Ⅰ-ⅩⅥ 陣の内に三つ首の竜
明けの空が少し覗き始めるころあい、志坂は馬の荒々しい呼吸など気にも留めず鞭を打ちつづけて、行きの倍の早さで一人山を駆け下りていった。山を越えてすぐに広がるのは河原、山すそに敷かれた野営は大きい。今回の巡りにあわせて作られた部隊はその数、数千といったところだ。
斡辰のもとへ急ぎもどる志坂が走った先で河原の砂利がはね、馬がいななき止ってしまい、使えないと悪態を吐きながら志坂は馬を下りてすぐに陣の中央にいる隊へ向かった。
煌々とたかれている松明の群と、たき火の数々にまばらに立つ寝ずの見張りたちが志坂の顔をみて、胡乱気な表情を浮かべている。
陣中、正確に言えば今回の宿営地となっている足富の河原、四御端川だ。急ぎかけってくる志坂に、たき火のそばから一人の男が立ち上がった。
「やーっと戻ってきやがって。どれだけうちの大将を待たせる気だったんだ志坂」
「今はそんなことどうでもいい、でたんだ」
志坂に対してなれなれしく話しかけたこの男、この駐屯地の後方を管轄としている近条地 勝明という武将であった。緑の鎧に刻まれた傷、目は楽しげにしているが、その風貌は齢40にさしかかるとみえる年のいった男である。あまり垣根を作らぬこの人物は、急いできたらしい志坂に竹筒を渡し、まず落ち着かせてやった。
近条地は志坂に比べればその位もうえになる存在だが、この縦社会に在りながらその区別をものともしていない。けれども、そんな人物に斯様な話しぶりをすれば当然のことながら周りからの嗜める声もくるのも仕方ない事なのである。
近条地のとなりで食事をとっていたもう一人のがたいのいい、羽黒もそんな家臣の一人であった。
「おい、志坂。貴様どういう領分だ。近条地様に無礼な口の効き方といい、お前の隊の隊記を無視することといい、昨今の非礼ぶりはとてもじゃないが言い尽くすことかなわぬ!この場で切り捨ててやってやろうか!」
「まぁ、待て羽黒。どうしたのか?志坂。お前がそこまでワシに対しての礼を失念するほどの事柄でも起こったというのか?」
竹筒から一気に水を飲みきり、ぜはぜはと息を荒くついて一息に吸い上げると、一言、志坂はその場にいる皆に聞こえる声でこう告げた。
「式使いがでよった。恐らくは門外の人物だ」
これに、青筋を立てていた羽黒もうなるしかない。いや、その場にいる中隊の面々がはしってきた志坂に対してただならぬ表情でこちらを伺っている。近条地はふむと口元は笑っていたが、眼孔鋭くして志坂を見定めている。式使い。この単語がでるとは彼も予想だにしていなかったのだ。
「式陣士ではなく、式使いだと?門外人がこちらにわたってくることなど数えるほどしかないと聞き及んでいるが。昨今の法陣士どもの話なら、そういったことが起きることはまずないと」
「いえ、確かでございます。礼を失しましてまことに申し訳ございません。しかしながら、我が部の5名をすべて倒したあの様、そして何処ともなく現れたる光景はもはや式を扱う式使いでしかありますまい。
式陣士となっていますれば、私など等の昔に喰い殺されておりましたでしょう」
志坂の言葉に眼孔鋭くしていた近条地はたしかに、と、そのあごひげをなでていた。それほどまでに式陣士ならば、容赦はない。
いや、意志がない人形人が徹底して刈り尽くすゆえにこそ、こいつでは逃れるすべはないだろうと判断してのことだった。
羽黒が隣で近条地へ目をやっているのに近条地が短く顎を引くと、
「あいわかった。では、この件、御大将である、水守宗様にお伝えするが誓って嘘偽りはないと言うことなのだな? 式関連の事柄は虚偽が発覚した場合即処断されることになろうぞ?」
「命をかけても利のない嘘など私はつきませぬ」
中央の静まりかえった姿は、他の部隊もいぶかしむ有様だった。近条地が羽黒に残りを任せ、部隊を離れていくと、ざっと西部の部隊の波をわたりそのさらにうえにあたる深部、斡辰の本隊へと歩みを進めていく。その顔には誰も話しかけることなどできなかった。
近条地が向かった先は猛る炎が赤々と入り口を照らしている陣幕の前だった。黒の一丸に三首の竜がそれぞれを向いており、竜の周囲には釣り鐘草の文様が描かれている。白い陣幕の手前、近条地が膝をつき礼をとると陣幕の向こう側で低い声がした。
「話は伝わっている。近条地、御大がお待ちだ」
「はっ」
短くそれに答えると、近条地は垂れ下がっている幕をあげ中へと入り再度、三名の男たちの前で膝をついた。
近条地を招き入れた男は中央の男の左となりで、腰には立派な大太刀と脇に緑眼を施した竜の頭を模した小刀を携えている。風貌からすると年の頃は三十路半ばも越えている風情だろう。短く整えられた前髪を左から右へと流すようにもってきており、後ろ髪は白の巻き布で止められている。顔立ちは厳ついの一言につき、人を寄せ付けぬような強い雰囲気を醸し出していた。
「御大の前に俺からも聞く、誓って式使いだということらしいが?その確たる証拠は持ち合わせてはおらんと聞いているぞ」
深みがあるこの声の主は、片木梨 岩丞と言った。片木梨の言葉に近条地は顔を上げずに短く否定をした。
「いいえ、片木梨様。術使いではありませんが、私は術眼持ちでする。志坂めが帰ってきた際についておりました頬傷からは、闇とも、影ともとれぬ術力がこびりついておりました」
「なるほど、そういえばそうだったな。お主の家は術者の筋持ちでもあったか」
威圧感のある片木梨と同様に、中央の男の右隣に立っているのは、片木梨よりは背が低いものの、少し年はいっていない、三十路手前くらいの年齢の男が納得するようにしゃべった。
男は片木梨のように髪をまとめはせず、短く切りそろえた髪が毛先が持ち上がり中空を向いている。癖毛の色合いは深く黒い。
柳眉が白い顔によく映え、片木梨の鋭い三白眼とちがい、二重にはっきりと開いた目が相手を深く見据える。
右隣のこの男名を井双路 勝光といった。片方が巌のようであるならば、こちらはすずやかな滝を思わせる男である。
井双路は近条路の隣まで来ると、ふむふむとうなづいて見せ近条路に立つようにいった。
「近条路、しかしてそれは式使いということならばなにがしかの事で門外人が現れたと思うもののようだが、志坂めの言うことではいまいち信用がならぬ。何より斡辰様が処断を下されようとしていたところでもってのこの式使いの騒ぎ、処断を逃れ命を長らえるための画策としか思えなんだ」
「その通り。俺も井双路のその点については同意していて、例えお前の現があったとしても、志坂めに関しては姓の取り上げ、並びに降格を考えておった」
「しかしながら」
近条路がそこまでいったときだった、すっと中央の人物が左手を水平にあげ、並んでいた井双路と片木梨の口が閉まる。
二人を黙らせた中央の男は、これまで一言もしゃべってはいなかったが、二人ともを黙らせる圧を発している。まさしく、この陣を統べる王たる態度であった。銀の竜と緑に青という三首の竜紋が描かれる主陣幕とおなじ、三首の竜をたばねる渦にのような文様の兜を隣に控えさせている青年、髪は細く陣幕の銀竜と同じ色合いの鈍い輝きが照らされる。
瞳の色は金に近い暁の黄色、髪をのばしている側近たちとは違い、とても短い髪型をしている。座る隣にもっているのは刀を扱うものが多い中での剣だった。
この青年こそ、斡辰のすべてを束ねている斡辰 水守宗そのひとである
三つ首の竜を旗じるしにしている、斡辰の国は少々おもしろい政治の制度をとっています。緑の首、白銀の首、赤の首を掲げている荒神を祭ったことがこの旗じるしの由来になったトカなんだとか




