Ⅲ―ⅩⅢ 内の背中と火-③
三名それぞれと斡辰との術力を束ねて紡いでいた結界が井双路の手で解かれると、陣幕をばたつかせる風が起こり、周囲へ結界が解除された事実を伝えた。三名が並ぶ図の前には術力の風に巻かれて倒れた図面の駒と銀龍の駒たちだけが微動だにせずにその場に立っている姿が残っている。それは、斡辰自身の強さをまるで示しているようで、同様に置かれて微塵も動かない左首と右首の駒も三首としての補佐である二首のあり方をそこに伝えていた。
「各自部隊の奴らに休息はしっかりとらせろ。次の休憩地まではそれほどはないが、明日は羽末の数も増える、かつ行軍を遅らせるための罠も考えに入れておけば気は抜けん。峠を抜けるまでが勝負どころになる。いいな」
斡辰がそういうと、主隊長三名はそれぞれ一様に礼をかえすと陣幕を後にしていき、その後姿を三名は見送った。
姿と気配が遠のいたのを理解すると、井双路の張っていた肩がさげられた。
「っかー。斡辰様、思い切ったことするとは聴いてましたけどね。いや、うん、何も言うまいと俺は思っていたんですよ。そのはずだったんです」
「あの場を超えればあとはどうとでもなるだろう。術式使いとして優秀なという名目が立ちさえすれば、つれている意義を知っている人間が出る。主隊長にそう伝えているのに、間違いはあるまい。近条路の顔もえらい事になっていたがな」
どっかりと椅子へ座りなおした斡辰は、主隊長たちへの説明を終えた緊張を払うように持っている携帯煙管を取り出すと、荒々しくその煙をすった。
片木梨もあがっていた眉と、寄せていた額のしわをなくそうとしたが、斡辰の言動に気が気でなかったのは彼に他ならない。即興についていくのは得意ではない彼からしたら、今の発言を部下たちにうまくごまかせたのさえ、驚きだということだ。
「私にそこまで振るとは思いませんでしたがね。いえ、確かに報告とこの眼ではみていましたがみていたのが新庄だったからこそ訳が立てられたと思います。実に春明は突拍子もないことをしてくれました」
「ほう、じゃああの話は半分以上は本当だと? 俺はてっきりやつが手を貸しているものとばかり踏んでいたんだが。春明ちゃんじゃ無理だろ、そういう類は」
術式を彼女がちゃんと発動しているかどうかといわれればそうだと片木梨は言った。
先ほどの発言に重ねるならば、本当に術式使いとして動いているなら彼女の術式の発動は正規の発現とはいえない。術式は手順を追っていけば、助発の言葉を用いてその形を音にし、術力をその言葉に従わせて形を描く。同じ言葉を使用したとしても、術者の力量によってその形がまったく異なるものだ。
術力を発現させるために必要な助走をつけずに発動するということだけを考えても、門外人だとしてもなかなかに在りえない。
ただ、彼女の場合では前提条件が違っているのが三つ首の知りえていながら、あの二名には話さなかった真実が其処にある。
彼女は、術式使いではない、式陣士の卵だ。術式使いが一から構築して発動する術を、彼女ならば式陣の力を用いれば即座に発動するくらいはできる。式陣が勝手をすれば、それこそ彼女の術力のある限りで大技を乱発する事さえ可能なのである。
だが
「いや、あの黒乃というやつだが。まったく力を加えておらんかった」
「は? 」
片木梨は眉頭のあたりをつまみつつそう二人に言い切った。本当に、自分の術眼からみてもそれは確かだったのだから、そうとしか言いようはない。煙管をゆらりと手元に戻した斡辰がそのいいように逆に今度は銀の筋を曲げている。
「文字通りです。力を加えようとした時に即座に羽黒が制しましたが、あの判断で間違いはなかった。術の発動に制限を持っている人物がそうと知らずに使えば、どうなるかは目に見えておりますが、散るだけのはずの術式をあれだけ形に残したのは私も驚かされました」
ほどほどで自分たちが助けに入りそれ以上のことが起これば、羽黒や隣の新庄、そして戒渡といった術行使のできる刀も扱える刀術使いがいる。羽末に遅れをとることはあの時ならありえなかった。
最初の襲撃で餌に食らいつこうとしていた奴は想定していたが、一回目の襲撃で同時に二箇所の襲撃にくると思っておらず、出鼻で二名の死者をだしてしまったことが一番の失態である。
その失態に曇らせていた己を払ったのが、何度目かの先頭で顕現させた春明の術式だった。酷く不恰好なそれは相手に対しての攻撃としては、速度も練度も足りないし、志坂のときに比べれば格段に落ちる術式だった。ほぼ散じていってしまっている術力を総じれば、おそらく同じものがあと三つは出来ただろうに。
眼前に助発無しで起こしたその力がこぼれていく様は、発現を傍で見ていた羽黒も酷く驚いていたのが見て取れた。思い出しつつ片木梨も笑みを少しだけ浮かべて、井双路をみている。
「奴の力を借りずに発動したせいで、術式として正しくなってはいないが、力で成してしまったというところだ。いつぞやのどなたかを思い出す有様でしたよ」
「そりゃまた、どなたさまの再来なんてなぁ。確かにこれは押さえておいたのは良かった人材だ。斡辰様、ですがそうすると羽末が狙ってきたのも、そのせい、という事ですか? 」
向けられた視線を受けながすように斡辰へと顔を向けた井双路が片木梨のように笑っている。煙管を下げている斡辰はじっとその笑みにすこしだけ渋い顔をしていた。
「言わんとする事は分かるがな。井双路、片木梨、もう何年前だその話は。
だが、奴が何かしらを示そうとしていることが少なからずいい方向へ向いている。この中でもうちっとは生き易くなれば、後にもそうで在れるようになれるかもしれんしな」
幾許か煙を吐き出したあとで上空に僅かに輝いている星をみつつ、峠の先をみつめている。斡辰の金の目にうつっている星空の輝きは焚かれる炎の中でも失せることなく輝きを保っていて、その奥に待ち受けている何かを見つめているようだった。
「井双路、羽末のことはおそらく、な。
寄せ餌に使っている奴らの術力を引き出させているが、おそらく片木梨の話だと術力さが開きすぎている。旨みのある餌に獲物は寄ってくるものだろう。
式陣がいれば大事は無いと括ってはいるが、二褄魔が自らお出ましになるのなら、俺ならその餌を掻っ攫っていくのに全力を注ぐだろう。多人数との戦いには奴は慣れているはずだ」
誰それとなく二名に視線をまわされたどなた様は、その視線など気にもしないように、峠の奥にある不快な気配を感じ取っていた。気に食わないのは、その駄々漏れの術力だけではない、廃村になっている付近からあがっている報告を三名は聴いていたが、真新しい血の痕は残ってはいないが、それらしいにおいが残っているところがあるのだという。羽末を退けていったさきに待ち構えているのはその倍以上には強い本体だ。
術式使いでも多数の羽末相手では分が悪い。そして、血の痕は残っているのにその本体がない事からで推測は立つ。
「巣へと持ち帰るので、残った獲物は指一本とない。だから屍がない」
「そういうことだろう。ったく、食い意地が張っているな。待て、そうすると」
皆まで言おうとして井双路は口を閉ざした。想像の範囲に入ってしまったことを口に出すのは、それを肯定してしまいそうで、ためらわれるのだ。だが、井双路の想像は斡辰や片木梨にも伝わっていた。緩んでいた眉頭をきつくした片木梨のこぶしが強く握られ、手甲の皮がこすれる音がした。斡辰も含んでいた煙管の火種を足元に落とし、足で踏みにじる。
何を好むのやら、いなくなったモノのそれさえ、魔物は獲っていったであろう事を理解しているから。




