Ⅲ-ⅩⅥ 眠れぬ夜に 月はなく-④
春明たちへの説教をみていたもの、それは吉郎以外でもうひとりいた。最初の説教を既に聞き終わっていた彼は、足取りも軽く自分の立屋へともどっている。片手にもっている皮紙の内側につらねてある文面を握り、誰にも気づかれる事なく。
するりと陣の間をぬけていき。彼は一人の男へとそれを受けわたす。受け渡されたそれをなんということもなく男はまた陣をぬけて白い幕の下へとすべらせると、何事もなかったように立ち去っていった。
陣幕の内側では、待っていた手がそれを素早く拾い上げ、書面に目を通す。
皮紙の受け取り主である片木梨は、その文面をみて顔をしかめた。幕をもってつくられている一つの休息所にはそれぞれが休みを取れるようになっている中で、片木梨は目を覚ましていた。斡辰は既に休んでいて彼の幕の火は落ちている。三つ首の一首が常におきていることでいつ如何なる時も急に応じることが出来るようにしているが、今回は井双路と片木梨両名が起きている状態だ。羽末が襲われた時を考えるとやはり三人のうち二人が寝る通常の状態では間に合うまい。
「あの、吉郎とか言う男。抜けているとは聴いていたがそこまでか。しかしまさか隊記の徹底が細部にわたってないのを、こういうもので知るとなると残念だ」
近条路隊にいる彼らにつけた羽黒で、この抜けが正せはしないだろうかと頭を抱える羽目になろうとは思わなかったのである。せいぜい良くて、術式使いとしての動向がどうだとか、隊の内部での動きが伝わる程度だとおもっていたら、しょっぱなから報告書類でなく観察日記になっており、指摘をするにしてもためらわれる出来に仕上がっている。
皮紙を難しげにみつめている片木梨の横にいつの間にかきていたのは井双路だった。手にもっている覆いのようなものには、さっきまで行軍日程を記していたあとが残っている。
「お前も少し休んで置けよ、岩。考えすぎて額の縦じわの数が増えすぎるぜ」
「抜かしとけ。一応報告まがいの書類だが。見ておくか? 式陣を使わずに術式構築をなしたことが書かれているが。なんともというところだ。初日から大それたことをするとは思えないが」
「アイツのことだろ。春明ちゃんの術式の使い方やらなにやらが飛び飛びすぎるのに、俺たちがどうついていくかって問題になっているしな。今は。
いくら門外人でも、変だろうとは思うがな」
井双路は手元にあった行軍日程を椅子におくと、片木梨から差し出されている報告書類を手にとり、渡された皮紙を読み噴出した。腹を抱えるほどではないらしいが、幕をつかんでいる手が震えている上、頭があがらずに肩が笑っている。
「笑い上戸だな。真面目で常にいろとは言わんが、今に気をそれほど散じさせるな。水守宗様の守に俺たちが入っている状態だぞ」
「わぁってる。くくくっ、だーめだ。いや、面白そうな奴ってきいていたけどこれほどとは、岩のほうもあまり深く考えんじゃない。根っからの頑固さは悪くないが、こういう突発的なのは柔らかく考えていったほうが、対処もしやすい」
ひらひらとさせた皮紙を井双路は片木梨の手にもどすと、斡辰が眠っているであろう幕のほうを見ている。井双路が気づいたのもたまたまだったのだが、いつもならしない気配を見るということを行ったからみつけられたのだろう。井双路の反応に片木梨もその幕をみているがふと、何かに気づいたようだ。
簡易的においていた幾つかの巻物をおくと、ざくざくと斡辰の幕に近づいていき、其処へ静かに声をかけた。
「失礼します。斡辰様」
片木梨の問いかけには、誰も答えない。スッと幕をあげると、寝椅子には緩やかに人の形をした曲線が残っているが、その気配はなく、覆っているかぶり布をあげると、下にあった術力の塊で作られていたものが霧散する。あとには術力の残滓が残るばかりで、そこに眠っているはずの人物はなく、一言かかれた紙が置かれていた。
『話をしてくる』と、えらく端的な内容だがのこる二つ首には内容は分かりきっていた。息をつくでもなく片木梨の押し殺す様な呼吸が深くなった。
「また、ですか」
「岩も毎度毎度騙されているな。寝に入るってあの素直じゃない御仁がいうわきゃない」
片木梨の握っているかぶり布がはたはたとひらめいたなか、井双路がその脇でおいてある斡辰の宝剣がなくなっているのに気づく。もっていったのは当人だろうけれど、契約者に会いに行くにしては実に大掛かり過ぎるだろうといいたくなったが、きっと頭に手をあてている片木梨はまだ、ソレに気づいてはいない。片木梨が気づいた後のことを思うと気の毒ではあるが、井双路はさっさとソレに巻き込まれないために自分の幕へと下がっていったのであった。
月の無い夜、斡辰を覆っている術力の幕は光を受けずに発現させている術力と纏う術式によって髪の色を変色させていた。ほつれたような銀髪は、ぬばたまの夜を吸い上げて黒く黒く染まっている。脇に下げている剣もその形が見えないように覆いと術式で二重に紡ぎあげている障壁で見る事はできないだろう。
「これならいいだろう」
期待するような笑顔に、企むような微笑を浮かべている斡辰は、陣の間を縫うようにすらすらと歩いていく。隊長格に遭遇せず、術眼もちの目にも触れないように進んでいくその様は、獲物を狙って進む猫の歩みそのものだ。近条路の隊も、火を早めに落としているものも多数で気づく人物はほとんどいない。仮に気づいたとしても、話しかけることをためらうか見なかったふりをするだけだっただろう。わずかな術力で紡いで作っているこの装いでは、顔立ちを見られただけでもきっときづかれてしまう。そう思いながらも、斡辰は昼間の術力を使った本人の話しを聞くべくこうして姿を変えて向かっていた。興味本位であると、言われればそれまでだが、術力の使用をどうやってかか可能にしている何かがあるはずだ。
(さて、式陣使いのやつはどこにいるか)
斡辰の瞳には幾つかの術力の塊うごめいている様がうつっていた。発現している者は、発現をした属性の色に染まっている。薄い色合いをしているそれらの奥のほうで、ぞわりとした何かがいる気配をみつけた。
今はうっすらと色を変えている金の瞳は、その鈍い銅を細めてその黒い色合いを探っていくと、近条路の隊の奥に当たる部分で複数の人影がうごめいている。一人は一人を羽交い絞めにし、もやついている人物はまるで不定形の間欠泉のような術力を放出させ始めていた。
「これは、ああ。ちと問題だな。契約者としてはそれを正さねばならんが。今回は式の力も使えん」
襲われているのはきっと春明と吉郎だろう。術力の塊の一人が羽交い絞めにされているところをみると、きっとそちらが吉郎だ。春明とおぼしき気配の人物が噴出している術力を相手に向かって
放出していてそれが吹き付けているだけなので抵抗にもなっていない。
問題といえば、それが同隊の人間か、それとも別隊の人間が来ているかというところだろう。高術力の放出になれば羽黒や近条路も直ぐに飛んでくるはずだ。それでは折角抜けてきた意味がない。斡辰が自分の術力を変性させなおし、大きくなる前に止めようとしたときだった。
『契主殿、そのようにされますな。貴方の術力でするような事案ではございませぬ』
影の中にいつからそいつは潜んでいたのか、自分と同じ金の目をもっている獣が、こちらへと言葉をかけてきた。おいていた術力の変性を止めると、斡辰はその金目へと静かに話しかける。
この状況を黙ってみているわけにいかないのは、この式陣もだろう。
「では、どうする? お前の力を使うか? 俺では属性があわんから術式にもならんぞ」
『契約を知るならば、手はいくらでも。契主殿、文献に残っている事柄、貴方様の知らぬ術式を一端、ほどきましょう』




