Ⅲ-ⅩⅤ 眠れぬ夜に月はなく-②
後ろに目があったらよかったけれど、今の吉郎さんをみているのはとても心苦しい。春明は知っていることと知らないことの入り混じっている今、何を話してもそれが本当かなんていえないことがわかってしまっている。だから、余計に彼と放していられなかった。手助けしてくれる人物なのに、頼りきれないしすがってもいけない。人じゃない頼れるかどうかもわからない奴は、今は影の中に沈みきっていて、話しかけることもしてこない。
自棄になっている自覚もきっとなかっただろう、春明は早足で入り口に向かっていた。
沢への降り口に焚かれている松明の横で、馬鹿でかい兵が一人立っているのにも近づいて気づいたほどには。線がかかれたような口もとは表情が読めず、目の当たりも何をいいたいかを判断しかねるような男だ。かまわず近づいていくが、目線はこっちに向いたままで何も言わない。
体格差でいえば井双路様よりも大きいが、ガタイのよさでも片木梨さんを少し縮めたくらいで遜色はない。春明は隣を抜けるのに何も言わずではためらわれるので、そっと声をかけて通り抜けた。
「お疲れ様です。隣を失礼します、水汲みですので」
「…………気をつけろ。通達がきてる」
抜けようとした横で男の声が上から降ってくる。見上げると目線がかちあってしまいドキリとしたが、よくみると表情が見づらいだけで、彼は吉郎と同じように穏やかな目をしていた。こすったような汚れがほほについていて、額にしっかりと巻かれている鉢巻も薄汚れてしまっている。
「通達、ですか」
「……、羽末なら、この夜に乗じてくる可能性がある。一人の行動は、慎むようにと」
先ほど、隊長たちが話していたことだろう、詳しくは聴いていなかったけれどこの人物の隊はすでに話しをきいていたらしい。静かに彼はそういうと、春明の横から動いて通り道を塞いでしまう。怪訝な顔をしてそれを見上げているが言葉少ないこの男はきょろきょろとあたりを見回し、近くで動いていた井双路側にあたる兵士へ声をかけた。
「聡円、すまないが……少し変わってくれ。術式使いが、一人であぶない」
「お? はぁ、はぁ。夏緒の頼みなら。ん? そいつの護衛に入るのか、おい」
聡円とよばれた男がひょこひょことよってきたが、隣に居るこの男性に比べるとすごく小さい姿に、見比べないようにする。目線をたどってしまいたくないが、自分よりも小さいというと少し小柄な男性になるだろう。実際に百六十もないほどの大きさに感じるのだから、おそらくはもう少し小さいかもしれない。組み立て終わった立屋の近くで自前の武器を整備していたらしい。体にあわない刀が背中からひょっこりとでている様は、刀が背中に抱きついているようだ。
「そう。……術式使いなら、あぶなくない。でもあぶない」
「? どういうことですか」
危なくないかどうかを彼はいっているらしいが、主語抜けの言葉遣いでは何を言っているのかを判断は出来そうにない。春明が訪ねても、傾けた首でこちらをみているだけであとは、んー、や、あー、といった言葉しかでて来なくて会話ができそうになかった。
「あー、な。夏緒の言葉はすくねぇから。言いたいことはな。術式使えるから危なくないかもしれないけど、羽末はいつでてくるか分からねぇ。だから一人じゃあぶねぇって言いたいんだろ。な? 」
見かねたように聡円がそう付け足していうと、こっくりと夏緒は頷いた。何とものんびりとした男性である。張っていた気が少しだけ取られてしまったような気持ちになるが、心もち軽くなったことはありがたかった。
「そうか。ありがとう。術式使いではまだ半人前にも満たないかもしれない。そう言ってもらえるととてもありがたいけれど、自分が一緒だと、貴方たちもよくは思われないだろう? 術式使いのせいでということも多いようだしな」
本当にそうだ。魔法みたいなことをきちんと使えるわけでもないのに術式使いって名乗る事はきっと間違いなんだろう。斡辰たちの前で誓いはしたが、どうしたってそれが果たされているように思えなくてならない。春明はそういうと、夏緒と呼ばれた男性の横を通り抜けようとした。
「ちがう。……お前術式つかうことは変わらない。でも、外人。そして、通達絶対だから、守らなければならない」
「……なんだ。調子狂うな。術式使いだからクソ生意気だと聴いていたのに、そういう言葉遣いを姓無しにまでしてくるあたり、ほんとに右も左もって形かよ。
まぁ、作ってるにしても夏緒が言うみたいに通達は遵守だ。危険が無い限りは徹して守る事。そいつが隊の規律でな。まぁ、夏緒が一緒ならいざってときゃ大事ないだろ。」
聡円はそういうと夏緒が立っている隣に来ると、手で降り口のさきへいくようにとふった。どうしてそうなるのかと、話しを聞いていないのかと。
「いや、確かにそうかもしれないけれど、自分といると、よくは思われませんよ。聡円さんや夏緒さんの言葉は助かりますけれど、あなた方に響くようでは」
「小難しい事いってねぇでささっとくみにいきゃいいんだよ。それ以上のもんでもねぇんだからきにすんな、面倒な奴だな」
そういうと、降り口へと夏緒さんとあわせて押しつけられてしまった。松明を手に持っている夏緒さんの隣で呆気にとられたが、夏緒さんもそれ以上は言わずに松明の隣におおきな棍棒をもって下へと先に降りていっている。
春明は迷ったが、一人になることはできないらしいと考え、静かに彼の後を追っていくのであった。
水場は、僅かに張り出している岩のところで、流れはそこそこ強いらしく、ゴウゥという風と低音にしぶきを散らしていく。手近なおりれそうな岩場に足をかけ、もっていた手桶に水をくむと、
バシャッ
水音に紛れて何かが跳ね上がったような姿がみえた。
「ここ、魚多いらしい。あれ、羽末じゃない」
「そうですか。気遣ってくれてありがとうございます」
夜の川は何も見えないだろうに、夜行性の魚でもすんでいるのだろうか? 春明は疑問に思いながらも、待たせてはいけないと夏緒に汲み終わった竹筒と、皮袋をみせて上に昇ろうと告げたのだった。
水中に、それは輝きに反応して沢の岩陰から彼らをうかがっていた。
生み出された主に命ぜられたのは、彼らを見てくること、そして、機会があればそれをつれてくることにある。羽末に比べるといくらか小さなそれは、水の流れに沿うようにゆらゆらとして、輝いている明かりの手元にいるもの達の傍へとゆっくりと、忍び寄っていった。
ひらひらとしているヒレは羽末と同じだが、ひし形に体の向きを保ち、水の流れる音へ逆らうような真似をせずにひたすら見ることに徹していた。
近寄ってみたその目には、ひとりの大柄な人間とグルグルとしたもやにまかれている人の何かがいる。
そのもやは同属のにおいをはらみ、主が望んでいるモノをかくす様に動いていて、邪魔なものだった。僅かな自我をもっている水に潜むものは、モヤごとそれを連れ去れないだろうか。
そう、考えた。
覆っているだけのものが、取れぬはずはない。きっと水に突っ込んでしまえばもやもやはとれてしまうだろう。そう、考えたのだ。
長い尾をうまく伸ばしてあいつの足へまきつければ、きっと速やかに事はいく。
少しだけ、いびつになったソレは、尾のほうへ自分の身体を絞らせていこうとして、水の同じ中で何かに触れた。
触れたと感じた時にはもう、僅かに伸ばしていた尾を残し水の魔は影の中に引きずり込まれていた。立てた水音に、春明たちが反応したが、その音は魚が跳ねるような音にしか聞こえなかっただろう。日のあるところなら、水面を蹴立てて伸び上がる黒い顎と、くわえられた細長いエイの姿が見えたはずだ。
がつがつと細長い身体をむさぼっていき、尾だけを残し速やかに影へと戻っていく。主である春明に姿をみせぬよう、斡辰たちには気取られただろうが、術を使ったわけでもなければ春明へ干渉したわけでもない。他の奴らが警戒を強めるだろうが、羽末と勘違いされる分には黒乃には充分だった。
『姿なきとて、御方を守ることは止めるとは言っておらなんだでな』
僅かにそう呟いた彼の言葉を聴いているのは、沢の近くで鳴いている虫くらいだっただろう。
吉郎さんがみていなくっても、黒乃さんは実はしっかり守りに入っているというお話。しっかりみてないと羽黒様からも怒られるだろうにと。




