Ⅲ-ⅩⅥ 眠れぬ夜に月はなく-③
水音に交じる気配を感じ取れたら、春明にも何かという正体はわかったかもしれない。暗視の使える瞳でもそれはうまくうつらなかった。
もどってしまった水面に自分の顔がうつり、となりで松明を掲げている夏緒の顔も揺らいでうつっている。流れが速いことと夜の闇にはっきりと自分の顔はどこか幼く見えた。水周りの光は掲げている松明だけで、他には誰もいない。わずかに蛾の様なものが光に引かれて飛んでくるが、松明にそのまま飛び込むと水面に落ちて、流れに飲まれていく。
「術式つかい。水汲み終わったか? 」
「あ、ああ。うん。すまない。何もなければここも只の川べりなんだと思ったら少し、感傷に耽っていたみたいだ」
静かに頷けば、ぽんと頭に手がおかれた。大きいこんな手の持ち主はあいかわらず穏やかそうな瞳で何を言うでもなく軽く一なですると、「行こう」とだけいって降り口の隣に立つ。今のは一体なんだったのかと、言葉にでてしまった。
「すまないけれど、男相手に頭を撫でるのって言うのはよくあることなのか? 」
「? ない。お前ボッとしする。落ちそうだから」
気づかせる意味合いで頭に手をおいたという事だろう。私でも人の頭においそれと手をおいたりはしないが、そういうところは無頓着なようで、夏緒さんは本当におっとりとした性格の犬のようだ。構えている棍棒を上下にゆっくりと手遊びに揺らしているのは、まるでシッポ振っている様だ。そのせいだろう、家で飼っていたグレートピレニーズのスノーが扉で待っていてくれる光景が幻のように目の前をよぎる。ま白い毛皮に、緩やかに振る尻尾が見えるような気がするくらい彼とスノーは似ていた。
犬と似ているのは失礼だとは思うが、春明の目からはもうおだやかな顔をしている大型犬としてのイメージがあまりにもしっくりきてしまったせいで、このまま彼の印象はよっぽどがないかぎり変わりそうには思えなかった。
「気を使ってくれてありがとう。けど、自分以外にやるときっと怒られるだろうよ」
「聡円も、そういう。俺が頭に手を載せるのやめろって。けど、聡円いつもおちつかない」
会話をしてくれることによくしたのか、さっきよりも単語はすくないながら夏緒は話しかけてきてくれる。春明が降り口を先に上り出すと、その後ろでちらちらと背後を確認しながら夏緒はついてきた。本当に、やさしい人物だ。
「聡円さんか、落ち着かないから手を頭に置いて、落ち着かせているということか? まぁ、ソレが一番手っ取り早いだろうな。あと、私は術式使いだけど、名前はある。春明という」
木の枝をつかみながら少し高い段差をのぼって後ろをみると、首をかしげながら夏緒さんは、くちもとで私の名前を口にしていた。ちいさく区切るように、覚えるように数度口に出すと、「春明」とこっちをみてしっかりと言葉に出す。
「春明。わかった。お前今度から春明だな」
「そうだ。術式使いでもかまわないけど、どちらに呼んでもいいさ」
「名前、お前。だから、術式使いちがう」
しっかりと覚えたらしい名前を大事そうにする夏緒をつれて、道中をもどっていくと松明をたかれている降り口のあたりにすぐにつくことはできた。となりで槍を構えていた聡円さんは、待ちかねていたようにあがってきた夏緒さんの腰のあたりを叩き、遅いといっている。
「おまえな。竹筒と皮袋にいれる水はそんなにあるのかよ。おせぇおせぇ! 早くに来なけりゃめしもできねぇぞ。夏緒も急かせよ! 俺たちだってメシ支度あるのに片方がいくってだけで時間食っちまう」
「悪い。でも、水汲んだ。春明もういく。終わり」
「春明? ……おお、こいつの名前か。へぇー、春明様ねぇ。ま、術式使い様にしちゃ春明で充分だな。さっさとまっている奴のところにいってやれ。あと、次にくるときは二人でこいよ。そのほうが今みたいに、他隊の奴に背中を守ってもらうことにはなんねぇから」
「別の隊の人に力を借りることはあまりやってはいけないと言う事でしょうか? 」
「だな。お前は片木梨様の隊、黒首隊の面子にあたる。青首隊になるおれら井双路様の隊とはまた別行動になるときがある。別隊の行動全てを把握しきれとはいえねぇさ。こんだけ人数があったらそれで混乱になるからな」
そういうと、聡円さんは直ぐに隊に戻るようにとせかした。
やはり二人でいるはずだった組の片方をおいてきたほうはよくないらしく、もしも残されている吉郎さんがみつかればしかられるだろうと言うのだ。
「吉郎ってやつも難儀だなぁ。おまえな、ちっとは話し聴いてやれよ。ここの隊やら人について頓着がないっていうのもあろうけど、お前ばっかの事情でこの隊はうごきっぱじゃねえんだぞ」
「聡円。あまりいわない。春明知らなかったから、今知った。それ以上だめ」
夏緒さんがまた松明の隣に戻りつつも、自分の名前をよびつつ庇おうとしてくれている? のだろうか、火の明かりに照らされながら口元を少し尖らせているのがわかる。別の隊でなければもっと仲良くしたかったが、そうもいってられないわが身だ。親しくなれたと思っても、そううまくはいかない。
「あん?知らなかったのもあるからそれ以上はいってやるな。注意しすぎだと? まぁ、
っと、らしいな。俺がでるところじゃなさそうだ」
聡円が言葉を区切って自分の左肩の後ろを見るので、その先を自分もたどると、お約束だろう。吉郎さんはその場にいなかったが、眉をきつくあげている羽黒さんが、腕組みをしてこちらを睨んでいるではないか。皆まで何を言うでもないが、彼はその苦虫でも噛み潰したような顔をくいっと後方に向け、こちらに来るようにと伝えていた。
何が自分に待っているのか想像するに硬くないだけ、とても遠慮したいが、下っ端の選択肢に否という文字は欠けている。
「が、がんばれ」
「ご苦労さん」
二人の声は温かくとも羽黒さんから受けている視線は極寒である。
「ありがとう。行ってくるさ」
かえす言葉を残して、春明は自分のいる隊へ羽黒様に引き連れられながら着いていくしかなかった。
道中の言葉は一言もなく、羽黒様もするつもりはなかったようだが、羽黒様の立屋に来た時にその閉ざしていた錠前がはじけた。
「馬鹿もんが!! 貴様はほいほいと動いていいという話しをされていたのか! 」
「っう」
弾け跳んだ錠前を誰かが留めなおしてくれまいかという希望は、一気に周囲から人が引いていったあたりで儚いものと消えた。立屋の隣でげっそりとしていた吉郎さんでさえいなくなっている問い始末である。それはもう、片木梨様との戦いもかくやというほどの怒声は、一に隊を勝手に離れるなという事から始まり、五に二人一組という鉄則を知らないにしても破った事への叱責へと流れるように続けられ、周囲の炊き出しが終るころまでその叱責はかかった。
「で、あるからして、お前はその自覚というものをもたなさ過ぎるのが今回の一番の失態だ! 今後はその旨を肝に銘じておけ! 次は声だけですむと思うな! 」
「は、はいっ! 」
「どもるな! 一回で返事せんか! 」
「はいっ」
胃袋がおなかがすいていたいのか、それとも怒声続きの叱責で急性の胃腸炎をおこしたのかわからないが、春明の腹中はぎりぎりとし穴を開けられるような痛みがした。吉郎さんと作るといっていた立屋も既に完成しており、羽黒様は説教が終るとさっさとその立屋に引っ込んでしまった。
「お疲れ。春明」
説教が終る頃合いを見計らっていたのだろう。立屋前には吉郎さんが戻ってきていてくれて、同じようにゲッソリとした顔を二人でしていたことだろう。
「そちらもお疲れ様。いや、単身で行動してしまって本当に申し訳なかった。今後は気をつけます」
二人してはぁ、と盛大な溜息をついたが、立屋中の人物がまだ足りないかとばかりに大きく咳払いをしたのをきいて、一目散に自分たちの立屋へと走っていくことになったのも、誰だってそうなるはずだろう。




