ⅩⅩⅥー沈みし夜に火が一つ-③
結界から出て行った斡辰を出迎えるものは誰もいない。結界の外の夜には篝火や焚き火の明かりが灯る静かな流れがある。斡辰の術力を感じ取ったもの達はこちらから何かが出てくるのはわかっただろう。その一人が、結界の傍らに立っている。
「御大、いかがなされたのですか。斯様な時にこちらにお見えになっているとは」
「近条路か。何もない、只俺がしつけただけだ。気にとめることですらないな」
本当にそうだとも、しつけただけに等しい。甘い事をぬかしているならそんな内に死ぬだけだ。斡辰は後ろの結界へ振り返りはしないものの、背後に意識は向いていた。崩れたような術力の波長は今は自分にしかわからないだろう。だが、彼女の嘆きはこれからはじまる。
「俺は戻るがお前らの隊のやつらはもう少し締めておいてかまわん。だが、少しばかり得心が行かないこともあるので、其処にも意を払っておけ」
「はっ」
兜をおろしていた近条路の頭が深々と下げられ、斡辰は何事もなかったかのように通り抜けていった。ふいに、その姿は残像のように歪むと、霧散するように黒い中へと溶けていったのだった。
近条路はその後姿を見守っていたが、張られた結界がいまだ解除されない事を見届けると、無言で己の立屋へと足を戻していった。主君が多くを語らないのであれば、今は聞くべきではあるまい。式使いを含めての行軍初日とはいえ、こんな有様では先が思いやられる。言わずともあの御仁がそれを分かっていないはずがないからこそ、近条路はそうとまではいえなかったのだ。
近条路は結界の外でどっかりとあぐらをかいて待っているしかない。斡辰の結界はそれだけ強いし、何より式陣自体の動きも感じられる今では後を任せられたならば、彼らについてなにがしかをせねばなるまい。
「さてさて、血気の多い者ばかりつれてきたが、今回の行軍はいささか人死にが多すぎる気もするのう。いくら今回が鍛え直しを名目としていたとて、斡辰様の命をくぐってまでこの様なことが起こることはちと、できすぎて折る木もするしの」
右側の額をかりかりと掻いてみるが、やはりおかしいものはおかしいと、近条路は考えていた。今回の式陣使いを拾ったことから始まり、行軍の大幅な予定変更までは、許容するにしては大きいがあり得る出来事だろう。式使いではなく、術式使いという点でやっかみができることも考慮に入れる。だがしかし
「それだけにしてはちと、血気にはやりすぎている。春明と吉郎に目がいきすぎているというか、なんでかのう」
そうなのだ、彼らに対する風当たりは意図的にさえ思える。隊の誰それがそうさせているのだろうか、とも思っても思い当たるような人物はあるにはあるが、そこまでするかと言われると言い難い。手を下してくるならばこんな回りくどい方法なぞ使わず、昼間の通りに罵声か笑声かとわからぬくらいの適度ないびり程度ですませるだろう。自己の評価を大きく下げるようなことはしない狡猾さは持ち合わせているはずだ。
夜の幕は未だ深く、自分が見据えている先の結界はその色と斡辰の術力のまま何もなかったかのようにその場を包み込んでいる。二人以外の人物も結界の外からでは霧の中で目をこらす様なもので、術眼持ちの近条路と言えども三名が別で倒れている程度しかみえない。
「結界が解かれる前に一段落しておればいいがなぁ。春明も吉郎もまだまだ若いもの。上の御方も否とはいえず。
おもいをかたれど真、形にはしづらし。やれやれ」
近条路はおろしていた皮筒を少し開くと一口、渇いたのどを湿らせた。その隣で、ひどくゆっくりだが同じように腰をおろした人物がいた。
「なんじゃ、羽黒。お前さんがこうやってくるのはちと遅すぎやしないか? 」
「せめておいでですか。近条路様」
「いいや、だが配下の動きに目を配る力、まだまだよのうといいたいだけよ。お前が話しをしにいっていた隊長から返されたところだろうとは思っておった。お前なりに、あやつらの事を配慮していたのもな」
近条路の隣にどっかりとすわった羽黒はまとめていた髪を少しおろしていた。はちまきを外してしまって前髪をおろせば、彼の年は吉郎よりもずっと若く見える。結界の前に待つように近条路の隣に座り込んだ羽黒は、それ以上何もいわない。星も見えない夜のようで、この峠の闇は深かった。
「深く考えすぎよ。お前が回ったことは悪いとは思っておらん。いささか手の内を開きすぎるとは思うてはいたがな。あやつらに浴びせる言葉を減らすのもたしかにやつらのためになろうさ」
「ですが、私が言葉を重ねても斡辰様を出張らせる事になってしまっては、全くの無意味でございます。お手を煩わせまいとしたことは、役にも立っておりませなんだ」
座り込んだ両膝に腕をおきつつ、疲れた表情を浮かべている羽黒はちいさく歯噛みしていた。彼らに説教をしたのも、よけいなことをさせない為だけではない。のぼる言葉は防ぎようがあるはずだと、彼なりに注意をしつつ隊をみてまわっていたのだ。
近条路様に直でついている自分がいって回れば少しはおさまるのではないだろうかと。
「だが、それをするにあたっての影響をちと考えておらんなぁ。羽黒よ」
「は、はい」
「副隊を努めてお前は長くはない。もとは小隊を束ねるもので、確かにお前には隊を統べる力があるとは思う。だがな、お前が此度は動くことではない。術式使いも吉郎も実力をみせておらなんだゆえに起こったことである。本人たちが解決せねばならん手回しをしたところで、人はどうとみるかね?」
ゆったりとそう言った近条路は口調も穏やかで、眦のしわも緩むようなうっすらとした笑みを浮かべていた。そんな近条路からの話しをとつとつと受けながら、羽黒も結界が消えるまでの間に、幾らかの時を彼からもらう事になるのだった。
結界の中の時はいくら流れているのか分からない。春明の今の心には時の流れなんて関係なかった。斡辰は、自分のはやる気持ちも知っていただろう、そして戦い方をみてからの感情の爆発もみていた。春明は、彼の言葉の意味をかみ締めさせられていた。
「吉郎さん、私は術力を扱いきれなかった」
「うむ」
「術力を扱いきれなかった性で志坂さんを本当は生きたまま止められたかもしれないのに、それをしきれなかったし、なにより、今回の旅の途中に居た人たちまで迷惑をかけている」
「春明、落ち着け。お前があの落ちたもの達の事に責をもたねばと思うのも、斡辰様からのお言葉もどちらもすべてはかかわりをもちきれると思えなんだ」
そういいながら肩を支えてくれている手を離さず、彼はかたりかけてくれているが、彼だって自分が現れなかったら、自分が式陣を制御していて迷惑をかけなければこうまで言われなかったかもしれないのにと思うと、言葉を受け取れることが出来ない。
耳鳴りのような術力の結界に自分自身を押し潰されてしまえばいいのにと、思えた。
『御方、そうお思いですか? 』
「うおっ」
肩をさわっていた吉郎さんの手のひらが放され、代わりにざらついた感触が両肩をぐるりととりまく。春明の顔の前には口を結び困ったように浮いている式陣が居た。吉郎が肩に触れていたのがイヤだったらしく、春明の足元からするりと吉郎と春明の背中の間に滑り込み、その身体でもって吉郎を彼女から引き離した。驚かされたが何かを続けて文句をいう形だけ、吉郎の口が作りはしたが、黒乃の睨みに引っ込んでしまう。春明は黒乃の言葉に僅かにたじろいだが、答えようと口をうごかした。
「だけど、私は」
『御方、深く思慮する事と、後悔に沈みきる事を今の御方は取り違えておいでです。』
「な、黒乃どの。ですが貴方だとて言い過ぎを」
『お諌めすると? それはない。御方、あなたは確かに尋常ではない事に巻き込まれ、かつ、複数の死者を出す事となった原因を全てではないにしても、もっております。
だが、その痛みを抱えておいでなのも承知で言いましょう。
御方はどうあっても、それでも進まねばなりません』




