じようとするのだ。
そういう時、誰かに話しかけられて咄嗟にその手を離してしまいそうになるパターンがある。大抵後ろにいるのは、その畳んだページの関係者だったり、あるいはその日一番自分の傷をえぐってきたりする人間だったりする。
「どうしてとめるの? 」
「なんで、しめるんだ」
お互いが質問をしあうことでその場に時が止まり、最後に途惑った海に私がざんぶりと飲み込まれる形になる。畳もうとしていた反発のせいか、そのページのしぶきはとても激しくて質問をした相手まで飲み込んでしまうのが常になっている。おかげでその人も吹き飛ばされて少しだけせいせいするのだが、今日は、今日の後ろの相手は違った。
「水程度は私にはどうとも無い」
黒くて長いそれは悠々とこの深い色の海を泳いでいる。夢にまであいつはやってくることが出来るのだろうかとも思うと、自分がおかれている現状も頭の中で広がっていき、海の周囲が開かれていく。そうだ、こいつはどこまで自分の中を覗き込もうとしてくる気なのだ。波が自分の感情を写し取った様に泡立たせて、幾つもの泡が吹き上がってくる。周囲の海の光景は青からうっすらと色づいて明るい紫に変わってきていた。それでも、長いあいつは構わないらしくて、するすると泳いでいる。苛苛とする光景なのは、私はこの海できちんと泳げていないのに、アイツはそんなのまったく無視して平然としている事だ。
傍に近づいてきたそいつに向かって、水の中でも速度が落ちない拳を奴の顔面へ放っていた。
「でていけ! 」
何かやわらか硬い感触が確かに自分の手に伝わってきて、一度視界はなくなり、そして瞳をはっきりと開くことで、夢から覚めた今が映しだされた。光に向かって誰かが吹っ飛ぶような凄いスローモーションな光景と立屋の入り口あたりでもう一人誰かがいるような影。ぼやけすぎた夢の続きのような光景から目覚めきる前について、記憶はそれほど春明に残っていなかった。朝日が立屋に入り込んでくると、自分の姿を思い出していく。今は、女性としての肉体の形を見た目だけはとっていないということを。
「寝相が悪いにも、お前はほどがある。起こそうとした相手に対して殴りかかるのは相当の悪夢だったのか? 春明」
「いえ、その、覚えておりませんので何ともいいようが」
朝から春明は説教を受けているわけではないが、それに何故か近い状態になっていた。気が付いて目をこすっていたら立屋の入り口あたりに吹っ飛ばされている吉郎さんが転がっており、そしてついでで羽黒さんが何かを言いにきていたのにぶつかった。今この場にいない羽黒さんは軽症だったので近条路様の隊をそれぞれ見て回っての報告になっているらしい。あとでお説教がくるのも確定済みで。アオタンを作るほどではなかったらしいが若干頬ははれているので本当に思いっきりいったというのだけわかった。けど、夢の内容を思い出そうとすると、いまひとつ思い出せない。
「何が嫌だったんだっけか? 」
すっごく嫌なもの見つけてそれが殴れるサイズで、殴って吹っ飛ばしたと思ったのに、目の前には吉郎さんと、数名が通りがてらに笑っていく光景で、どう言っても自分の言い訳にしかならない。ぶつぶつつぶやけば、
「お前は、もうすこし、寝相を直せ。いいな」
と念を押されて。はいと答えるしかなかった。けど、夢のせいだから其処まで怒る事はないじゃないかと思うのだが。首筋を少しかくようにして春明が眉根をよせていると、首筋が少し軋むような気配がした。
『御方様は確かに悪くは無いですな。ああ、ですが夢に埋もれていながらに攻撃をするあたりはとても血気のあるよいことと思えますがね。そして、頭を抱えるようにして少しうずくまってください。術印が発動しているようにすれば少しの間は話せましょう』
影の中からあの声が聞こえてきて、なにか頭にもやっとした嫌な感情がでた気がしたが、話が出来るという事を彼の言葉で少し思い出した。周囲の視線がある中でも、昨日の……ちょっとどころじゃない大失敗かましたあとに斡辰がつけてくれた斡辰自体の術?らしいものでごまかしが効くのだったっけ。少しだけ影に目が現れ消えるのを見ると、そういうことらしい。春明は言われるままにかがむと、上から声をかけていた吉郎が急に顔を下げられたのに驚いて心配をする。
「おい、おい。俺はそんな強く」
「しっ、術印が光っているでしょう。ちょっとあちらと話です」
吉郎さんもかがんだのがわかったのですぐにそう伝えると、彼の顔が少し固くなった。何もそれ以上は言わず彼もはぁと一つ溜息をついて立屋を解体する作業をしつつ朝ごはんを作っている作業を並行して行っていた。少し申し訳ない気もするが、こうして黒乃と話せる機会があまりない中で話しをする時間が出来たいなら、無駄に潰したくはない。
『御大は昨晩の事で術印が発動している間に限り、斡辰からの令を受け取っているように見せる術力の塊を渡していかれました。御方には見えますまいが、御大の術印紋がいまはそのせいでうっすら浮かび上がっているのです』
(は? ちょちょ、いいのそれって? 式陣と契約しているってばれないわけ? )
契約が分かられれば自軍でも騒動になるはずだ、会話が出来るようにしたにしてはデメリットのほうが大きすぎやしないだろうか。吉郎さんがこちらをいつ手伝うのだろうと視線を送っているのもどうでもいい。何でそんな真似をしたのだろうか。
『御大は御方よりも術力操作に秀でておいでなことをお忘れにならないで頂きたい。仮に術印が輝いても御大はそこは抜かりなく、警告印という形で御方の肌に現れるようにしておいでです。御大は確かに私との会話を制限いたしましたが、御大が許しているというのもあって、契約に反するという単純な術式で警告印が浮かび、我等は上官に認められている形での会話が出来ているのです』
(えー、と。長い。つまり、出ている印は本物だけど、話していい許可をもらっているから、警告マークだけが浮き出るシステムが今組み込まれているって事? あってる? )
『システィムスは、ですからわかりかねますと。ですが、概ねあっておりまする。ただ、都度怒られているようでは怪しむため数度と御大は申していたのです。今もこうした状況ゆえに出てくる機会があったと判断して私が話ておりまする』
コレには少しばかりムッすりとせざるをえないだろう。つまりは、話すたびに斡辰様からおしかりを受けてますよーと周りに吹聴するようなことじゃないか。春明としての自分が以下にダメダメなのかを言わないと、黒乃と話が出来ないとは…………。
頭を抱えるような形になったが大まかな事を言い終わったらしく、黒乃はそれ以上喋らずに術印も薄れていった。吉郎さんが相変わらずちらちら見てくるがそれよりもまた更に視線が集まっていて、思わず睨みかえすと、ささっと各々が立屋の影に隠れてしまう。
「やれやれ、朝っぱらからまた先行きがよろしくないなんてな」
春明はそういいつつも、黒乃とまた話が出来るようになった事へすこしだけうれしさを感じつつ、朝飯のしたくと立屋たたみを手伝いに向かうのであった。




