Ⅱ-Ⅲ 圧する空気に座すは
うまく立てなかった春香を軽々と引き上げてくれた男は、陣の中を悠々と進みつつ自分の事を近条路というものだと説明した。いかめしい甲冑を着けている割には、この近条路というおじさんは比較的に羽黒と呼ばれたあの男性よりも話しやすい。
もっともこの時代というか、この日本とは違う世界ではどういう形が一般的なのだろうかと考えれば恐らくあっちの羽黒のような反応が正しいと春香は思えた。まず、初めて遭遇した相手が殺されそうになったからといって、味方なんて思えないだろう。脳内で悩んでみるが近条路さんには相談していいものかどれも話し辛かったのだ。両手首に巻かれている縄の食い込み具合も痛い上にちゃんと考えられるには、思考の邪魔をするばかりだった。
「ああ、手首が痛そうだがすまなんだ。それを取る訳にはいかないのでしばらくはそれにて我慢してもらいたい」
痛そうにしている自分の顔つきを察したらしく、こちらを見ずに近条路さんは話しかけてきた。
「痛いですね。いったいいつまで寝てたのか分からないですけれど、食い込んでいるので少しどころじゃなく痛いです」
正直にとりあえず話してみるしかないだろうと、近条路が自分の前を歩いていくのによたよた付いて行きながらそう言った。立屋からでてから少し歩いた程度なのに、起き抜けにしては動かしづらい事この上ない。近条路はそう言った春香を少しだけ振り返るとかすかに見下ろしてから、握っている綱の一部分を少しずらして、赤くなっている手首のところに白布をあてがうともう一度抜けられない程度に引き絞った。応急にしかならないが、それでも少しだけ痛みが緩んでほっとする。
「ふむ、ふむ。此れでは痛いだろうよ。ちょっとしか動かせないが、女子なればなぁ……。ずーっと眠っておったから起きださんのではないかと心配していたが杞憂だったようだ。しかし、式使いというのは、わしも今まで四十の時を過ごしたが、口伝やらでしか見たことが無かった。ついぞ、こう言ったものが現れる機会なぞあるまいとおもっておったのさ」
「現れるねぇ……眠りっぱなしだったのは何でだか私もわからないですが」
「ははは、とぼけるでないよ。お前さんが気を減じたせいで意識を失せた事くらいは、術使いで無い俺にもわかったことよ。不要な探りあいなぞするだけ無駄だとは思わんか? 」
近条路はガハガハと笑いながらそういったが、春香には気が減じるという言葉の意味合いはおよそで見当がつくし、意識飛んだのが黒乃のせいだっていうのもわかったが、不要な探りあいという意味合いがわからなかった。式使いっていうのはそんなに現れるのがまれな存在だといえるのか? とも考えはしたが、生きた人形になるという黒乃の話しを思い出して、ああと納得はする。自由意志をもっているかどうかも実の所疑っているのではないかという事だ。
歩く足音に加え、春香の考えに短く羽音のようなはためく音が混ざり、あたりを目線だけで探ったが、蝙蝠も鳥もいない。これだけのはためく音に当てはまるのはあの真っ黒竜しかいないが、どうやら喋らなかった黒乃が同意を示した?ようだ。
(バタバタするくらいなら何か一言でも喋りなさいよ。先から無視して今私が話しかけても答えなかったのにそっちの都合がよすぎるわよ)
心話をつかってそう、きつく心で言い放つが、ハタリという、萎えたような翼の音だけしかそれに答えなかった。どうあっても喋りたくないらしい。役立たずになっている状態のこの式に話しかけるだけ無駄らしいので、春香は歩き続けていく近条路の後をただついていった。
陣の中を進むごとにいかめしい鎧兜をつけている何名かとはすれ違うが、下っ端にちかい兵卒がここにはいない。どれもがしっかりとした成りをしていて、こちらと目線があうときつい目でにらみ返してくる。となりを白い陣幕で覆われているところの横を歩いているのだが、護衛と思わしき人物でさえ昨日の志坂と戦った兵達よりも上等の衣装を着ていた。
考えるより確かなのが、この陣の中でこれだけ重点に人材を配置しているところがどこなのかといえば、春香にも答えはわかりきっていた。
「で、隣の中にいるこの軍の総大将様にはいつあわせるつもりなんでしょうか、近条路さん」
「お、わかるか。さすがの式使いよ。いやさ、説明がてらに軽くおまえさんをならしておこうかと思ったんだがいらぬ気遣いだったか」
こともなく柔らかくいってくるこのおっさんはどうもタヌキ親父に近い性質のようで、ニコニコとしているが油断したらするりと足元をすくわれそうな感じがした。
斡辰のいる所まですぐのところを歩かせまわるのもそうするなら意味がある。簡単な話でも、人のなりを見るのには役立つだろう。近くを歩いていたこのそばで誰かがそれを聴いているなら主に進言し、それからこちらの処断を決めるという形になりそうなものだ。
「気遣い云々より、何がなんだか分かってない人間をそれほど調べるのがどうしてなのかがわからないだけですよ」
そう言った春香の手は後ろに回されていて、いつもなら腕を組んで考えるところだが、その姿勢が出来ずに荒縄のこすれる音がした。
入り口は幕に覆われていてみえていなかったが、三つ首の竜が渦をまくといういかにもといった恐ろしさをみせつけるか、はたまたその由来を教えているのか分かりづらい家紋だった。
「失礼いたします。連れて参りました」
「入れ」
近条路さんが先ごろとは違った太くなった声で幕の内の鋭い声にこたえた。白い幕がたくし上げられ、近条路が先へと春香を促して入らせると、眼前に三名の男が並んでいる。
引き出されたところで、近条路に膝をつかされるまえにちらりとみた三名のうち、左手にいる人物に見覚えがあった。たしか、黒乃が落ち術を飲み込んでいるときに、何者だとずいぶんときつい口調でいってきた男性だ。改めて顔をみると、近条路さんに比べれば若いかもしれないけれど、その隣にいる銀髪と茶髪にちかい黒髪の男性とでは年齢差がずいぶんある。参謀のような出で立ちというか、気配のする男だった。
一方でその隣にいる焦げ茶色の髪の男性は、アイドルかと思うくらい顔立ちが整っている。いわゆる醤油顔というやつで、顔立ちのきつい参謀さんに比べれば二重もぱっちりでかつ高身長、女性に好かれそうな顔立ちだった。
「面を上げてはなすことを許してやる。表をあげろ、式使い」
下を向いていた自分の頭上にずいぶんと尊大そうな声がかかり、最後の一人、これが斡辰なのだろうと思った。
ゆっくりと顔をあげれば、中央で高脇息と陣中のイスに座り、その隣には剣がおいてある。男のまなざしは剣にはめ込まれている玉とよく似ていた。
「さて、まずはじめにお前がどうしてここまでやってきたのか、それから話を聞こう、片木梨がお前の目的を聞いたとき答えなかったそうだが、何かしらはなしたくないことでもあるのか?」
斡辰はゆったりとしているが、その眼光は隣にいる片木梨と呼ばれた男と同じ程度には鋭かった。一言一句を逃さずに自分を値踏みしているようにもそれは感じられる。春香も、それならばと、自分が思っている通りに話したほうが誤解を与えないかもしれないと、まずは斡辰の問いに答えられる範囲だけ答えようと思うのであった。
「いいえ。ああ、その、こういう場といいますか、身分が上の方と話すのは初めてなので、言葉がおかしくなってしまうかもしれませんが、その際ご容赦していただけたら幸いです」
最初の言葉に、どちらも開戦の幕が上がったと身構えたのは同時だった。




