第九話
ダニエルが進級してから半年が経ち、婚約者としての定期的な顔合わせの食事も済んで、彼が学園に戻った後のこと。
あと半年もすれば、私も学園に入る予定だったはずなのだが――。
「侯爵はいったい何を考えている! 父上も……なぜこのような提案を受け入れたのですか!」
いつも温厚で柔らかい話し方をする兄が、今までに見たこともない物凄い形相で怒っている。
一方、当事者である私はそちらのほうに驚いてしまい、怒りなど何処かに行ってしまっていた。
「仕方のないことだ。これは先代からの遺言だからな。悔しいのは山々だが……諦めろ、セドリック」
「そんな……今までだって散々我慢してきたではないですか! これ以上、いや、これから先もずっとフィーに耐えろと仰るのですか!」
実際の年齢よりも若く見え、兄と“兄弟”といっても通ってしまいそうな容姿の父は冷静さを保ったまま、兄をなだめた。
「あと一年だ、セドリック」
「くっ……」
「いや、実際には一年も必要ないかもしれない」
悔しそうに奥歯をギリリと食いしばった兄に、父は少し口角を上げた。
「それにこちらとしても都合が良いではないか」
「どういうことです?」
レティお義姉様の出産で公爵領に戻っていた兄と、ダニエルの帰省に合わせてタウンハウスから戻っていた私は、つい先ほどレイナイト侯爵家から戻ったばかりの父から執務室に来るよう呼び出された。
そして、レイナイト侯爵から「セラフィーナを学園に行かせないで欲しい」という要望、というよりは強制に近い形で申し入れてきたと聞かされたのだ。
最近ではダニエルの“当たり前”に心の中で突っ込むこともできるようになり、早く学園に入って鼻を明かしてやりたいと思っていたのだが、レイナイト侯爵が先手を打ってきた、というところだろうか。
「学園に入る前にデビュタントもありますし、これから貴族の社交的にも学園生活は必要です。学園に行けなくなることのどこが都合が良いと仰るのです?」
兄が私のことを大切に思ってくれているのは幼い頃からずっと感じていた。
でも正直、私のことにここまで腹を立ててくれるなんて思ってもいなかった。
きっと兄なりに思うところがあったのだろう。
この国唯一の公爵家嫡男としての重責や私には知り得ない公爵家の事情など、わかっていてもどうにもできないことなんてたくさんあるのに。
父の話では、デビュタントは予定通りだがダニエルが学園を卒業するまで私は公爵家で勉強し、ダニエルが学園を卒業すると同時に結婚して、侯爵家に入って欲しい、ということだった。
レイナイト侯爵家で学んでいた時、すでに学園卒業と同等の成績を修めていることも、侯爵夫人としての仕事は身につけていることも知られている。だから「セラフィーナなら学園に行かずとも大丈夫だろう。やる気を出したダニエルの意欲をわざわざ阻害するような行動はしないで欲しい」というのが理由らしい。
「娘の美しさと優秀さを隠しておけるではないか」
ニンマリと口角を上げた父に、兄と私は瞳を大きく見開いた。
その後、一瞬にして兄の表情が父と同じになる。
「……それもそうですね」
「公爵家としては、レイナイト侯爵家と縁が結べればそれで良いのだから」
「なるほど、理解しました」
二人の会話についていけず、頭の中が疑問符だらけになっていると、父と兄が私に優しく微笑みかけた。
「セラフィーナ。もう少しだけ時間をくれるか」
「ええ、構いませんわ」
ダニエルの性格を矯正でもしてくれるのだろうか。
確かに学園に入ってからのダニエルには目を瞠るほどの変化があった。だから、可能なのかもしれないけれど。
レイナイト侯爵家との縁を結ぶのが決定事項であるなら、ぜひともあの自分本位の“当たり前”をどうにかしてほしいものである。
「ところで――お父様」
せっかくの機会なので、今までずっと疑問に思っていたことを聞いてみることにした。
「どうして家格が上であるはずのグランディ公爵家がレイナイト侯爵家の提案を断れないのです?」
一瞬にして、父と兄の顔が強張る。
「それは――先代同士の関係性によるものだよ」
グランディ公爵領とレイナイト侯爵領は隣り合っているのだが、昔はそれほど交流がなかったそうだ。
ある時、先代公爵がレイナイト侯爵領を通過中に落石事故に遭ってしまった。それを先代侯爵が命がけで救出し、出来る限りの治療を施した。
先代公爵は大怪我を負ったものの、一命を取り留め、レイナイト侯爵に感謝し、「何か返せるものはないか」と尋ねたそうだ。
先代レイナイト侯爵は「隣り合うもの同士、もっと交流できたらと常々思っていた。後に生まれる子どもたちを結婚させ、縁を結びたい」と望んだ。
ただ、公爵家にも侯爵家にも生まれたのは男ばかりで、結婚させることは叶わなかった。
先代は「あの時、死んでいたら、お前たちはこの世にいなかったのだから、もしも縁を結べる時が来たら、必ずそうするように」と遺言を残したのだ。
そうして、侯爵家にダニエルが生まれた後、公爵家に私が生まれたことにより、この婚約が結ばれたのである。




