Ⅱ-Ⅶ 選び選びて行く末の-②
無くなった三本の爪の空間から、片木梨が切り上げた太刀が振り下ろされるかたちで向かってきて、黒乃がすぐに間をとるため、春香の身体ごと飛び退る。大きくはなかったが一メートルほどだが間が空けられ、片木梨のかえす刀の一撃は避けきった。同時に、はたと身体を巻いて手を巻いていた綱が断ち切られ、固まっていた腕が解放された。痺れのとれない腕はまだ言う事をききそうにない。傷口に手をやる事もできずに、春香は自分の手の平を何度も握りなおして、握力を戻そうとした。
「あーあー、片木梨。お前女の子の顔何か傷つけるなよ。腕の一本本気でとるつもりだったのは分かるけどな。しかし、式と連携浅いのに片木梨の脇構えからの一撃、しのいだのはよくやったがな」
井双路も大したものだとぽんぽんと軽く手を叩いてくれているが、それどころじゃない。耳とほほから流れ出た血潮で服が胸元を染めて肌にひたひたと触れる。冷たいくせに生ぬるい感触で緊張した自分のほほが引き連れて血が盛り上がりさらに出血を増した。痛いと感じるより、かわしきれなかったが命拾いをしたと目の前で断頭台が落ちたような感覚に両手の内側や、額から冷たい汗が流れ落ちる。
黒乃が引っ張ってくれたお陰もあって、逆袈裟に打ち上げたところからの振り下ろしに対応できたが、真剣とまともに相対したのは今回が初めてだが、剣道からすればありえない一撃である剣の軌道だった。正確にみようとすれば、刀の構造からしたら今の軌道は人を斬るという点では問題はない。太刀の速さが尋常じゃないという事以外、上へ向かっていた太刀が中空まで行ったところで、右にはいる袈裟斬りへ換わったくらいしか分からない。
そんな素早い太刀筋ををブレもせずにやっているこの片木梨という男は、相当な剣の使い手だろう。振り下ろした袈裟斬りの体制からもう今度は青眼へと構えをとり、微塵のすきも感じさせない。切っ先が左の目に定められ、刀の投身の滑らかな曲線が春香の視線と平行してその刃紋がみえなくなる。
こちらを半眼で見据える瞳はさきほどより驚きで開いていた。
「腕一本もっていくつもりだったが、式というのは身体の機能も高めうるのか。いや、今回はその式がむりやり体を引いたからその顔傷だけで済ませたのだろうな。
だが、先にも言ったが、その後が続くのか? 」
「心配してくれるにしては随分な言いようだこと。でも、終らせる気なんでしょう?あと、これ以上怖くなられたら対応できないのでそこはお願いしたいです」
そう、これで全力じゃない。黒乃も鱗を逆立てっぱなしだが私と同じように気を緩めてはいなかった。これで終るくらいの腕試しだったらどれほどよかっただろう。だが、片木梨の腕に込められているおそらく術という力の一種? と思えるものはまるで収まりをみせていない。堅固な手甲と増強させる力は纏め上げられ、その力の無駄な拡散を防いでいるようだ。
(御方、わかっておいででしたか。)
(分かる分からないというか、あの人一応軍でトップの方でしょう。式使いだからっていうので馬鹿力の制限は少し外しているだろうけど、あれで終わりとは思えないし、なによりあれが全力だとは思えないもの)
落ちた爪の側の翼がはためき自分の右側を守るように皮膜がこちらを軽く覆う。春香は守ろうとしてくれる黒乃には感謝したが、その翼に手を触れると、軽く下へと押しやった。
「守ろうとする式の気遣いなど無用と? 随分な自信家だな」
「別に」
春香の動作に青眼に構えていた太刀先は揺らさず、片木梨の鋭い目線が内側を貫いてやろうか?と、問いかけている。気遣いが無用だというわけではない。皮膜に隠されてしまって次の太刀が見えないほうが問題なのだ。受ける、ながす、真っ向から弾きかえすと色々考えられるが、黒乃の八つあるうちの爪はすでに五本。この五本を駆使してこの場を切り抜けるには、所作一つでも見逃してはいけない、視野が狭められてからの攻撃なんて負けのフラグばかりしか立たない。
『御方、貴方のお考えは分かります。それの助けになると思う式の技もございますが?』
「出来る事?心話で教えて」
その様子に黒乃が心話に切り替え、一つの技を説明してきた。
(影や闇を高質化させる、今の御方様なら使い勝手のよろしい技がございます。文字通り、闇型闇を型にはめ、形となす技にございます)
(その闇方、指というか爪を三本はやすのと、<闇方>を使った場合とでどちらのほうが力を使う?事としだいによっては三本がいい場合もあるし)
(ならば、<闇型>でしょうな。爪を生やす事に比べればあるものへ付加する力ゆえ)
体力は二日間眠っていたこともあるが、術の力をきちんと行使するということを試したのは、あの夜、初めての式を使って相手を倒したあの日だけだ。もう一度あの時以上の集中が必要ならばと、春香は黒乃へ意識を向けていく。
術の力を理解しようとしたら、頭が追いつかないだろう。感覚と流れと、そして意識がその力を形作るとするならと、ゆっくり全身の力の流れを見ようとする。流れていく何かとまだ噴出していないその力の栓を抜ききらぬように身体の中でとどめ、形になりそうな想像をつけていく。
黒乃が手の甲に何かを浮かび上がらせた時のような、陶酔とも、消耗ともとれない流れが身体の内側をうねっていった。
春香の想像がはじまり、黒乃との接続が深くなる中で構えていた片木梨は、春香の身体の異状を直に見た最初の人物になる。
背後で控えた術眼もちである近条路には近すぎて見えないだろうが、術のある程度を体得している片木梨の目には、春香が黒と銀の混ざった粒子を噴出していく様がみえた。
噴出したそれは、最初こそ周囲へと散らばるように漂ったが、春香が片木梨と同様に半眼になると黒乃とよばれる式が傾けていた翼の先へ吸い寄せられるように集っていく。
式の爪にその粒子が集まっていくと、その爪はギラリと黒く輝くと、少し細まったようにその大きさを縮めたように見えた。
片木梨は集められた粒子の爪が形こそ小さくなれど、術の力をこちらの刀と腕に纏ったように内側へと込められたのだと考え、一層に柄を巻いている柄糸が握られて高く軋む音を立てた。
「そうだ、そうこなくてはつまらぬ」
「・・・・・・」
片木梨の挑発のような口調にも、式使いの女は乗ってこない。繋がれていた腕の縄も解け、もう自由に動かせるだろう。
「何も言わんか。なら、あまり時間をとらせるのも面倒だ。次を受け止めろ」
「・・・・・・ああ」
ゆっくりと傾いていた頭をぐっともちあげると、式使いの女はなにやらぼそぼそと、式と会話をしているようだった。だが、片木梨はそんな間をこれ以上与えるつもりはなかった。
この女の力はまだ使い切れてない以上、自分の勝機は揺るがないだろうと、片木梨は半眼のまま斜に構えた春香へ踏み込んでからの大きな突きを放った。
足元を踏みしめた強い土と砂利とを蹴立てる音がして、青眼からの突きは片木梨からの春香の左半身を狙う一撃、直線の行く先は彼女の耳朶付近へと伸びていく。
青眼から構えられた突きの鋭さは、春香の側頭耳の横へと向かい、反応できる速度の半ば上で攻撃を放つ片木梨の突きは、よけ切れる速度ではなかった。
放たれた刀の軌道と黒金の爪がたわむような空気の中で、互いを弾きあおうとする音が鳴り響く。




