Ⅱ-ⅩⅢ契約開始
書面が出来るのはわずかだったが、片木梨が筆を走らせ終わると、其処には流麗過ぎる字で何がしかが書いてある。崩した草書体の字にも見えるがどこかそれは違うように見えて、平仮名カタカナとも違って読みがたい。記憶にある書体としては博物館で見た流麗過ぎる、だれそれが誰に贈ったとかかれていた手紙や、あるいは掛け軸の書だろう。
「読めない・・・・・・」
「お前では読めぬだろうな。契約の文自体に力をもたせる書は、書ける人間自身にも力を要する。片木梨も井双路も俺もそう言った文面を書くのは平気だが、読む方にも力が要る。お前の力量が足りない故に文面を読めてない線が強いだろうから、式、お前がよんでやれ」
分かってはいるが力が足りないと、どこまでも足りない方にばかり不利になるこの世界の仕組みというやつは、文字を読むという事にまで及んでくるらしい。言い方が癇に障るのが様式美だと思うしかないのは今の時点だけだと思いたかった。
『御意。御方、ここにあるのは仮契を結ぶことについての文脈が連なっておりまする。
一つ、仮契の間は絶対的に主に服従する事
二つ、主君に害を成した場合は自害せよ
三つ、仮契の間に実力を示せ。実力を伴わないと判断したら放逐する事
四つ、他家との従契の関係を結ぶ事を禁ずる
五つ、臣下としての礼をつくせ
といったところですな。』
「だったら、その文面だと私は誓えない」
「何?」
片木梨の反応にこの文面で納得しない自分がおかしいかもしれないが、訂正というか、可能性を提示しなければ私自身の首がしまる。
「最後の臣下としての礼をつくす、この文面だけだと私がどういう対応取ったら無礼にあたるのかがわかっていない今の時点で、違反する事になる。あなた方の裁量次第というのでは、契約としてそれって正しいといえるのかしら? 」
「契約を変えることが出来る立場だとでもお前はいうのか? 」
「契約が執行されたらその場で私にこれが適用される。だったら言葉遣いを直していない今とか、礼儀とか知らないのにつくせっていうのは間違いじゃないの?
知らないことをやってのけろって言うのは無理難題、其処まで私は察しはよくないしこちらとあちらの礼儀が同じなんて限らないわよ」
難癖をつけられた片木梨の眼差しに険のある光が見えるが、春香はかまわず彼の目を見つめ続ける。契約に関してはこちらが折れなければいけない立場であることは春香にもわかっているが、その契約自体が出来ないところからはじまって、それを守れというのはいくらなんでも無茶だろう。
斡辰のほうを見てみると、片木梨の書面を彼も見直しており、ちらりとこちらを見返して、片木梨にこう言った。
「片木梨、確かに守れんかもしれない事を書くのはちと厳しすぎる。まして術血状だ、こいつに発動したらどうなるかわかっているなら、この第五の項目についてはなくしていい。だが、代わりにこいつを付け加えさせてもらうぞ?式使い」
斡辰の方はやっぱり懐が深い、片木梨の文面と春香の言い分を汲んでくれた。だが、第五という項目を外すことは出来ないらしく、書面の紙をとんとんと指先で叩いている。
少し瞼を閉じていた斡辰は、第五の項目に線を軽く引っ張ると新に片木梨とは違う字体で書面を加えていく。どこから筆を出したのやらということはさておいても、比べるとさっきの字体に比べるともっと滑らかだった。片木梨が草書体のようにみえていたが、実は楷書体の分類だったらしくもっと比べると角ばっている。斡辰が書いているほうが流れるようでこちらは更に読めないが、字としてはかなり美しいと思わせる字体だった。
「第五、この一年で儀礼、知識を習得せよ。
この文面なら障りはないだろうし、お前さんが必要な知識とやらや常識も学ぶ事ができるだろう。もともと頭は悪くないだろうから、この一年、まぁ、まぁ三月もあれば習得はたやすいと思う。儀礼ごとに関しては、おまえさんに必要な事を教えていってやる、国交に連れて行く機会でも出来ればのはなしになるがな」
「失礼いたしました。すぐ書面を書き直します」
「ああ、あまりきつい縛りを加えすぎるなよ片木梨」
斡辰のその言葉に片木梨は小さく頷いたが、春香からみれば渋々頷いているようだった。どうにも第一印象からの対話で躓いてしまった気がしている。硬すぎるくらいの人なのかもしれないけれど、潔癖なのだろうかとも思えてくる態度だった。
斡辰がもっていた術血状を片木梨は早速受け取ると、用意していたらしい紙をもう一枚取り出してさらさらと同様の書面を書き写していった。元の文面が出来ているせいだろう、先ほどより早く終ったその文面を同じように斡辰、黒乃と確認して文面も大きな違いがないということで、春香もこれ以上の契約に関する話は出来ないと承諾した。
「そして、お前の真魂名は告げてもらえるのか? 」
さりげなく聴いてきた斡辰の言葉だったが、その単語に背中に小さく震えが起こる。黒乃も言っていたが真名を教えるということはその相手に全てを伝える事に等しい、さらさらその気がないのに聴いてきた斡辰という男の大胆さに驚きとも憎たらしさとも取れない感情がわいてきた。
名前をあえて問われて、自分の名前を口に出したいとそのとき春香は思わなかった。答えられる確信は確かにあったが、仮契約という形を取ると決めたのも相手だったかもしれない。
春香への強制ではない名前の問いに彼女は
「いいえ、私は答えない」
音をはっきりと返した。
「そうしたら、仮の名前をどうする?おまえの一字をもらうことになるが」
答える気がないのに、さも当然のように流れを戻されたが、気をつけていないとどこ頭で足元を救われそうになるように感じる。やはり一つの国を背負っているだけある、抜かりがないのだ。こっちも会話をしていることは分かられていても、黒乃というアドバンテージがあるのを活用させてもらわない手はない。
(黒乃、もし私の名前を使うとして春香の春の字だけと、はるかでよみのはの字だけとだったらどちらが正式になるの?)
(そうですね、御方様でしたらおそらくは春のじか、香のじが正式になるものと考えられます。御方の名前を(は)のじで作ることは確かに可能でしょうが、式使いとして契約したものとあまり変わらぬ力になってしまうものかと・・・隠匿するものが多ければ互いの信はおかれませぬ。互いの信がなければ我が力も強くは出せませぬ、遠い契約によりて)
都度都度、黒乃は契約契約といっているがいったいいくらほどの御昔の話になるのだろうか?そもそも、封印されているというはなしからしたらとんでもなく長寿ないきものか、はたまた寿命といったしばりなど関係が全くない生物なのではないかと思えてくる。
黒乃以外でも上狐、御竜、天狼といったたぐいの式となりえる生物がいるという話を思い出すが、今はそこまで知るには時間も場所も違っている。
思考を区切ってしまうと春香は、名前を決めたと、はっきり告げた。
「決まった名前があるなら、それから逃れることは出来ない。お前もわかっているだろうが、儀礼を通すということは筋を通すことに等しい。一度決めた事から逃げるんじゃねぇぞ」
斡辰の言葉にも重みが乗せられ、その言葉の重みを実感してしまう前に、春香は短く頷いたのだった。




