Ⅱ-ⅩⅤ名にて追うのは
結ばされた血印を受け入れるのに時間が掛かるとはきいたので、しばらく痛みへと意識を向けないようにするしかないと、春香は諦めた。
異世界に振り回されるのは真っ平だと思っていてもそれを退ける事さえできないことにも、ストレスしか溜まらない気がしてくる。首の鎖の違和感が、軽く締め付けられている程度になってくると、自分の首斜めしたあたりに妙なふくらみを感じた。春香が首回りをさすっていると首筋にすこしだけ盛り上がりがあるように感じるではないか。
「なに?これ」
「ほう、契約というか印はそこにでるのか」
斡辰はじっと首の盛り上がりをみているようで、片木梨ものぞき込むように人の首筋をみている。じろじろとみているので思わず首筋を隠すと手にしっかりと感触が伝わってきた。
最初の感触は中央に盛り上がりと周囲に延びるような何かの線、ひっかき傷のように盛り上がっているが、その曲線はふれてみるととても独特で、きれいな円弧に近い形だった。
「契約印として、俺の斡辰を示す家紋が刻まれたんだよ。首にしっかりそれがでている。俺たちの象徴である三つ巴の竜がな」
そういって斡辰の拳がその後ろにある大きく描かれている三首の竜を示した。なるほど、確かにそのラインに近いし、片木梨がのぞき込んだのもこの印がはっきりとでているせいなのだろう。盛り上がっているこの印が術印紋が刻まれた事の証になるに違いない。
「じゃあ、これで貴方の所と契約したって言う事実が生まれ、一ノ白の式陣使いではないっていうことになるわけかですか」
『御方、名称は式陣使いという形にはなりましょうが、御方は式陣使いでは今の時点ではありませぬ』
そういった春香の印をしげしげと眺めていた黒乃は事もなさげにそう言う。式陣使いではない?という言葉に真っ先に反応したのは、斡辰の方だった。
「どういうことだ?俺と契約したという事はそれで斡辰の式陣使いになったということだろう」
『御主君の言うとおりではございますが、御方は式を扱う力を培っている者ではございませぬ。なにより、わずか三日ばかり前にこの日津の本に立たれたばかり、術にも、術力にも詳しくございませんので、式陣使いではなく、抱えの式使いになったばかりといったところでございましょうな』
黒乃の言い方にも問題があるのかもしれないが、根本がわからない。式使いと式陣使いとに一体何が違うのだろうか?前も思ったが、式使いと式陣使いという隔たりは格式があるかないか程度の違いだと自分は思っている。黒乃や、斡辰が言う使い回しもそういうことなのではないのかと解釈していたのだ。
「は?ちょっとまって黒乃、貴方私がある主君を持てばもっと力が上がるとかいってなかった?あと、式陣使い、式陣士にならなければ世界で生きていけないとかもいってたわよね」
『御方、あなたは書物を読んだだけで刀を振るえる御仁ですか? 』
「いや、それは無理だけど」
『でしたら同じでございます。式使いの力を数度つかったからといって式陣使いに誰がなれましょうか、鍛錬も何も積んでない御方があれだけの力を行使できた事の方が正直驚きなのですよ』
もう一回、いや何度でも言ってやりたい。こいつどこまで人を虚仮にしたら気が済むのかと。
このとき立ち合いとして見ていた片木梨さん曰く、彼と戦っていたときよりも恐ろしいほどの術力が吹き出して、黒乃に向かっていたので、当人が術式を一から知らないと言うのはきっと嘘に違いないと思ったのだと後ほど語った。
斡辰にいたっては、片木梨と戦っているときでさえその力を見せなかったというのは、恐ろしい式使いだと思っていたらしいのだ。
術力操作なんていう細かいことなんて、思考を常にしている状態で考えろなんて言えるのは、健全な肉体と、平静の精神をもっていられる人間に言って欲しい。異常に異状が重なって倍々になった状態でそんな事が出来るものか。
「あー、落ち着け。とりあえずそのあたりまで話しをつめるにしてはこれ以上はここではよろしくない。春明?と名乗ったがそれについての話しを俺は逆に聞きたい。お前が式使いだの何だのという話しをするのより、こっちが先だ」
召抱えたばかりの式使いが主君の前で喧嘩しかけるのを制した斡辰は、半ば呆れたようにそう言って一匹と一人を引き離した。まだ唸りでもしそうな春明をじっと見据えると、渋々と術力の放出が収まり、式との距離が少しだけ離れた。
黒乃のほうはあまり気にしてもいないようだったが、斡辰から見た二人は仲がいいというよりは、式のほうが主に好かれとしているように見え、式と連携をして力を使いこなす式陣使いとしては確かに、足りないものが多そうだと感じさせられたのだった。
「斡辰様! いかがしましたか! 」
双方が離れたとはいえ術力の放出が強かったのは井双路も感じ取っていたらしい。ザクザクと早足に陣中へと早歩きでやってきた彼の片手には、片木梨と同様に井双路にもたらされている宝具の武器の片方が構えられている。
「なんでもない、仮契は速やかに終ったが、こいつと春明の仲はよくない上に、術力の操作もいまひとつというだけの事だ。契が結ばれたあとの事についてはお前にも立ち会ってもらいたいからちょうどよかった」
「は、はぁ?はるあきら?ですか……」
構えていた棍を背中へともどすと、井双路は斡辰の左となりに、片木梨は両手にもっていた台座を斡辰の横へ据えてから、右となりへと戻っていき、斡辰の陣で初めての式使いは、彼らの前で正座をとらされる形で奇妙な四名と一匹の対図がもどってきたのであった。
「先にも言ったが、何故に男の名前をとったのか、まずはそこから話しを聞きたい」
式使いとして生きていく為に必要な契約に何故男の名前を使ったか、聞かれるとは思っていたから多少なりとの準備した思考は出来ている。春明は、彼らと同じように表情を固めるようにしてこう言った。
「男の名前を使用するのはおかしいでしょうか? 女の自分を少しでも変えて生きたい意味合いでの名前をと考えて、春明には私の名前の一部を確かに使っております。式である黒乃にもこういった名前を使うことに間違いはないかは、契約の直前に尋ねておりますので、不具合はないと思います」
「不具合はそちらの式殿にしたらなかろうさ。えーと、春明。君は男が女の名前を名乗っていたらおかしいとは思わないのか?まして、逆で、女にも使われるような名前ではない今の君の名前は、俺たちでも不審に思うぞ。姿かたちもかえられるわけでもあるまいに、それは」
井双路の意見も最もだが、春明にしてはそれほどおかしくは思えていなかったのもまた事実だ。女性っぽい名前とか、男っぽい名前とかの差異は多少はあるだろうし、今回だったらきっと親が聴いてもおかしいと思うだろう。だが、仮の名前をつけてそれが女性だったとすぐに分かるようでは、これから同じ男ばかりの陣で過ごしていく男たちに好意ではない好奇の目、好色といえる様な目で見られることはないとは言い切れない。それに、男の名前をつけることでの、もしかしたらという黒乃の話もあったからこそ、こちら側で勝手に名前を男の名前にしたのだ。
「姿かたちが変われば、それは文句もないということになりますね? 井双路様」
斡辰本人でないのは少しばかり弱いけれど、上位にある人間の言葉はすぐにも言質になる。井双路の目に不審に思う感情が見えたが、黒乃へとこう言った。
「黒乃、闇の属性の術なら、影も従えているわよね?私が今考えている事に添えるか? 」
『ご希望の事、確かに可能ですが、貴方の体力の一割はもっていかれますぞ?』
「構わないさ。そういうのも出来るようにしたいし。むしろそれをしていたほうが私はいい」
春明はそういうと、静かに瞳を閉じ、黒乃の翼に覆われる感触を肌に感じた。
斡辰たちからみたそれは、黒い膜がすっと彼女の肌の周りを覆いつくし、春明が黒い人型の存在が現れたようにしかみえなかっただろう。
ひたりと肌に吸い付いていく闇、それは自分の影だった。春香から春明へと望む変貌は、斡辰達の目の前で時を置かずに終了していき、頭の先から影が下っていくのを見る頃には、彼女が何をしたのかを目の当たりにする事になったのだ。
鈍くなった茶系の髪が、薄闇をすってまるで染められたようになったその姿を。




