Ⅱ-ⅩⅧ 黒影の闇 絡む頭に朱日
陣の幕から二人が退出するのを見送った三名の前で、黒い水溜りが一つ残っている。
先ほど斡辰が残れといった、それは黒乃の影の塊だ。水溜りはすぐさま音もなく伸び上がると、ぐるりと中で輪を描き、御竜としての形をとりなおした。だが、春明がいたときと比べると、その眼光はさらに強まった気がする。
『春明を遠ざけての話、よもや力うんぬんの話ではあるまいとは思うておるよ、御大。何を聞き出したいかにもよろうが、まぁ、契についてのこととは察しておるわ』
「そうだ。お前があの女に取り付いたのは一ノ白の法陣士がやってのことだろうというのは分かる。だが、お前が春明の下で動く意味がわからん。
貴様、一ノ白が召喚した式ならば、只の式じゃないだろう」
お互いを圧するような雰囲気が互いから発せられ、場に僅かに紫電が舞う。斡辰側にいる井双路と片木梨からも同様の圧する空気があり、黒乃と斡辰の三つ首という構図がいつの間にか出来上がっていた。黒乃にたいする力にしてはそれは、先の対決では考えられない力だろう。だが、その術力の放出という牽制にも風を受けるだけのように、黒乃は緩やかにたてがみを震わせさせているだけだった。三名からの圧迫など感じさせないという風情で宙に浮いている蛇体はするするととぐろを巻きなおす余裕さえもっている。
『さて、その術力を以って我から知識を得るにはいささか、恐ろしい事だな』
「恐ろしい?はっ、片木梨との対決に意図的に力を抑えたお前がいう台詞とは思えん。言え、何を目的にあの門外人の下についているふりをしているのだ? 彼女をどうしようと考えている」
井双路もすでに構えている双棍の竜が鈍く輝き、片木梨の腰に挿している短刀も同様に力を発している。斡辰にいたっては、刀をもたずにその術力の放出を一箇所に集めだし、術式をおこなおうとしていた。
「さて、……お前たちに未だはなすことは無いな。契約で縛られているとはいえ、仮契ではそこまで我を縛ることはできん。かといって、あの女を殺して仮契を失わせてしまう事をすれば、お前たちがこの先にある戦で残るすべはなくなるだろうよ」
「なんだと? どういう意味だ」
「まだまだ力量不足ということよ。我を従わせるに値わず。御方も我を纏うには未だ足りずだが、彼のものの方がまだ見込みはあろう。幾度とよべど、話にはならぬ。お前等が我と話しをするには術式を多重に使うくらいの力を身につけてからにせよ。御大斡辰、二名ともがあわせてやっとでは、な」
そういうと、黒乃は大きく翼をひと羽ばたきさせ、水溜りごとその場から掻き消えていた。
術力放出と宝具を構えていた二名がそれをおさえ、斡辰も展開させかけていた一部の術式を押さえ込むと、銀髪がその術式の放棄によってできた風に吹き付けられ、たなびいた。
「あの式目、一ノ白は一体何を抱えていたのやらだぜ。俺ら三名でかかったところでっていうのが向こうの見立てだとしたら甘く見られているものだ」
井双路が棍をしまいつつそういうと、刀を構えていた片木梨も柄音をさせて納刀させていた。
「だが、あの式が言っている事もあたっていないわけではない。一ノ白やその他の国を相手にするだけの国力も足りていないと暗に言っている節もある」
「岩が言う事もわかるが、あの式が契を結ばせたという事だけでも、俺たちにはまだ伸びがあると考えておけ。あの式、その気になったら式使いの女を乗っ取るだけの力もあるだろうに。何かしらがある今のうちに事を構えるぞ」
春明には知られていないことどころか、あの式がどういう存在であるのかもやはり彼女はわかっていない。式の本性を垣間見た事で三名は、改めて彼女が背負い込んでいるものの深さに哀れみを覚えた。
黒乃が去ってすぐ、陣外にまた警護の戻ってくる足音を感じつつ、ふと、斡辰が思い立ったように片木梨に尋ねた。
「ときに、岩丞。おまえさっきの相手の仕方はどういうわけだ」
斡辰の目が術血状を何度も見直している男へむけられた。
「力の入れ具合といい、加減できないわけじゃなかろうが、アレはいささかお前さんらしくもない。井双路、そうだろう? あの式がいざとなったら助けるのを見越しても、ちと、行き過ぎていると思ったが」
「そうですね。岩に限ってと思いましたが。
あの式の本性は俺はわかりませんでしたが、男相手の手加減より手加減できてなかったのではないかと後々思ったなぁ。もっともあの加減というか出し惜しみというか、分からない力の使い方する岩のほうに問題があったのは確かでしょうな」
「だな。岩丞、どういう理由だ」
先ほどの戦闘について斡辰、井双路はともに同じ見解をもっていた。片木梨 岩丞とは長いつきあいであるこの二人からみて、確実にいつもの岩丞ならば技の調整など意識の外でやってのけるような相手だったはずだ。
ところが、どういうわけなのか岩丞はあの式使いに真っ向どころじゃない力加減でむかい、下手をしていたら彼女を斬り伏せていたであろう太刀筋で相手をしたのだ。
片木梨は二人に求められた意見に軽く口元をゆがませると、こういった。
「加減、するべきかの迷いがでてしまったようです。申し訳ございません」
「加減するべきか? 岩、おまえあいつが一ノ白側に既についているという考えが捨て切れぬと言いたいわけか」
「その通りです。式使いは文献に残っているならば、式陣使いとしてなっているものならばその意識すら操ります。己の意志がどこそこになくとも、式陣がこういった奸計を巡らす事もあり得る」
「しかし、斡辰様はあの女をこの陣営に取り込むことを決めていた。岩、そこの時点でももしあいつが操られているとしたらという対策は考えてはいないわけではないだろう?何より、主君になっている水守宗様には斡辰の式に対する歴書がある。俺たち比べて対処なりなんなりの事は分かっておられるじゃないか」
「そうはいっても、此度の事は一ノ白の式使いが、従陣の術式を経ることなくこちらがわに来ているという異例中の異例ごとだぞ。
斡辰さま、失礼ながら歴書に自国の式を下した際、式陣使いとなる前に式使いとしてそれが野に放たれ、他国の式陣使いとなったことがあるという記録はございますでしょうか?」
「・・・・・・知る限りでは、ないな。確かにこれは異例中の異例だろう。だが、それ故に俺たちにもこの異例は良くも悪くも方向をかえるなり、道をひらくなりに作用すると俺は考えている」
「改革派とのいざこざ云々で家老たちの相手もだが、一進一退ではこのさき俺たちはどっちつかずのままでいることはよいことではない。」
斡辰側の内情からすればもっともなことだった。当代を決める際にはここぞとばかりにそれぞれの散らばった家々からの嫡子たちが集められる。とうぜんながら 斡辰家といわれている本家の筋からも嫡子はでるわけで、実力の違いという形できめられてきていた斡辰の三首の座にそれぞれねらいを定めて子供を据えてくる。
本家筋の力が強いのは当然だが、今代に限ってはその限りではなかった。現当主である斡辰 水守宗は、本来ならば分家の中の一家である立森とよばれる家の出である。本家としての筋が強いと言われていた、前斡辰家にあたる井双路の家を押しのけるほどの実力を水守宗はもって生まれてきた。当然ながら井双路の家も当代を狙っていたが、井双路 勝光の力は水守宗のそれには及ばず、逆に常に順位を競っていた片木梨家に二位も奪われるという、落潮の様を見せていた。
もっとも本人たちにすればそんなことなど露とも思ってはいないというのは、お互いの見解である。
片木梨の言い分は慎重な考え、よく言えば軍師としての考えである。不慮の事態、最悪までの想定というのは、常に考えながら動かなければ隊の長としては不十分だ。
井双路も、斡辰もそれについては同意だが、あの女がそこまでだろうかというのが、二人の見解だった。
「岩、考えてみろ。仮に式使いではなく式陣使いとしてあいつが一ノ白に取り込まれていて、記憶の操作も受けていたとする。
そうしたら、あの一ノ白の奴らがここで住ませるとは考えづらい。
なにより、あの領地に奉じられている式は俺たちの済んでいる領とは違い多い。ついでに、あの法陣士がいると言うこと以外に、縁故の深い式陣使い候補の呼び出しができる法陣士がいる」
井双路の言葉に黙っている片木梨へ、さらに述懐が加えられていく。
「井双路の言葉をつぐならば、そういう式陣使いをいくらでも養える環境をもっている一ノ白が捨て駒としてつかう式使いなら、あの瞬間。
俺があいつと契約を結んだときに既に術中にはめ込んでいるだろう。飲み込んだ者が毒か薬かと問われたら、毒よりの薬ってところだ。
俺が契を行っても何もならず、俺やおまえたち二人を含めての自爆術でもくるかと踏みはしていたが、それもない。
あっけなさ過ぎるとは、俺も思いはしているがな」
「でしたらば、何故お飲みになられましたか?今回の異例を取り込むのは増強のためと納得はしましても、あやつが敵か味方かも分からないのは事実。まして、こちらの思惑とはまるで違うところをみているのも存じておりましたでしょう。あの女を御する事ができると?」
片木梨の疑問、あの式使いを本当に自分たちの仲間とすることができるかどうか、その質問は斡辰の前で宙に浮いた。
「・・・・・・、御する、御さない。
そいつを問う前の段階だ。あいつが俺たちの駒の一つになったか?違う。あいつが的からの情報を流す裏切り者か?違う。
中をみるためには、花は開かせる。水は瓶から汲み上げるものだろう。
どちらともつかない内から想定し尽くせるはずもない。まずは最初の一月、そこからどちらに転ぶかをみていくことだ。」
斡辰の声に淀みはない。これ以上はと、二名との話を区切ると斡辰は座していた席から立ち上がり、青みを帯びてきた空を見上げていた。
竜の名を冠する姓をもつ斡辰の瞳には、青みを帯びいくつもの山を気づいている雲海の中を幾頭もの長い胴体が横切っていく様が見えていた。
斡辰の眺める方を同じように見上げた、井双路、片木梨の目にもそれは映る。雲海に住まうという、空竜と呼ばれるそれは精霊の一種だ。三頭の空竜は、まるで朝日の光を待ち焦がれていたかのように、東の空をわたり別の雲を目指し空を泳いでいった。
彼女を信頼するかどうかという契約を行ったにしては、彼の言い分を春香が聞いていたら、あんまりだと思っただろう。だが、知らないならば知るしかない。それもまた、斡辰側の考えとしては仕方がなかったのだ。
ともすれば、この日津の本を分けるかもしれない戦に、巻き込まれていることすら知らない彼女を哀れむだけの間は未だない。
三国の戦など生ぬるい、天下を分ける天津割の大戦が後の歴史に刻まれる始まりをつげようとしていた。




