Ⅰ-ⅩⅤ急げ急げ、何に置いても
縄をすぐにも解いてやりたいところだったが、やはり斡辰の部下だった彼をすぐに信用する事はできなかった。胴ごと縛り上げておけば問題もないが、馬に乗る以上は彼も乗せなければいけないだろう。ただ、それだけ悩む時間も春香にはなく、黒乃が隣でせかしつつ吉朗の縄を切る為なのか自分の爪を伸ばし始め、後は判断を仰ぐだけにしている。
考える時間が本当に少なすぎて嫌になる。この吉朗という男を放して大丈夫なのだろうかという気持ちのほうが強かった。急かしてくるのはなにも、黒乃だけではなかった。後ろを見ればザカザカと足音高く数名の老人とがたいのよい村女が向かってきている。手に松明を掲げ眠たげな所もあるが、数名のやってくるほうが早く、開け放たれている引き戸のところまで文三たちは戻ってきた。
その息が荒いままに文三は松明をこちらにむけて言い放つ。
「は、っは。錬師様、いかに錬士様とはいえ、降伏した斡辰様の部下にお手を挙げなさるとは! あんた正気じゃない」
「どういう事でしょう? 」
まぁ確かに縛られている人物に手を上げた事は悪いとは思っているが、今はそんな事態じゃないのだけれども。と、春香は思っているのが、文三にはよくとられなかったらしくさらに松明を突きつけて文三はいきり立っている。
「我らの村は小さいといいましたでしょう!斡辰がたとえ此度の非道を理解なさっても、無抵抗なものに手ひどい事をすれば、それこそ本当の斡辰の怒りを買いかねない!話の場さえ供されず我らの村に報復を行わんとする事も考えられると、なぜわからん!」
既に様付けしていた対応はなく文三の目は見開かれ、一層に怒声を向けてきている。
あまりの剣幕に後ろにいた女たちのほうが後ずさりするほどだ。隣に来ていたもう一人の翁、さきほど厠の場所を教えてくれた老人も、文三の言う事にぎょっとしながら、その言葉が分かると同じように春香へときつい敵意の眼差しをむけた。
「敵意とか、そこいらの話の前に、今起こっている事柄のほうが重大なんだけれど」
「何が重大か! 村の大事を救ってくれたことは感謝足りぬほどだが、斡辰との事は貴方には関わりなき事、早々に村をから出て行けば斡辰の部下たちの非道を連ね、この村が危難にさらされたを言うなりすれば咎めを受けることなくというこちらの事も知らぬに」
吐き捨てるように文三が言ったのは小さな村の長代理としては、考えなければならない最善の手だったのだろう。長を任されている以上今回の事は想定していたにちがいない、だが、助けられたにしてもその助けられ方が問題だった。身も知らぬ錬士まがいによる一方的な助け、そして斡辰の部下たちを拘束。助けは正しく村を救う事だが、先を考えるならばただの錬士より、その先にある斡辰という勢力に握りつぶされる恐ろしさをずっと抱えていたのだろう。
『御方、どうなさいます?此度の事は御方の意志に沿って行いましたが』
(どうするもなにも、また式の力をつかうとか?いや、流石にこの状況で其れはまずいと思うしなー)
恐れにとがりきった心を向ける文三と、余裕があるかないか分からない状態の春香の間に割ってはいってきた影が一つ。吉朗は、その両者の間にはいると春香を背後に庇うような形に立ち、文三に対し繋がれたまま、ずいと一歩踏み出した。
「待たれよ。文三と申したか、彼の、し、錬士に関しては我の頭をはっきりとさせる為に頬を叩かせはしたが、先ごろこちらの方でその件に関しては一時、話しを収めておる。それよりも急で我らが行かねばならぬ事柄の方があるのだ!そちらのほうが一刻を争う!文三殿のいう、村の大事は去りきっておらぬのだ」
縛られたままで話す吉朗に文三はたじろいだが、それもすぐに元に戻った。
「縛られている貴方様も、おかしくなられたか! 武士がこんな若造風情に頬を張られて気を飛ばしたようにしか見えなんだ様でそのような妄言を信ずることが出来ようものか!」
「信じよとは言わぬ。だが、先ごろこちらの錬士がいうたのだ。祠の祀りものが奪われていると。それを止めねば万の死者がでかねんとな」
「ほこらじゃと?・・・ま、まさか!? 万平ちと見てくれ!オツトノ神が無いかどうか見てくるのだ!」
吉朗という男の咄嗟の発言におもわず春香も舌を巻いたが、ちらりと目線だけ吉朗に向けても彼自身の顔色からああと、悟った。
大業に言い切った後で少しどころじゃない汗が首筋に浮いているのだ。時間の制約に急かされているのは春香ばかりではないということだ。吉朗自身も自分の言った事に何度も頭を打ち付けたいほどの衝動に内心駆られていた。あったばかりのこの式使いというものの言葉を気迫もどきに押されて、ほぼ信じて今の話しを強く言ったがああ、とぐるぐる彼の頭もめまぐるしく渦巻いていた。
「ない!ないぞ!オツ様がない! まさ、まさかそのオツ様を!! 」
万平の言葉にずしゃりと、文三が頭を抱えて膝から崩れる。声にならぬおおうという声に続いて、文三の顔色は見る見ると青くなっていった。
「な、なんと、なんと・・・っ。オツトノ神の本尊を持っていかれるとは!!あのような石を誰ももたぬと思っておったに、何故にこうも禍つ事ばかりが重なるかっ・・・・・・」
「その様子をみるに、そうとう悪い神様というか、呪いの類だっていう話は事実みたいね」
「オツトノ様は、祟り神の一柱よ・・・・・・。祀りもうしあげていれば害はなくとも、よき事もない。場を与え静まらせていたというに・・・・・」
文三の声が最後は震えるうめき声にしか聞こえず、春香の問いには万平が答えた。曰く、この神様のようなものを祀っているからこそ、村は対話をする事が出来るはずだったのだと。祟り神の鎮めの村を襲ったという名目が出来れば、如何に国もちの武人といえども其れに対して村自体を平らげようとする事はなかろうと。
春香が知れば知るほど、この世界というのはとてつもなくノロイやら神様に依存している世界だということが見えてきた。弱い事や、国に取り潰される事が常時あるなんていうこととは無縁だった自分が挟める口など確かにないのだろう。
この世界でそういう事に巻き込まれでもしてなければ。
春香は嘆息をついている万平と文三を見つつ、吉朗の傍に浮いていた黒乃の爪をつかうと、荒縄を断ち切った。縄は軽い音を立てて落ち、吉郎が解き放たれた事に気づき唖然としている事には見向きもせずにその腕を引っ張る。
「とと、ま、待て!いきなりこれはどういう」
「説明している暇もなくなったのは今更どうとも言えないし、言っても時間の無駄。ちょっとごめん、そこのお姉さん、悪いけどこの人たちが乗っていた馬とかどこに繋いでる?時はもう無駄に出来ないし、このご老人方に付き合っていたら間に合うものが間に合わなくなりかねない。斡辰の陣までは距離があるそうだから」
吉朗の質問を断ち切りつつ春香は女に尋ねると、女はすぐそこだと左手を指差しちいさく「あっち」と言うとこちらに何かを言ってきたが、その言葉はすぐに置き去りにした。
吉朗を引っ張ってすぐさま馬がつながれているところに向かえば、何名かの馬を番しているもの達の制止もきかずに、春香はすぐさま鞍のついたままの馬に黒乃の胴体を借りて上ると、吉朗も馬に乗るようにいい、もたついて裸馬に乗る羽目になった吉朗にこう言った。
「時間も何もない!すぐに案内して!」
鞍がついていない馬に乗るのはすこぶる大変です。
吉朗さんは、どうもドジな性質がありそうな気配が




