Ⅱ-Ⅰ 立つ地に竜の黒首と会う
体調が悪かったせいもあっておそくなりました。申し訳ありません
思っていたより時が掛かりすぎていたのもわかっているつもりだったが、黒乃がはなった一撃は全ての爪がより合わさったあまりに大きな一撃になる。目の前に生み出されたのは、紫色よりも濃い色。塗りつぶされた紫さえ上書きするほどの闇の黒で、固められた黒乃の爪は大きな槍、西洋の馬上槍のような三角錐に固まったそれは文字通り影と闇で造られている。形の無いそれらが凝り固まって作られたものは触れられる気がした。
痛みで片目しか開けてられないがその痛みに腕を前へ出している自分の周囲で収束した力が、目の前でとんできた志坂の胸元に向けられているのだけが分かる。
(やめて! あの人は罰を受ければ)
『發。無理です』
射殺す為の大槍は、あっけなく放たれてしまう。具風をまとって放たれる槍の反動はこちらにまったく無い。何で動き出したのかも分からないのに、速さだけは確かにあった。春香の身体から流れ出した何かによって加速させられたであろうということだけが分かるばかりだ。
時の流れが遅くなる感覚に後悔とも、自責ともとれない苦い思いが一層に目の前の「錐」と呼ばれた式の槍は真っ直ぐに志坂の中心の花を目指す。
見える限りの視界に、僅かながら隣でさっき助けた男ともう一人の誰かが刀とを抜き放って志坂という男へ攻撃を加えようとしているのだけが春香に映った。
こちらの動きが見えているのはおそらくもう一人の男、誰だか分からない男はこの大槍が見えているらしく踏みとどまってくれた。一方の背を向けて庇った男は自分の槍が見えていないらしく傍を槍が通り過ぎ、彼の髪を若干切り払っていくだけで済んだのは最早幸運としかいえないだろう。
飛ばした先のゆがみきった志坂の顔には恐怖さえなかった。中心にある花の顔が大きく黒目を開ききっているだけで、その感情ははかれない。黒い槍の後姿がそのまま突き立ってしまい、落ち術と黒乃に呼ばれた術はその槍を真正面から受け止めたのだから。
料理をしていた時でもこんな肉を切る感覚は無かっただろう、抵抗される反発する何かを無理やり押し通す力は、志坂の肉体へと突き立つ感触まで伝えてきていた。
突き抜けたその先で爪の先に何かを捕らえたのだけが分かる以上に、もっと不快な感覚が黒乃から感じられた。後日に春香はその正体について聞かされることになるが、今は伝わってくるのを感じているだけで、我慢するしかなかった。
黒乃が発動させた術式が戻ってくると手元に引き寄せられた血塗れの固まりの中、石の上に女の顔が潰れずにくっついている。黒乃がうがった場所はまさにその女の顔の真横のあたりだったようで、槍を引き抜きざま、爪にひっかかえてもってきたらしい。
『御方、これが落ち術の核です。もはやあの村を守る力ではなく、あっても災禍をなすばかりでしょう。私がこれを頂いてもよろしいでしょうか?』
「好きにして、気持ち悪い」
春香の言葉が終わる前に、黒乃は大きく蛇のように顎を開かせるとあっというまにバクンとそれを飲み込んでしまった。紫色の女の顔が食われる瞬間にゼッキョウしたように見え、おそらくは声無き声で叫び散らしたのだろうと思われる。咀嚼する音が聞こえないだけまだいいが、そのときの春香はそんなこともいっていられないほどに、自分を立たせていられるのでやっとだった。呪の様な物がやっと対処できたと感じた途端に、身体のあちこちが痛みと疲労に頭痛の大合唱を謡いだした。こちらにきてから一日も立たない間にやれ奪還作戦だ、乗馬で追いかけるだ、とどめには大立ち回りである。怪我もしたうえに、持っているだけの気力まで奪われ、精も根もからからに干からびそうだったのだ。
そんないっぱいいっぱいの彼女に近づいてくる、片木梨の険を帯びた表情など見ている余裕すらなかった。
「式使い、貴様どこのものかと聞いている。何故答えない」
片木梨の声には答えられそうにはない、立っているのがやっとだというのに。春香はその問いに答えようとはしていた。だが、それに答える前に、自分の体が堪えきれず、膝が落ち、続いて土の感触が自分の腹部、胸部、顔へと鈍くぶつかる。倒れたという事だけは分かったが、黒乃の話しかける言葉も遠くて、それに答えられなかった。
『御方! しっかりなさってください、御方! いし・・・・・・かけ・・・・・・だい』
最後に聞いた言葉を理解するより前に、ふつりと、思考は閉ざされた。
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目の前で志坂から抜き取られた石の塊、それが今回の騒動の原因だと読み取った片木梨は、すぐさまそれを壊そうと竜頭をもつ白輪月を抜き放って目の前の式使いのもつ術核を破壊しようとした。だが、式使いの呟く言葉にあっという間に落ち術の核は、黒い御竜の口の中に消えてしまったのである。これには片木梨は腹を立てた。仮にも陣中で起きた出来事は個人の裁決を下してもいい事柄ではないのだ、まして目の前で検分もなしに勝手するのはどういう領分なのだと。
「貴様、どういういわれでこの斡辰の陣へやってきた。答えろ」
片木梨の怒りを含んだ声にその場を離れていったのはまわりの兵たちばかりだった。怒れる片木梨様のそばにはよるべからず。文字通りの大雷を落っことされるのはごめん被る。彼が近寄るのにも関わらず、式使いと名乗った女らしいそいつは、片木梨には目もくれずに自分が倒した志坂の躯と右手に持っている呪いを作り出した、本体の抜け殻をもつばかりだ。
「答えぬのはどういう了見だ。おい、どこに立っているのかも分からない餓鬼でもあるまい」
再度の問いに、やっと女はこちらをみた。定まらぬ瞳に片木梨は落ち術の影響を受けたのかと思ったが、隣で中でとぐろを巻いている黒い御竜が口にほおばっているのが落ち術の本体だろう。一連の戦いが終わっていて惚けているだけだとしたらと、再度問いただしたが、女は口をわずかに開けてそれからばったりと倒れ伏した。口の中にあった術を一息に飲み込むと、式はとぐろを解いて倒れ付した主の傍をぐるりと囲ってしまう。
『御方!しっかりなさってください!御方!意識を保ちください!まだ終わっておりません!仕掛けられますぞ、御方!』
御竜はバタバタと大業に翼をふるわせて、式使いの身体や服を引っ張っている。だが、女は倒れ伏したままで動こうとはしなかった。
その様に、片木梨が無言で女を拾い起こそうとして、御竜がその片木梨へ牙をむけた。
『ええい、貴様ごときに我が御方ふれさせるものか、高々術式が使え我が見えるからとて、貴様ごときに我が引けを取るとは思うなよ』
「主と真につながっているわけでもない、たかが式風情に何ができようものか。お前がいっている主君はそうすればこの倒れた女で間違いはないようだな」
式とまともに対話をする片木梨は、白輪月を左手に持ったままで春香を引きずろうとする式へ何時でもその小太刀へ術を込めて放てるようにしている。黒乃のほうも、姿が見える敵ならばと先ほど志坂を打ち抜くために束ねた爪を開放し、再度八本の爪を展開させた。
「お待ちください 片木梨様」
どちらもが引かないという状態の中で、声をかけたの人物が一人、式と片木梨の間より少しはなれたところでこちらへと歩いてくる。
「どいうつもりだ、江島。いや、今はただの吉郎という一兵卒だったな。この場で俺に意見するだけの理由を持っているのかお前は」
声をかけた本人に向けられた怒気に吉郎は思わず数歩後退る。だが、言わなくてはいけない。
「いえ、叱責を受けるのは覚悟しております。ですが、この式使いは私の言葉を信じ、かつ人死にがでるかもしれないと言うはなしにすぐさまあの村を発って、私のみですが、この、術を抑えるためにきてくださったのです。いや、その、いろいろ」
「話がまとまってないなら口を出すな。馬鹿者」
吉郎の言葉を途中までは聴いていた片木梨だったが、しどろもどろの説明を止めると、刀を向けたままで黒乃へとこう言った。
「式、貴様の名は知らんがこの状態で式だけで勝てるようなものではない事ぐらい、貴様には分かるだろう。どうするかは置いておいても、貴様の宿り主には話しを聞くぐらいはしてやる。見れば術力を使い果たして昏倒しているようだ。お前が嫌だというならお前を術式で切る。お前が善いというなら、こいつからも話しを聞きたい、生かしておくだけはしてやる」
怒気をまとっていた片木梨の気配が一転して、一気に戦場にでているそれへと置き換えられ、黒乃へ選択を迫る。八本の爪を掲げていた黒乃も、それに怯むしかなかった。眼前にいる己の姿を見聞きできる男は、志坂や吉郎といった力で圧する事が出来る相手ではない。仮に戦ったとしても、主と契約している黒乃だけではその力を揮う事さえできずに、主を殺されるだろう。 主を失う事のできない黒乃は、嫌も応もせずに片木梨の言葉へ「わかった」と答えるしかない事を悟ったのだった。




