Ⅰ-ⅩⅩ 爪に刀と日の出
支えているのも重い。黒乃がぐるりと腰のあたりにまきつき、自分の肩のあたりに頭をのせつつ翼の8本の爪で止めてくれなかったら、間に合わなかったかもしれない。
何も言わずに黒乃が身体を引っ張るように背後へ下がったうえ、爪を展開したものだから何が起こったのかまるでわからなかったのだ。後ろにいる男性が刀を志坂に向けたのが原因だろう。地面を一蹴りした志坂の速さに目がついていけていない。
「おまえ、何者だ」
背後からの質問に答えてられる余裕も無かった。おもったより声が低くないなって思えるだけまだ少しだけ心は平静さがのこっている。
志坂の最初にあった意識や理性は言葉尻が危うくなった時にどうなったか。見たくも無かったが、この変えられてしまった目にははっきりと映る。
花の女は、自分の存在を見てから噴出していた紫色の霧を従えつつ、志坂の内側に何か別のモノを噴きださせていた。両方とも噴出していたなんて言い方はおかしいのは分かっているが、春香にもそうとしか言いようは無かっただろう。
まるで球根の塊のようなものから、いくつもの青黒い芽が志坂の内側につぎつぎと生え続けている様を、それ以外にどう言ったらいいかわからない。食い破るでもなく、侵食すると言う言葉では生温い。それは一色に塗りつぶすと表現した方が近いもの、まるで乱暴に志坂という男の存在を塗りつぶしていく幼児の色塗りのようだった。
心臓のあたりで動いていた小さな輝きはもう根っこに絡め獲られ、彼を作るすべては紫に染まる。
「ああ、ほんと、貧乏くじを引く意味を今かみ締めてるんだな」
『御方、そのような事を言っている暇はございませんな、落ち術に意思はございませんが、志坂めの意識を絡めたのはアレの生気がほしいという欲求、食欲でしょうな。あれに食らいつかれたら、御方の生気、まぁ私を使っている力の大半をむさぼられた上でそこにいる男と同じ姿になるでしょう。』
「ああ、芽のでてくる速度に体が耐え切れないから、中にあったものが上に上がってきたって事ね。単純というか理解したくなかった」
背後にいるすこししっかりした鎧を着けている人物を守る形になったが、彼は抜こうとした刀の柄に手を置いた状態でいまのギリギリとせめぎあっている状態をどうみているのだろう。
そんなことを思いながら現実から凄く逃げ出したいと、春香は頭の隅で思っていた。目の前にいるのは明らかに意識どころか、全てが振り切ってしまっている。
欲求の塊となっているこいつに話しかけても反応をかえす様には到底思えないし、武器も攻撃手段らしい手段も実の所持ち合わせていないという考えにいたるのが遅すぎて、われながら泣けてくるというものだ。しっかと見交わしたくもない黒い目を見かえすと、黒乃が八爪を振り払い、勢いよく志坂の体を吹き飛ばした。
爪とは形容しているがその姿はまるで長い刃が指の先に突き出ているような形で、磨きこまれた黒曜石の剣に近いものだろう。黒乃が伸ばした爪の長さは春香が手を広げた長さよりもある。それが八本、黒乃が見えているであろう志坂が相手でなかったら、すぐに戦いを終わらせる事もできただろうが爪の見える相手には爪が動くのはよく見えるようで、春香の両肩脇から守るように広げられた翼の爪の動きにさして驚いているようには見えなかった。
吹き飛ばされた志坂が地面に着地した後もわらじと地表のこすれる音がすさまじく響き砂煙があがるが、着地は勢いを殺せなかったにしても成功だろう。定まらない目でこちらを見つつ、相変わらず「ウマソウ」という単語の連なりが聞こえてくる。
「犬が吼えているって考えるのも嫌だな。正直これなら犬のがマシだ」
春香がつぶやき自然と黒乃の爪が自分の周囲に渦巻くように広がっていく。手を繋ぐよりも確かな糸、黒乃がどうやったか自分と彼の間を結び、その力を伝えあって今の状態に成り立っていた。
自分の腕がもう一つあるといえば、それが一番表現に当てはまっていると思えた。爪の先は指を動かすと爪同士がこすれて音が鳴り、凶器を握った事のない自分にあまりにも軽い命を断てるという確信が持てた。その凶器が無かったら怪我どころか殺されてたのも含めると、今は凶器の事ばかりをいってはいられない。
『御方、集中する方向が違っております。まぁ、私が勝手をしましたのは謝りますが、アレを助けようとなさることはおやめください』
(どうして私が助けるとか思ったの? まぁ、殺したくは無いし、殺されたくもないけれど)
『それが甘い。御方、あの落ち術は根をはり、孵化した』
志坂の足に力が込められ、後ろにいた少しくらいの高そうな男ではなく、私へと抜かれた太刀ごと突進してくる。体を黒乃に引っ張られるようにして無理やり斜に構えてから片足で背後へ逃げたが、刀の軌道が突いていた形から薙ぐ形に変わり、自分の側にはしる。同時に黒乃による防御で爪が再度きしりをあげ、火花が散った。爪で防いでもそんな事は関係ないと紫の霧がこちらに向かって放出され、生臭い香りが春香の鼻を突く。
「うわっ、くさっ。何これは?! 」
「ぜひゅ……ぜひゅ……」
荒っぽい志坂の息が黒乃の爪越しにこちらに拭きかかりそこへ血のにおいが吹き付けられる。生臭い息に胃の奥からせりあがりそうな気持ち悪さをこらえた。
『早いな、落ち術の核を持っているとはいえ、術に対応できる体になりきっていない酷使をさせようとしているせいで、馴染む前に宿主を壊しそうですな』
(あ? じゃあ何、逃げていれば勝てるかもしれ・・・・・・ない訳じゃないのね)
生臭い息から体を離したくて、志坂を再度反対方向へ薙ぎ払う。春香の殺したくないという感情を認めたその攻撃は、志坂には毛ほども感じなかったらしい。軽くはじかれた程度などものともせずに、二の太刀、三の太刀と連撃を続け、春香へと向けられる太刀の速度が勢いをまし、刃こぼれをした刀の細かなかけらが散る。
紫色の中心が喜悦を浮かべだしているのが、はじき返す刀の乱舞の間で見え隠れした。意思自体がほとんど無いであろうそれは、増える事へ喜びを感じるのだろうと思う。腐った卵やまるで膿んだ傷口のような臭いがきつくなってきて、志坂の変化が如実に現れてくる。
頭がいいほうじゃないとは春香自身の弁だが、彼女じゃなくともその変化には誰もが気づいただろうと思われた。
剣戟が幾条も走る中で、ざわめきが一層に大きくなっていくので気が付かないでくれという願いは届いていないと、分かってしまったから。
志坂の肌は紫の華の毒々しさを精神だけでなく、肉体にまで表してしまうほどに毒されていた。元は健康的だったであろう肌は内出血のようなあざが広がるのに任せ、まるで幾度も殴打されたかのような痕となりじわりじわりと彼の肌を染めていく。よけつつ弾くごとに彼の身体の色は死人へと変わったいったのだ。
(ああ、これは・・・・・)
『孵化したといったでしょう。落ち術とはいえ、術は術。御方が存ぜぬ事とはいえ、術に抗えぬものが肉体に術を満たせられるか?いいえ、器がはじけとびましょう」
(じゃあ、もう)
『はい、御方。あの者は扉を開いております。死の道に通じている一方だけの黄泉道です。本人も踏み出したのは分かったかは知りかねますが』
空を切る乱撃に刀は最早砕けるただのぎざつく鉄、握る手は紫の霧と同色になっていて既に腕も侵蝕されている。八本の爪にきしみは無いが、色の変わった志坂の速度が速くなってきており、今の春香では対処しきれなくなってきていた。
ザスッ という音が乱打の中に混じり、黒乃が巻きつけていた胴ごと主を中に飛ばせて距離を無理やりとらせた。八本の爪をかいくぐり、とうとう志坂の一撃が春香の左腕に傷を負わせたのだ。ガタガタになった刃でも刀は刀、引きちぎり様に切り裂かれるような皮膚がむけ、肉も削られる痛みに思わずのどがつまるような声を出した。
「うぐっっつ・・・・・ああっ」
『御方!! ああ、くそっ制約が満たされておればこのような傷っ。御方、貴方の心を裏切る事になりまする。しかし、貴方のせいではない』
「待って!私が」
黒乃の声は、こちらへと脅しをしたときよりも冷たい声だった。心臓の内側がきりりと引き絞られ、其処から熱を奪われていくような恐ろしさを春香は感じそれに何かを言おうとしたが、黒乃は抗う春香などものともせずに、自分の主であるものの腕へ尾を絡ませて志坂へ向けさせると、硬い言葉で術を紡いた。
『いいえ、黒が一式、術式錐穿ち、絡めよ。』
戦い慣れはしてない主人公と黒乃がお互いのつながりを利用した初めての戦いになります。
最初の術を行使したときは
黒乃が自分の力で
志坂の部下たちを倒したときは
主人公の力をもらい、主人公の任意で
今回は主人公の思いから黒乃が武器というより、防具にちかい形を
実はとっています。黒乃へ自分の力へという思いを行使した、その反面黒乃の、主を守るためという目的での肉体操作を受け付けてしまった形になっています。




