Ⅰ 投げ出された世界 2
唐突な世界に喚び出されれば、兵器扱い。隣に乗っている式陣はろくな事を言わない。どうしてくれようか。と、彼女は進んでいきます
足音もたかく道なき山の枯れ枝や枯れ葉を踏みしだき、黒之という名の妖怪竜まがいを脇に控えさせて、春香は山の斜面を下っていた。
木の幹をギリギリで避けながら黒之にぶつけてやろうとするが、質量のなさそうな身体をかわしてヒョイと器用にそれを回避する。実に腹立たしい奴だ。
当たり前だが、この怒りは前言の身柱の意味を確認した事で、それが腹の中で煮えたぎるだけにとどまらないからでもある。
『御主様、その、……』
「何、方向コッチであってるの? 」
『ええ、合ってます。人里に向かうのはそちらです』
戦争の説明半ばだが、そのまま黙って聞いていられなくなり、人の居るところをとりあえず目指して歩く。そう言い切って黒之と私はあの場所からひたすら山を下っていた。
『戦についての話は終わってないが、良いのか?』
「くどい。とりあえず戦の話は後にして。とりあえず人のいるところにいって多少なりと物乞いでもして、食糧確保してからがいい」
『腹が空いていらっしゃるのですか?!』
そうじゃないが、春香は黒之にそう答えなかった。人間に、少なくともコイツじゃない誰かと話がしたかった。追手が掛かっているか、それとも誰も知らないか、そこまで考える余裕は無い。こんな境遇にいきなりなっていることを話せるわけも無いのに、ただ話がしたかった。
でなければ思考放棄してこのまま野に帰ってしまいたい。そう思ってしまえるほどに、私自身の心は足りなくなっていた。
声を掛けてきた黒之が引いている程度では、激情は収りそうにない。
さっきまでのオレ様口調はどこにいったのか、黒之はまた春香を御主様呼びに戻していた。
それもこれも、あり得ない理由のせいだった。
「どういう悪徳商法よ。訴えてやりたい、むしろ顔面殴りたい」
手近に伸びていた細枝をへし折りざま、吐き捨てる。
そう、忌ま忌ましい事に、荒神との契約は本人の意志で解除する事が出来ないという事実を黒之から聞かせられたのだ。呼び出された人間が拒否権を発動できないとかどういうことだ。
「契約者が契約破棄出来ないとかあり得ない。甲乙の書類も無けりゃ、押印してない上に、同意も無い約束事なんぞ在ってたまるか!」
『御主様、そう、いわれましても。契約希望主の意向で我は貴方についております故。
っ、本当です! 我は憑けと言われた者につく契約を結んでおりますのでどうにも出来ないのです!」
いまの私の背後にきっと修羅でも見えたに違いあるまい。黒之は説明しようとした矢先、自分の顔を見て思い切り否定をした。その様に、わずかばかり溜飲が下がる。
沸騰したヤカンの火を止めただけで熱は残ったままだが、春香は黒之を更ににらみつけた。
「…………あとでそれが本当かどうか絶対確認するからね」
黒之へ勢いに任せて詰め寄る事も出来るが、それを確認する方法もない。春香の鈍く周囲を焦すような怒りに覆われていた理性が少しだけ顔を除かせる。
「人とは、最小限に接触はとどめるつもり。……屋根を借りられるなら借りたいけど」
『……少なくとも、御主様の、世界の人とは姿は同じ故多少は心配ありますまい』
多少という言葉が気になるが、僅かばかり人間の定義が同じである事に春香の怒りの熱量が少し下がった。
それと共に、覗かせていた理性が徐々にもどってくる。
全てが全て、怒りを抑えることは出来ないが、自暴自棄状態が自分に良くないことぐらいが分かる程度には理性を戻させた。
「同じ人間、ね。それだけが救いかしら。
いーや、それとも同じ人間にこんな目に遭わされてるのを考えると救いじゃなくて、こちらも図々しいのかもね」
だが、そんなことを言っていても此方で生き抜くための術はポケットの十徳ナイフ程度ではたかがしれている。異世界ならば、まずは生き抜くために多少なりとの準備が要った。
そういうものを持ち合わせているのは、当然この地で生きている人間なのだ。
人がいるなら其処に向かおう。自分だけではどうすれば良いかも分からないし、何より黒之が信用できるか、を判断できる術が無い。元の世界に戻るために今必要な事は、ここで生きぬける事が最優先事項だ。
「黒之、聞きたい。本当に黒之は私の契約を解けないの? 出来ても出来なくとも、生きていく必要があるけど、私は元の世界に帰るのを諦めないわよ」
『左様ですか。……再度言います。荒神と強制的に契約させられた御主様は、それを破棄するには、御主様をこの世界に呼び込んだ張本人を探しだすしか……』
「歯切れが悪い。黒之からは出来ないの? 私の身体をいじくったくせに」
『それと、界を渡らせることは違います。難しいですな。現状では無理としか』
人体構造を変える権能を持っているくせに、この黒之とやらは、異世界転移をする事は出来ないという。生け贄を戦わせようとする形態の戦争や、魔法もどきである術力があるくせに、何で異世界転移した後に戻す魔法を使えないんだと。
「ああ、そう。つまりは黒之には出来ないと。ふーん、ならいいわ。その張本人にもいずれ目にもの見せてくれる。どういう了見で人を勝手に生贄してくれたのかをお伺いするまでは、絶対に負けるもんですか。
この世界で生き延びてやるんだから。--しかし、戦争か」
『その…………。御主様、私の荒神という存在は』
「今はその情報はいらない。私を呼んだやつに関して他に何か知ってる? あるなら、そっちが欲しい」
黒之が困った顔をしていたが、春香はそれを気にも留めずに手近の木々をつかみながら斜面を降りていく。とりあえず平地に出て、方針をはっきりと固めない事には人道にも悖る輩に対する制裁の着想も出来ない。何が身柱だ。戦争するためだけに召喚されるなんてゲームの中の召喚獣とか、異世界転移してよばれる勇者様みたいな英雄だけで充分だ。
次々と下っていく隣で木々にぶつかりそうになり、黒之が私のそばから離れ、自分の翼で音もなく羽ばたいた。並ぶように山をおりつつ、黒之が説明を続ける。
『申し訳ありません。御主様のご期待に沿いたいが、召しの際に手順が異なっており、召喚者の判断がつかぬのです……。
御主様は基準外という形で我と共にこの山中に降りましたので』
「基準外ですかーー、へーー、そうですか」
『……仕方在りますまい。我も日都の本に降りたのは久々すぎて地形も変わっておりますゆえ』
「随分となら長い間戦争を繰り返し続けているって感じか。いやーー、理不尽ね。本当に横暴そのものだわ」
代理戦争の為に何人こっち側に喚んでいるのだろうか。聞けば聞くほど、おかしな話でもある。召喚した人間が世界を救って終わりとかいかないんだろうなぁ。
そもそも、生け贄としてこっち側に召喚されている時点でそうなる要素もないのかもしれない。
春香はそこまで考えると、原因を作った奴の顔、あるいは鼻が変形する程度には拳をぶちかましてやろう。と決心した。
そうと決めてもむかっ腹が収まらない。
聴いていくほどに自分の世界とかけ離れ、異世界の存在が現実になっているのもイヤだ。
そして、生け贄いや、戦争代理人か戦闘兵器にされたという事が一番気にくわない。
右手側の上がった斜面をめざして今度朽ち木を足がかりにしながら、落ち葉を蹴立てて斜面を横断していく。身体を変えられたせいなのか、あの沢からかなり乱暴に動いているはずなのに息はあまり上がらなかった。むしろ、未だ力が出そうな感じさえ在る。
『ええ、お怒りもごもっともだろうとも。我の話を聞くにも値せぬかもしれなんだ。この世、日都の本は遙けき頃より在った。
神代の頃より戦争や乱が起こり度々その戦を治める為に、御主様の様な御人を召喚していたのも事実である』
「やっぱり異界から身柱を呼び出す行為を繰り返しているんだ。本当に最低の世界だね」
斜面を横断しきり、今度は谷になっている所を大きな岩の手前まで降りて、岩から対岸へと飛び移る。足下のザクザクと枯れ木と草を踏む音は人の歩く道へ遠かった。
『必要とあらば我らの力を使う事が必定でございましたゆえにです。もっとも、私は先の大戦の折から封じられたままでしたが』
「使われることがなかったならそれでいいじゃない。戦争がなかったと言うことでしょう。むしろそのまま戦争なんてしなければいいのにさ、コッチの世界の事情も、……」
人権無視か。という言葉は飲み込んだ。別の世界の住人を生け贄にしている奴らにそんな常識を求めるのは無駄だろう。
「生贄のおかげで戦争に勝つ? この世界の人には戦争でしか犠牲が必要ない? 冗談じゃないわよ本当に!」
春香が思わず声を大きくして怒鳴ったが、黒之はそれに驚く様子も無かった。殴られたあの後からは若干異物を見る様な目を向けられはしているが、黒之は大きく一羽ばたきして春香の行く先に回り込んだ。
『そういわれましても、私共にも契約に関しては立ち入れるところが少ないのが現状よ。なにより、呼び出した人間がわからない。普通は呼び出した門が存在し、そこで主従の契約を結ぶ事で契約者と式陣士としての力が確立しますゆえ』
ふと、聞き慣れない単語が耳にはいり、春香は立ち止まって黒之に問いかけた。
「なに? 式陣士って? 式神使いとかみたいな陰陽師なの?」
シキジン、漢字だけに当てはめたら、式神になる。中途半端な知識だが単語からは平安とかの陰陽師バトルのような、はたまたオンライン系のゲームでありそうな役職だ。
もし、言葉が違うだけなら、式陣というものは自分が想像している陰陽師に使える霊獣や鬼といった不思議系生物なのかもしれない。だとしたら、この黒之の姿も納得できる。
ならば、強制的に陰陽師になったなら。
春香は少しだけ気持ちが高まった。生け贄云々はあるとはいえ、特殊な役職には少しばかりの興味はある。役小角やら、安倍晴明の物語は嫌いではない。
けれど、其れに対する黒之の答えは春香の期待とはまるで違っていた。
『いいえ、御主様。式陣士とは、オンミョウジ? という者ではございません。シキガミツカイというのは、蔑みにあたるゆえ、つかいませぬ』
「シキガミツカイが蔑み? ん? 読み方は間違ってないわよね。こっちも漢字を使っているようだからあっていると思っていたんだけど」
『私のような御竜、異狼、上狐、といった存在と契約をして、只一人の主のために働く存在を、【式陣士】と申します。
式陣士を、蔑んだ言い方こそが式神使いでございます。』
「その違いがよく分からない。なんでシキジンを使う事と似たような意味にあるのに、シキガミ使いは駄目なんだか」
漢字としてもほぼ同じに聞こえるのに、そう思っていると黒之は小さく首を振って『いずれお話しします』とだけ答えた。
『理由はなれば分かりますので。
そして、式陣でないものと契約をつけている、あるいは式陣と国の二つから契約をもたぬ式陣士は、式士とよばれこちらの世界ではあまり歓迎されてはおりません』
黒之が言う話を統合していきつつ、式陣士というものを含めた役職について考えるとこうだろうか?
一つ、式陣士は契約しているのが立派な式陣じゃないと名前を名乗れない。二つ、私が主をもっているのが基本の形。三つ、国と契約していないので式陣士ではない。
トントンと春香がこめかみを叩いて考えた末だしたのは
「えーと、そうしたら、式陣士は黒之とかの式陣を従える役職で、その力を私が使えるようになってないので式陣士といえない。
契約してるけど式士の状態で。単純にえーと、この流れだと式という存在をもっているだけの役立たず? 」
『流石我御主様。ほぼあっている! 我と契約を結べども、力を使用するには至らず、そこに国と契約をしていない事があるので、御主様は私がついているだけの式士もどきに近い形であると ぶふっ!』
あってまだ数時間しか経っていないが、本日二度目の本気の拳骨を顎に叩き込んでしまった春香を誰が咎められるだろう? いや、咎められないだろう。
「歯に衣というか十二単ぐらい着せて話してくれない。褒め言葉でもないこと言われて喜ぶどMじゃないからね? 私は 」
御竜、式を扱う人間がどういう扱いになってくるのかが分かってきて、嫌忌が巻き起こってくる。そして、予想よりも役職としてはかなりよろしくない。
つまりはこうだ、異世界から召喚されて一も二もなく式と契約を結ばされたが不具合で正式な式陣、別口で国と契約しなければ式陣士としては認められない。役立たずの烙印を押される。ついでに私の状態だとまともに式陣を扱えないと。
勝手に呼び出しをもらった挙句いらないものを押し付けられた上に、戦争で死ぬかもしれない。けど断ったらお荷物な上に下手をすば人権も認められないといった事じゃないか。
また恨みがまし気に黒之にこちらを見上げられているが、それこそ知った事ではない。次から次に分かってくる事は録でもない事ばかりで、おまけに帰る為の対策も考えられない、召喚した奴もわからない。頭が痛いどころの話ではなくなってきたが、それでも足を進めるしかなかった。
「本当に冗談だったら良かったのに、コレの対策を考えないといけないのか。しんどい」
春香は斜面の枯葉に足をとられつつも、黒之の誘導もあって山をぬけつつあった。
『御主様、もう間もなく人里に近い場になりそうだが、行く先を確かめてこようか?』
「なら、少し、先を見てきて貰っても良い? 後どれくらいかの目標が欲しいわ」
『御意に』
了解と共に黒之がすいっと木々の間を縫って先へ飛んでいく。器用だなぁと、思う反面、黒之の方ばかり考えていた思考が自分の事に向かう。一時の自分だけの時間。
飛んでいった先とは違う、元来た道を春香は振り返っていた。平静を保っているつもりだった。しかし、突然の出来事で焦燥はなかっただろうか。あの場に、居なくて本当に良かっただろうか?
沸いた疑問を、無暗矢鱈と自分と契約させられたという黒之に問いただしていいのだろうか?
それとも、あの式陣を、いまも信じているのか?心から……
うまく会話しているかもしれないが、与えられた情報の少なさやひたすらの山歩きは、自分が正常でなくなってきているかもしれないという不安ばかりを春香の内側で増やしていく。
(本当に、人のところにむかってもいいのだろうか?)
式を使う人間は異世界の人間がメインだ。だとしたらこの世界であの黒之に頼っていること自体間違いじゃないか。
ついて行く選択肢を選んだくせに、こんなに迷う。立ちすくんでいるだけか、それとも足が重くて動けないのか。
ぐいっと頬を手の甲で拭っていた。
私はここでは人であって人ではない。でも、人柱なんかじゃ決して無い。頭が働かせられて、普通の生活が出来る【人間】は、この世界では私だけだとしても。
ほどなく戻ってきた黒之が言うには、人の手でできた看板の様なモノがあったらしい。
「で、こんだけまた歩くと。これは少し行ったところじゃないわよ」
『僅かに上り下りした程度ではないかですか』
「定義違い! というか、自分の物差しを押しつけない! すいすい飛んでいける貴方と違うんだからね」
斜面を二度ほど下り登りしつつ、大きく茂った葉の間を抜けたとき、途端に目前の藪から春香の視界が広がった。茂っていた葉が分かたれた人が作った乏しき道は、落ち葉と土混じりでもはっきりと線になっている。
昼間にしては薄暗い山道は、左手に向かって木の立て看板があるばかりだ。大きな矢印が其処には書かれているが、文字のあとはかすれている。平仮名にみえるそれは「さ……かほうと?」という言葉だけがかろうじて読み取れた。
そして、木々の上から耳に響いた鳥の声、いやフクロウ? 間延びしたほぅ、ほぅという音がした。こんな薄闇で鳴くにしては早いけれども此方の世界にいるフクロウは早鳴きなのだろうか。
「ホーホー? まだ明るいのに」
山の中で薄暗いしそりゃ少し先を見ようとすると見づらいが、其処まで日が落ちていると思えない。と、
『御主様、御主様にとって今は夜と分かりづらいやもしれません。
あの生き物はヨツグの声です。空には月がかかっている』
空を見上げる金の目に習って、視線をあげれば真上には、枝葉の影をつけた半ばまで欠けた緩やかな月が黒い空から此方を照らしていた。
どうして? 青い空でなく、濃紺の空に煌々と輝く銀色は、とっくに日も落ちた事を示している。けれど、春香の目に月の光は太陽のようなまぶしさを感じるし、空は昼のように感じるのに星をちりばめていた。
「そうか、こういうことなの」
身体を変えた、黒之はそう言っていた。術力を使う為にこの目も変えられてしまっているのだ。山道を降りてくる間薄暗いとはずっと思っていたが、足元が見えなくなる事はなかったので気にしていなかった。曇りの昼間のように感じていた自分も結構バカなものだ。
そう思いながら空をみていると、視界の端で緩く薄雲がたなびいてきた。すこしばかり、焦げ付いたようなニオイがその後を追って鼻についた。
『また、村取りか』
つまらないと言う口振りで、黒之はその薄雲がたなびいていきた先に鼻先をむける。開けた山道のその先、黒い空へ向かって伸び上がっていくその薄雲は、空から地上へ近づくほどに黒々とし、地上に近くなる頃には黒い空に茜色が滲んでいるのが見えた。
「火事?」思わずそう言ったが、黒之は大きく頭を振った。
『いいえ、御主様。おそらくは山賊による強奪だろうと思う。ああ、…………ちがうな、下級兵たちの略奪か』
薄く瞳を細めた黒之は、小さく鼻を鳴らすと、ぐるりと首をひねった。略奪という危険な単語に不快感を示す前に、春香の耳が更に別の音を拾う。
「やめてええええ」
甲高い絶叫がその道の先から聞こえた。