Ⅱ-Ⅹ 言葉を交せば印立つ
刀の位置を直しつつ片木梨が傍から離れ、片木梨の腕が離れた事で黒乃とともに警戒を解くと、足に力がはいらない。黒乃が少し身体を持ち上げてくれているお陰で立てている。斬られている頬の痛みが少しだけ今に戻ってきた事を伝えてくる。傷口にも砂や何やらがついているらしくべたついた感触と滲むような痛みがしていた。頬に手をやろうとすると、間延びした拍手が上座から聞こえてきた。拍手をしてきた相手、斡辰は大いに笑っていた、アレでにこやかなのだろうかと思える程度の笑顔で、だ。
「はっはっは。思っていたよりも軽傷で済まれたな。片木梨、お前にしては随分とこいつの実力を定め違っていたようだな」
「違っていた? 」
斡辰の笑う声に、隣で井双路も笑いかけてくる。
「まぁ、死なない程度にはいたぶるつもりだったんだろうけど、君が刃を滑らせてからの一撃は、片木梨も考えてい無かったという事。本当ならぼろぼろにしたところで、気絶するまでやりあったんじゃないかなー。岩の流儀だったら」
なんだその熱血系男子の典型的なスポーツ根性論は。今時少ない男の理論とかとでも言う奴なのだろうか。春香が頭を悩ませていると、納刀してから少し隣に立っていた片木梨がそばをざくざくと通り過ぎていった。
「悪くはない、が、それだけだ」
一言余計な言葉を置いていったのは、「悪くない」とは思っていないからだろう?思っていたら何も言わなかっただろうにと、春香は邪推した。いきなりの真剣でのやりとりからの、立ち合いで気持ちが疲弊してしまっていたのだとあの時のことを思い出したら、そう思える。思わないはずのない言葉をすれ違いざまに言う片木梨には、悪意があるとしか受け取れなかったのだ。
戻っていく片木梨の後ろ姿に思わず、
(禿あげろ。髪の毛引っ張っている分だけ後ろに後ろに後退していくがいい!でこっぱちめ)
と、呪いというお願い事を送っておくと、とぐろの振動で黒乃がそれをきいてくつくつと笑っているのがわかった。どこまで人の心を聴いているのやらと思うと、春香はそれもあとあとで問いたださなければと軽く黒乃を睨みつけるのだった。
「で、契約のやり方についてだが、仮契のやりかたをこちらは聞いたことがない。そのやり方をおまえの式から聞かないといけないのだが?」
斡辰にそういわれると、黒乃は笑っていた顔をあげて斡辰へ見えるようにその瞳を向けた。口元が半分ゆるんでいるので、よほど先ほどの片木梨への呪いが笑いのつぼにはまったらしい。出した声が震えているように感じたから、これは絶対に間違いない。
『真、契約は、主君と我が御方が真名を交わし、血印と術印紋を刻むことでなされますが、仮契では、血印と術印紋を刻むところまでは等しいですが、主君は真名をさらさず、御方様は短名とよばれる名前を使うことで仮の契約として印を結びます』
「俺の真名ということは、姓をふくむ真魂名の事か。そいつをつかわずというなら、俺が通りでつかっている名前をつかい、そちらの式使いの女は短名、すなわち一文字をいれた名を使うと言うことか」
『然り、御方は名を告げられるようにするための制限を掛けておられますが、貴方様に仮にでも仕えるというならば、その制限は無いように取られます』
ん?と、ここで疑問が出てくると、心話で黒乃が耳打ちをしてくれた。
(御方様、本来ならば貴方の真名である逸島春香という名前をつげるのですが、仮の契約ならば、あなたの名前のどれか一文字を使って短名、すなわち名前を作って相手に告げると言うことが可能です)
(ちょっとまって、じゃあ、私が名前を告げられない制限って言うのはどこからきたのよ?タエちゃんの時は発動していたじゃない! それから、心話、いつのまにやら制限解除されていたけどこれもどう言うことなのよ)
(御方様、その、一度気にご質問されると答えるのにこちらも苦労しますのでお一つづつで願いたいのですが? )
いやいや、何が起こっても通常通りという形でスルーをしていたこの式陣に言われたくはない。ついでにそうやって小さい子供をあやす口調で話しかけてくるのも遠慮願いたかった。
(一つ、御方の名前を告げる相手というのは少なからず実力者、御方を力なりなんなりで、下せる御方のみ、真名を聞くことが可能です。片木梨という男も然り、本来あの男に負けた時点で御方はあのものに降ってもおかしくありませんでした)
つまりは式を使っている人間にも強制的に実力至上主義の思考か制限がくわえらて、負けたら即相手の部下、悪ければ奴隷なるというわけなのだろう。斡辰達の手前では言わないが、本当に人権といったものが無視されている世界だと春香は思った。
(しかしながら、アレはすでに斡辰という男の配下、それゆえに斡辰との契約にさわるため、契約の名を交わすと言うことがなかったのです。
ついで、心話の制限ですが、内容全てが伝わるようなことはございませんが、術を行使しているので、会話をしているという事実は筒抜けです。あのばで心話をゆるされたのは、そうでもなければ片木梨と相対する事模できなかっただろうと言う、向こうのお目こぼしでしょう)
(おめこぼしですって・・・・)
黒乃との心話がなくて勝てたか、その可能性はさっきのギリギリの戦いからもすでに分かっている。心話、新しい技、黒乃の助けがあってあの戦いは辛くも一太刀を打てるまでもっていったという形に持ち込めたのだ。
それだけの実力差があるという、歴然とした隔たりに、はるかは小さく唇を噛んだ。 実力のなさが悲しいというのは置いておくにしても、斡辰たちのところに不本意では在るが仕える形をとる以上、春香の実力がなければこちら側の世界では一人で自活する事もできない気がする。
実際、この時春香が考えていたことは正しかった。門外人と呼ばれる異世界人の事を、日津の本の人間は知ってはいたが彼らはその存在をよくは思っていなかったのだ。先々に、その話について知ることにはなるが、今の彼女は圧倒的な情報不足故に、そこにまで考えがいたることが出来なかった。
(御方、思うところが多いのは重々承知しております。ですがここは、大きく出るべき時ではございませんいずれかの時、それが来るのを待ちましょう)
黒乃が抑えるようにと、心配そうにこちらを見ている。春香は、ゆっくりと気を鎮めると、斡辰たちの顔をきっと見据えて再度話しをするように奮い立たせた。
「話は終ったか?式使い、いや、仮契で名前が分かるようになったらそちらで呼ぶが、俺に対しては真魂名を言わせてもいいんだが? 」
待たされたのに飽き飽きしたといった風情で斡辰はそう切り出したが、春香はそれを軽く流して、言葉を続けた。
「いいえ、そうしたら何のための仮契ですか? 斡辰様。あなたは私をいまだ疑っていて、私は貴方を信じきれない。だからこその仮契を提案したのですが? 」
「はっはっ。やれやれ、先ほどとは違うようだな。片木梨や井双路に食って掛かっていたあの勢いも嫌いではないがな。まぁ、いい。仮契の話しを受ける事に異を唱えるわけではないなら、早々にその儀を行おう」
斡辰がそう言っているときに春香は、彼の目をみてそれは嘘だろう?と静かに思った。
銀髪の間から覗いている金眼に宿っているのは黒野と同じような爬虫類の眼差しで、嘘か本当か見抜けたわけではなかったが、発言の真意はまるで別のところにあるような気がした。別のところにあるというのだけにおわせたのかもしれないが、それにしても斡辰の言い回しにそれが感じられた分だけ、うそ臭い感じは残ったのだ。




