ⅩⅩⅤー沈みし夜に火が一つ-②
腕を掲げている吉郎さんは黒乃が放とうとしているようにみえた爪の動きや、自分にもたらされていた傷という言葉に腕を掲げたまま口を開いていた。
志坂の隊にいた所で彼に攻撃を加えたのは確かだ、だが、式陣が見えるというのに春明は違和感をもってはいなかった。志坂のように式陣を見ることができるが、術式を使うことが出来ない人間として彼をみていたせいもある。だが、まさかそんな事が起こっているなんて知りようもない。
「それ、では。私は術眼が、ついていたと。式陣様は仰りたいの、ですか」
言葉の端々が不自然に途切れるような話方になりつつも、吉郎は空中に浮いている闇に紛れる式陣へと語りかけた。空中で斡辰と同様にその身体を預けて浮いていた黒乃だったが、吉郎に顎を引いて頷いた。
『術眼とは違うな。そも、我等の技は一撃に相手を屠り、食らうことを目的としている。一撃でもそれれば己の姿をさらすのは、その一撃で仕留められなんだ時に起こるいわば、不始末よ。
御方は殺さずというたので、私はそれに従った。それによって引き起こされることははなさなんだがな』
「ならば、本来ならば私はあそこで死んで……」
黒乃はそれに、ああ、と淀みもする事なく答えきった。答えたのと同時に後ろから後頭部に向かって衝撃が走り、ぐらりと安定感を失ったからだが前のめりになったが、翼を一打ちして元にもどす。背後には振り返るまでもなく、眦を吊り上げている春明がいるのもわかりきっていることだった。
「この、馬鹿式陣! 殺さないというのは決まりきっていた事なのよ! それで式が見えるようになって何が不具合よ! 不始末なのよ! 吉郎さん以外だって志坂とか言うアイツだって私は殺したくなかった! 式の力を見えるようになった程度で不始末呼ばわりとか、酷いこといわないで」
いい音をさせた本人はこぶしが痛いのも構わずに式陣の首近くを掴みかかると、締め上げるようにその首元を両手で持ち直した。
思わぬ反撃に黒乃も目を白黒させているが、そんなの構いっこない。既に自分で言っている事がおかしくもなっている気がするが、殺したくないという事は絶対だった。
「そうよ、私は、殺したくなんかないの! 自分が殺されるのも嫌だけどね。
だから早くもとの世界に戻りたいのよ。このままじゃ」
「いつか、己の手で、殺す事になるからか」
はっとしたが遅い。斡辰は怒っていた春明の隣で傍観を決めていたが、その瞳は術力調整をやめたらしく金色に戻り、鋭い瞳孔は凍えるようであった。ついていた肘をおもむろに外し、座っていた中空から彼は降りると、春明の前にしかと立った。さっきまで親身とまではいかなくとも、多少の事を許してくれていたような緩やかな空気など、破り捨て去ってしまったようだ。となりに携えている銀色をしている剣も、それを示しているように鋭く輝いている。
見据えられているだけなのだが、春明の心臓が少しずつ音の速度をあげていく。失言をしたことはわかったが、何を言われるのかというので言葉が喉で固まってしまった。
「門外人、聞け。
お前が選びたいなら、俺を何故選んだ。お前が戻りたいなら、何故深く問わなかった。
この世、日津の本に来たのが例え意思なく、お前が元の世界に戻るために俺の隊にいるとしても、お前が殺さずにいられるか?
既にお前の為に死んだ人間を、羽末によって、襲撃によって死んだもの達を、お前が殺していないと言い切るのか?
もっとはっきり言えば、式陣の力、黒乃によって討った志坂はでは、黒乃だけが殺したのか?
甘さも大概にしておけ」
氷柱の問い掛けが春明を覆った。意識していなかったその思いがざわざわと下のほうから競りあがってきて、自分の喉へと伸びてくる。死んでいる人は確かにいて、それは自分たちの周りにいたから死んでしまって、志坂という人への力を止められなかったのも自分で。
斡辰はすくんでしまっている春明を未だに氷のような目でみつめている。問いただす言葉のような、突きつける言葉は、片木梨が向けた刃先のそれよりも深く春明を抉っているのを知っていて。
口元を押さえた春明はどんどん顔色を悪くしていく。だが、その春明の横にすっと人影が立った。
「斡辰様、ご無礼ですし手打ちになる覚悟で申し上げます。
春明は、彼女は少なからず未だこの世界に慣れておりませぬ。確かに、私は春明の術式で死んだかもしれないという事実に驚いておりました。春明が頃したくないという事でも驚かされました」
隣へときていたのは、足元が震えたままの吉郎だった。黒乃がその隣で春明を抱えるように立った彼へと威嚇音を揚げているが、黒乃のことは視界にすら入っていない。金目のままに彼も見据える斡辰の眼光を受けつつ、吉郎は震える声で必死にこう言った。
「ですが御大、どうか、どうかお願いします。
この世に来てまだ、春明は僅かな日数しかおりません。春明自身も世になれておらぬはずなのです。下位が出すぎていると思います、ですが、御大。
春明に今しばらく時間をください」
震えている肩をしっかりと支えてやる吉郎へ、春明は見上げることが出来ずに居た。かばってもらった事へさえ、罪悪感が沸いてきそうで、ともすればこんな人を傷つけかねなかった自分があまりにも浅慮で。
そんな二人を斡辰の目は色を変えることなくみていた。心臓の拍の音が耳にばかり響くような時の流れで、斡辰が一瞬きその目を閉じると、金に変わっていた瞳はまたその色をけすような鈍い色合いへと戻っていた。みなまでは、それ以上は彼も言わなかった。
浮かせていた術式の術力の塊たちをあっという間に集めてしまうと、彼は後ろを振り返らずに歩き出した。背後に残っている吉郎と春明の二人には目もくれない。
「こいつは四半時にいかずに消えるようにしておく。それまでそいつの話しを聴いてやれ」
そういうなり、斡辰は二人を残して結界の外へと立ち去っていったのだった。
あとに残された二人と、気を失ったままの数名が張り詰めていた空気から結界のただの反響する空気の中に取り残されていた。春明は、斡辰が立ち去った後、地べたに膝から腰を落としていた。慌てて吉郎がそれを庇おうとするが、弱弱しく、その手を払おうと右手をあげる。
「ごめんなさい。…………吉郎さん、いや、私が、悪かったせいです。あなたは何も悪くなかった」
いつもならこれしきの事、言葉がぽんぽんと出てくるのに、つまってしまった言葉はそこでしおれてしまったらしい。どういったらいいか置き場のない言葉だけしか彼に、自分のせいで責をおってくれようとした彼に話すことが出来ない。春明には、斡辰の言ったとおり、誰かを殺さずにいられるか、という問いに否と答えきれない自分がいる。
大国の兵器である自分、契約を交わし式使いを隠してここにいる自分は、式と言う制約に縛られる限り、いつ何時その力を人に向かって放つのかも分からないのだ。そして、その命を握りつぶす。甘さと、それをはっきりといわれても、否定しきれない。
「春明、お前も深く考えなくていい。ほら、斡辰様は深く問わなかったかともいったけれど、深く考えすぎとも言っていたじゃないか。思いを偽り続けることは難しい。
だけど、俺はお前がいっているみたいに殺さないでいたいという願いすべて、悪いとは思わないよ」
そういってくれた吉郎さんは、本当に優しい人物だろう。ただ、だからこそ、自分に降りかかっていることがすべて関係ないとしていたかった春明には、その言葉が斡辰によって出来た問いかけへと沁みて痛かった。




