Ⅲ-ⅩⅩⅠ 月に影は寄り添いて-④
感情が止まらない。噴出していく植物のような触手たちは私の何かだ。春明として名を偽っている私自身そのものだ。怒りはどこへもいけないからその場に噴出しては、萎れていく。
みている髭面の男たちも、それ以上攻撃がくるかどうかの判断に踏み切れずに、両隣から、吉郎さんを組み敷いている男の隣へ移動する。まだ私がこんな状態になってもあの人を殴るのだろう。
刀を抜くか抜かないかを迷うその姿は、自分たちがしでかした事にどうにかして取り繕うとする小ささが見え隠れして、それこそ春明の怒りを燃やす事に気づかずに。
動こうとしている男の一人が何かを耳打ちしていて、吉郎さんをひねり揚げた。
「おい、てめぇ。勝手に術式を発動したら羽黒様や近条路様へ報告するぞ、そのうねうねしたものをひっこめねぇか」
脅し半分おびえ半分の言葉なんかを今の春明が聞くかどうか、そんな事も分からないだろうか?
男たちの二人も既に柄を握って何時でも抜き放てるように刀を構えている。僅かな身じろぎも出来ないお互いを挑発するかのような空気が、生え続ける草たちの腕を伸ばさせていく。
ふと、春明はそのとき思った。目的がないただの怒りから、この草が続けるならば、目的を見つけてやればこの溢れている物は収まるのだろうかと。吹き零れている怒りは静かに理性の外側を伝って、感情の一部を凍らせる。ならば、怒りの意思をもって彼らを殴りつけられれば。
春明の考えに、草たちの先がゆると動く。只の葉先だった先端は、音もなく複数に分かれた。分かたれた先端はまるで指先のようにヒラヒラとうごめいたが、立体感はない。だたの影に其処までの力が加わっていないからだ。
「な、なんだこれ。おい、使いこなせないっていってたってお前聞いただろ」
「いや、大した事なかったんだよ、ただの黒い塊がでただけでよ」
目の前で起きている術力の放出らしい様子に、男たちはあせりを隠せない。腕をとられて動けない状態にある吉郎にさえ、術力の余波が来ているのがわかるほどだ。ひねられている腕が痛くてうまく身体を起こせないが、吉郎の目にもうごめく黒い何かがうつった。
実際に戦闘で行ったものよりもそれはずっと濃い影で、形をなしていても夜の闇と違うなにかだ。上に乗っている男の拘束が少し緩んだがそれでも、吉郎はえび反るように前を見ることしか出来なかった。
「そんな」
でた言葉は放出し続けている黒い影に向かっていったが、届かなかった。春明の影は伸び上がり足を覆いつくし、水が昇っていくようにその身を色つけていく。
無数に分かれた自分の腕になる群れなす黒を、まだ使いこなせていないのは事実だ。けれど、方向性を向けることくらいならできる。指に意思をこめ、更に吹き上がる術力をはためく影たちに注ぎ込もうと、手の平が痛くなるくらい握り締めた。
私だけが言われるのも、吉郎さんが言われるのも納得なんかいかない。上の奴らだって従おうと思って仕えたつもりはない。黒くなっている影の意思をそのまま受け継いだように膨らむ己の不満は渦巻き、立ち上っていた形を抑え周囲を取り巻いた。
巻き込んでいた草たちはその影の指を折り重ね、幾つも幾つも力を注ぎ込むごとに立体になる。アレだけあった影の草たちは束ねられ、三本指の長い腕が三本、自分の周りではっきりと影としての形を成した。
「これで、いい」
言葉をうまく発せなくなったかもしれない。喉の奥に熱いなにかがある。春明の影を媒体とするそれらは注ぎ込まれた主の願いを受けて、その三本の指を握り締めると吉郎を抑えている男たちに向かってその拳を構えていつでも殴りかかれるように体制を整えていく。
影の形を見た一番後ろが一歩下がった。続くようにその男がこちらをみたままで下がろうとしている。
「なぜ、にげる」
低く返した自分の声に、誰も答えない。吉郎さんでさえこっちをみておびえている。
伸ばされた影へ注ぎ込んだ術力を、発動させようとした、そのときだった。
周囲が歪むような視界の反転と眩暈。男達の膝をつく姿が複数見え、目に飛び込むのは黒いのに、透明な物体。まるで周囲を円形に囲んでいくようなそれは立ち上がった瞬間に、場を包む。黒く透明な物体が何をしているのかと、見ようとすると砂嵐の掛かるような画面が目の前に現れる。春明が目元を払おうとする事はできない。腕がいつの間にか上がらなくなっている。
影を使っていた腕たちもその黒色なのに透明な何かに絡めとられて身動きが取れなくされていた。もっと術力を注ごうとして傍に聞きなれた声がしなければ、きっと影をもっと動かそうとしていただろう。
『御方、お力をお納めください。貴方の放出が強すぎ、術力の飢渇を起こしまする。そうなれば、動けなくなる。お納めください! 』
はっきりと聞こえた声の主は、自分の影にはいない。どこからでてきたかそれの胴体を見る事はできたが、頭のほうをみつけられず、周囲に乱響する音に耳を押さえたくなる。腕をあげることのできないだけじゃない。体ごと何かが自分を押さえつけている。
「おい、少し力を抑え込め。式陣使い」
聞いた覚えのある声が、視界の砂嵐を抑えた。混ざり合っていた黒が抑えられ、そこに至るまでの黒を何かにとられている。
「意識はあるようだな。おい、押さえろ。でなければ、俺が命じる。
春明、控えろ」
放出していた黒の口が無理やり閉ざされ、力が内側に盛りかえされた。影の腕が途端に霧散して自分の足が崩れ落ちる。また、何も分からなくなるという事に春明は手を伸ばそうとした。
動かせないけれど、嫌だと。分からないままでいることが多過ぎて怖いと。
誰もとってくれないだろうという思いもあり、そのまままた倒れ伏す。直前で誰かが自分を抱きとめてくれるような感覚に、少し安堵して。
「間に合ってよかった。おい、黒乃。こいつを直ぐにおこす事はできるか? 飢渇してるわけじゃないが、これでは話しにもならねぇ。あと、こいつに割く時間をふやす事はできん」
『御大があそこまでのなさりようをするからでしょう! 仮にも私の主はこの者だ。御大以上に我が忠を注いで何がおかしいか! 術力の波で既に片木梨たちも向かってくるだろうし、この始末をどうつけるおつもりか! 』
息をついている腕の中の春明は、黒乃がかけていた術式を解かせて女の姿に戻っている。数名を取り巻いている斡辰が作り出した結界の中では、黒乃が遠慮なくその姿を現し、斡辰の腕の中にいる主の傍に行こうとぐるりとその周りを巡っていた。
数名はまだ春明の術力放出と、斡辰の重ねた術式、『意断ち』による術式によって強制的に意識を断たれている。吉郎にはその術式を放ちはしなかったが、術力の力場が出来ているここでは思うようには動けないようだった。
急速に展開した結界を維持するのは楽ではない。だが、斡辰は造作もなさそうにイラついている黒乃へとこう言った。
「俺が展開したのを知っているなら、あいつらは来るだろう。術力感知できる隊長や副隊のやつらもそれに習ってくるだろうさ。だが、こいつが術式の発生源だって知らない奴もいないだろう。術力を捕らえても、こいつで周囲を圧しているのなら中で料理しているくらいに思うだけだ」
斡辰の左の腰に下げられている剣の色は闇の中、黒乃の影を制しながらゆっくりと明滅し、結界の安定を図っていた。周囲に渦巻く流れさえざわめいていた影ごと制している。わざわざもってきたこの宝剣、その術式発動が影を押さえ込んだならばどういうことなのか。少なからず、斡辰の隊を束ねるもの達がそれを察することが出来ないわけではない。
宝剣と、圧された影の術式は斡辰が直に春明を押さえつけたという意味合いをはらみ、少なくとも斡辰が何かしらの手を打ったことが考えられるなら、その結界が外れるまでは寄る事は叶わないということだから。




