Ⅲ-Ⅰ 竜の行き道
春明たちを見送ったあと、斡辰達の陣幕ではこれからの帰国への道のりについての話し合いがひそやかに行われていた。日は既に姿を出し切っているが、空気がまだ冷たく、そこかしこで朝露を帯びた葉が静かに輝いている。斡辰は座したままで、その前で見えるように広げられた図面の上で、井双路と片木梨が駒と指し杖をもちながら現在の行路の先にある問題と組み合っていた。
「岩、そっちの街道は鎖戸塚の息が掛かっていないか?偵察の話では三機は馬がいるそうだが」
「いいや、あそこの守りは関がそこから西よりのところにあるから定時の見回りだろう。今回は大軍を率いる形になっている俺たちへの警戒が多い」
折りたたみの机上のうえにひろげられた大風呂敷は、斡辰領を含め東西南北およそ三十里四方を現している地図であり、その上には自陣をしめす九の青い駒と三個の銀の駒が並べられ、その駒の左下には白い馬の首を模したこまが一つ鎮座している。片木梨の左手があらたに箱から抜き出した駒は黄色の駒で、さきほど示した街道のよこに丸い円の形が一つ置かれた。
「そうだな。今回の遠征理由を知っているやつがいるとしたら、御隣さんぐらいなものだろうしな。体面的には大軍の行軍遠征訓練という形をとっているが、それだけでみているやつなんて、丹生富の奴くらいだろ。家臣団が精一杯あの殿様に説得しつつな」
そういうと、井双路はもっている二つの赤の駒を軽く中空に投げるように手遊びしている。赤の駒をどこに置くか置きあぐねているようにも見えるが、その赤い駒を置く場所は決まっていた。
「さっさとこれから通る地点の駒をよこさんか。気がきかんな」
片木梨がむすっとしたようにいうと、井双路は地図をみながら赤い駒二つを片木梨に向かって投げる。軽い音をさせてそれを受け取ると、銀の三駒のうち、一つの大駒のさきにとその赤い二つの駒を置くと、さらにもっていた白い駒をつづいておわせる。
「しかしなぁ、あの式使いちゃんすごいのは確実だろうけど、育つかね? 思っているよりあの子図太くないと俺思うしな」
「その事について話し合いたいならせめてあの峠を越えてからにしてくれ。井双路。
速やかにこの軍であの峠を越えるのは正直、事になる。これだけの数をひきいている以上、目を逃れられないのは当然だが、式使いを此処で使うわけにもいくまい。だが、かといってあそこで犠牲者をだすわけにもいかん」
片木梨は置かれている進行方向に居る赤駒を深く見つめている。人をあらわす複数の陣の駒にあって、その赤は赤と呼ぶより深い色で、深い紅だ。これが意味するところは一つ、人でないモノ。世にあってしまうようになった化け物どもをあらわしている。
式陣使いの卵をいまここでくれてやるわけにもいかない。かといって行軍日程を考えていたものとずらしてしまうといらぬ関心をもたせてしまうのが考えどころなのだ。
「このままの行軍で構わないと俺は踏んでいるがな。岩」
「水守宗さま、では峠の二褄魔と戦うおつもりで?」
そう問われた斡辰は頷くまでも無い。この峠を越えるのが一番の早道に他ならない上、これ以上遅れて一ノ白へ介入されるほうが式使いを探られる機会をふやす。初手で躓いてしまったら折角決めた英断は、専断になってしまうだろう。
二人の机上へと座っていた斡辰は立ち上がりむかっていった。
「二褄魔と戦うというのは、奴らをたたき伏せるという意味なら否。逃げおおせるという意味でも異なる。式使いの実力を測ろうにもあの二褄魔では、荷がかち過ぎる。程好く相手をしてやってから通るというのがいいところだろう。犠牲は最小限ですます」
斡辰の手が、井双路たちが並べていた銀駒の中央、王を意味している駒に伸ばされる。三首の竜をそれぞれかたどってある竜の中で、まっすぐに正面を向いて作られている竜は、赤い駒の正面に立つようにおかれた。
「まさか、御身が出るおつもりなんですか? ご冗談でしょう」
井双路が笑い半分にいったつもりだが、その顔は引きつっている。二褄魔に水守宗が負けるはずは無いのだが、その二褄魔ごときと主君が戦うなどとあっては、自国の戦力が低下しているとみられてもおかしくないからだ。片木梨もその行動に置かれた駒を自分の駒と置き換えんとして、左を向いている竜駒を引き寄せている。
だが、斡辰が目線でそれをとめているので置くことはできないでいた。
「実力をしめすいい頃合いだ。一ノ白の奴だけじゃない、牽制するのはお隣の尾綴の奴らだ。なにより今回は一ノ白と尾綴が主張する境に近いあたりまで行軍をした。両国への小国の牽制とみられているだろうが、一ノ白は今回の一件以外では俺たちの牽制を弱者の吼え声にしかとらえていないと、表に見せているだろう」
斡辰はそういいつつ、自分もてづから駒箱から一騎の駒をぬきだした。それは先ほどと同じ一ノ白をしめす駒だったが、馬の形をしているそれとは少し違っている。形にしてそれはおよそ雲のようにしか見えていない。円や竜、馬といったはっきりとした形のある駒たちの中では不定形すぎる駒だった。
持たれた駒は地図の中空をすぎていき、斡辰の陣の真横、およそでいうならば一里ほど離れている頃合いぐらいにおかれた。斡辰の手が離れ不定形の雲の駒に二名が注視しているまま、斡辰へと問いかける。
「霧守がでていると? そう仰いたいのですか。水守宗様」
「いや、井双路。確かに想定は出来る。今回の事以外で見ているところがあるとしたら、その筋は確かだろう」
「表向きでそこまで牽制に気を払ったら大国の名が泣くって事だ。ただし、実害があるかどうかは常にみていることだろうよ。気配は感じている。片木梨も遠眼鏡であとで見ておけ。見られているとは向こうも感じさせている。それが一ノ白の牽制だ」
注視していた井双路も視線を外して斡辰が置いた方向の山を見やっている。地図上であるならばその方角は幾つかの山が連なっていて、こちらからでは何がどこにというのはわからないだろう。ただ、斡辰の感知が確かなのと、現状に近い推測を踏まえていけばそれは確かな形になりそうな雰囲気をもっていた。
そして、それはさらなる事態が切迫している事を示している。
「だとするならば、斡辰様が出張るというのもすこしばかり納得できます。確かに時間が無い」
井双路も己の駒に手をのばし、右を向いている竜の駒を手にもっていたが、置かれている主君の駒に沿わせるようにその駒を背後においた。真っ先に置かれた駒に、少し片木梨が途惑った風をみせたが、ちいさく嘆息をすると自陣を守るように一番後ろにその駒を並べなおした。
三名がそれぞれ置いた駒をもって位置を配し、ほぼそれが意味を持ち、この先の行軍が決定した瞬間だ。
だが、井双路も片木梨もその行軍姿勢には些かどころではない不満がある体を隠しては居なかった。斡辰は飄々とした風情でそれを受け流しているが、銀髪が術力のせいでわずかに揺らぐように動いている。感情をあらわすその術力の流れに、二人が今度は溜息をついた。
「ええ、そうでしょうとも。この決定に異議を唱えるつもりはありませんがね」
「ああ、御大である自分をもう少し御自覚していらっしゃって欲しいのですが? 」
二褄魔の住まう峠、足富の地を直ぐにも抜けていくそこでの戦いに一番心を沸かせているのが斡辰だと知っている両名は、今回の訓練で一番に不満をもっていたのが主君であった事を再度確認させられた。




