Ⅱ-ⅩⅣ 互いを結ぶは望む鎖
契約の仕方もほぼ変わらないということもあって、朝日の差し込んできている斡辰の本陣の陣幕内にて春香と斡辰との仮契を結ぶ儀式はゆっくりとはじまった。
主君の言葉を聞いてから、術血状と短刀を台座にのせ片木梨は、春香と水守宗の間へ立つと双方へと顔をむけ、こう言った。
「血印をむすびて、我が御大である斡辰様と、式使いの両名がここに仕える陣士としての誓いをするを見届ける。
日津の本にありて、日の神。継天之陽守尊、月の神。月輪乃陰凪姫、四方にそびえる空樹に 三位を定める法ぞあり。
精気の加護もつ左に式、加護の担い手を右。
音声を以って ここに参ずるは 統べる者 定めしはべるもの。
互いの誓いは 己が証によりて 確たるものへと現ししめす。
我が名は片木梨 岩丞。それを見定める者である」
術血状をもっている片木梨が読み上げると、術血状の紙がもっていた手の中で暴れたように見えた。片木梨が手をはなすと、只の紙であるはずのそれは二人の間へとヒラヒラと飛んでいき、書かれた書面がくるくると二人の間で回っている。仕組みは分からないが、何かしらの不思議現象が発動するのはわかっていたらしく、すこし身構えてしまっている春香より、斡辰のほうが自然体だった。書面が斡辰のほうを向くか向かないかの頃合いに、斡辰も片木梨のように自分の名前を告げ、誓いを音にした。
「片木梨が主君、斡辰 水守宗は此処に誓う。前に建つ式使いと仮契交わし、そなたの主君となることを。誓いてより問う、我が名を知り得たおまえに問う。
汝の仮の名を定め伝えよ」
心臓におおきく拍動が伝わった。春香につたえられた斡辰の声にのどから何かがせり上がってくる。それは己を目の前にたっている男へと誓わせる強い縛りだ。生み出さなければならない名前に心が一層にせかされたいった。
名前を言うだけでこれほどに心とは縛られるのだろうか?のばされていく綱が自分へ幾つもかかって、その度にそれでいいのか?後悔はしないかと、問いかけては消えていった。ここまできて怖気づいているようなそれは、力にたじろいでいる春香の本音もあったのかもしれないと、今なら思える。答えをまつ斡辰と片木梨の視線は自分の瞳へと注がれ、結ぶ言葉を待っていた。
二人からの視線に耐えられないように、一度瞳が閉じられ春香の喉がなった。
間を作った沈黙を埋めるように、音と瞳が開かれる。声に出して決める音声は振り切れぬ迷いを後ろへと流したきつい声音だった。
「私はあなたを定めるために忠を誓う。貴方が信足りうるか、貴方が私の主としてふさわしいかを見定める。
私の名は、式使い、式使いの春明だ」
春香の宣告に、斡辰と片木梨ははっとした表情をとるこいつは確か女のはずだと、だが、既に春香の宣誓は終わり、その宣誓に応じて彼女の姿に制約の糸が延びていく。
回転していた紙は二人の言葉が結ばれたのを感じ取ると、紙面を斡辰へ、裏面を春香へとむかせて中空で動きをとめた。薄い紅の光が術血状を染めていくと、片木梨がもっていた台座にある黒い短刀が小さく震え始め、何かを求めるようにそれは止まない。
契約とやらがはじまったのだろうが、一体?と、春香が術血状をみていると、黒乃が小さく耳打ちしてくる。
『御方、血の印を結ぶための輝きです。斡辰が左の親指を、あなたが右の親指をあの短刀で薄く斬り、契約へと血のつながりをもたせます。』
黒乃の声を聞いたように、立会人である片木梨がすぐに動いた。
震えだした短刀をのせた台座ごと、片木梨はその台座を斡辰の元へと運んでいくと、膝をつき、それを捧げるように斡辰へと差し出す。
震えている刀を斡辰はすぐさまつかみとると、その刃先を親指に軽く当てるなり滑らせた。
かすかにみえた赤い流れが僅かに地へとおち、術血状へと向かって斡辰の手がのびると、斡辰の親指が紙の末端へと押し付けられた。
押し付けられた契約書は、血印が押された事を確認したように明滅すると、今度は春香に向かって中空を真っ直ぐ飛んでくる。片木梨の作った書面の字だけが薄赤く輝いている書面の端、斡辰がつけた赤い指跡がくっきりと浮かび上がっていて、やけに鮮やかだった。
書面がこっちに飛んでくる後を追う様に、片木梨が同様に台座をもってやってくる。台座は春香の眼前に突きつけられるように出され、片木梨の上からの視線が、短刀と自分を交互にみている。
分かっている、だからそんな風に見ないでくれと、春香は思う。震えはすこしだけ納まった短刀をおそるおそる握ると、短刀の冷え冷えとした白い鋼に瞳を奪われる。
抜かれていた短刀の鞘はそのままで、刃が震えているのだ。切っ先にはすこしだけ曇りがあり、そこを斡辰の指がなぞったということが分かる。いざやれという段階で、黒乃が先ほどと同じように、分からないであろう事を、都度心話をしてくれるが、自分を痛めつける趣味がないのでやはり抵抗感はでてくる。
『御方、その短刀は先を主が斬りまする。主よりも下の位置の刃で御方は指を斬らねばなりません。』
黒乃の言葉もどこか急いでいるようで、いざ自分の指を傷つけるということになっている主の心など分かっているようには見えなかった。
『いえ、違います。御方これくらいはもう慣れはじめなければいけない。御方がこう言った小さな傷を負う機会はこれから増えるでしょう。望む望まぬに限らず式陣使いとなっているならば』
春香の戸惑いもわかっているうちなのだろうが、握った手がすこし震えたのはきっと黒乃にも分かられてしまっただろう。意を決して冷たい刃の上に右の親指を置き、軽く滑らせる。
指先に当てられた刃の冷たさしか数瞬感じなかったが、親指を軽くうごかすと冷たさの後を追う様にこもった熱が指に集まり始めた。
滲んでいる血が指に馴染むようにすこしだけ指の先を押すと、雫がすぐに膨らんでくる。
「それでいい、指で伸ばさずに斡辰様の下のところへ押せ」
紙面の輝く隣で黙って立っていた片木梨の声が、見かねたように春香へとかけられ、その言葉に思わず片木梨の顔を見たが、冷たい表情は変わっていない。
伸ばしたほうが血がつきやすいだろうかと思って重ねようとした人差し指を離すと、春香はゆっくりとその指先を片木梨がいった位置へと押し付けた。
吸われるような感触と指に感じる目の粗い紙の感触を感じつつ、血が伝わるように押し当て続けると、術血状は春香の押し当てていた指先から自然と離れていった。
隣に居る片木梨へ礼を言おうとしたがすばやいもので、すでに斡辰の元へと台座をもったまま移動してしまっている。話しかけられるのもやはり嫌なのかもしれない。
紙もヒラヒラとまた二人の中心へ戻っていくと、途端に発光して、無数の鎖が紙から飛び出していく。
「うわっ?! 」
金属をはき出す要素がどこにあったのかと春香が驚いているまま、噴水のようにとびでてきた鎖たちは春香と斡辰へ向かって速やかに伸ばされた。
術血印というその力のとおり、血印をおした相手に対してその力は及んでいく。主君である斡辰の身にはその左腕にその鎖が延びていき、春香改め、春明には首へと鎖が絡みついていく。お互いにその光景に目を奪われていると、術血状が煌々と輝きだしたではないか。輝いていく術血状は中心から動かないでいるが、その後ろに台座を下に備えて片木梨がやってきていた。
「双方の契がなされた事を認めた。然らば、紡がれた術血状による、血印をもってその身に契約は刻まれる。御大、春、明。双方へと刻まれる血印を受け入れ、身に現れる術印紋を結びとなされよ」
中央に明滅しつつ浮かんでいた術血状は二人に向けてはなった鎖にたいしてまるで血流を巡らせるようにおおきく明滅すると、赤い二条の光がふたりのそれぞれの契約の鎖に向かって放たれる。
「ぐっ」
「つうっ」
斡辰、春香はともに光が伝わった衝撃と痛みにうめきを漏らした。
光によって自分の中へ欠片のような固まりが埋め込まれでもしたかのような感覚を感じるのだ。痛いというほどではないが、針を刺され、針先が体内に残ったときのような不快感が残っている。
斡辰は左腕をかばうように握り、春香は場所が場所であるため、のどを押さえてうずくまった。
「斡辰様!」
「へい、きだ。それよか春明のほうをみろ、あいつのほうが首に対して術印紋が延びていたはずだ、俺の比じゃない」
『ご安心ください斡辰さま。御方も、あなたもお互いの気の欠片を埋め込まれそれに体が否応無く反応を返してしまっているだけです。一週間ほどはなれますまいが、それでも馴染んでしまえばあとはさわり無く生活をすることができましょうぞ』
お互いの光が放たれたのは本当に瞬きする間だったようで。中央にあった術血状は、最早光も何も放っていない。かすかに浮かんでいることが出来るだけのようで、それを片木梨がすぐさま回収して書面をくるくると手早く丸めてしまうと、台座の短刀と並べるようにしておき、斡辰を支えるように立った。契約の終わった後の春香には目もくれないようで、首をおさえて座り込んでいる春香の傍へ付き添っているのは、式である黒乃だけだ。
「これが仮契というものか・・・・・。本式の式陣士としての契約を結ぼうとしていたのならば、今の倍は痛いのだろうって考えると気が重くなるものだ。」
『主様、それはないでしょうな、本来の契約を結ぼうとすれば御方の意識がない状態、それに御方が操りの術式によって契約を結んでいる場合なれば、負担は全て御方にいってしまっているように運ばれるかとおもいまする』
「ほう、そこまで法陣士とやらが手筈を整えるのか・・・・・・、つくづく術式というのは置くが深いものだ」
黒乃たちの会話は聞こえてはいたが、春香は契約の術印紋が刻まれていくのがきつくて、その会話に参加する事はできなかった。ただ、耐える事しかない。首にむりやりつけられたチョーカーよりもきつい感覚の中、やはりこの世界というのはもっと理不尽だと春香は思っていた。
もとよりこの世界に呼び出した者には人権がないとおもっていたが、お互いの痛みさえもこっちに押しつけてというやり方を聞くと、いっそう彼らに気を許すことが難しくなるように思われる。
この痛みの先、お互いが知らないうちだからこそ、彼らから吸い取れる限りの事を吸い取り、元の世界になる糧にしてやろう。
たとえどんな顔をしていたとしても、どういった事情があっても、かれらは私が来る以前、同じ門外人を私よりもずっとひどい扱いで扱ってきたのだ。私が生まれるより前から。
知らない春香には、それを許す許さないの選択さえまだできない。でも、その事情を拒み続けたいと、切に思ったのだった。




