第八話
「セディお兄様」
「どうした? フィーのほうから私のところに来るなんて珍しいじゃないか」
「お兄様に伺いたいことがありまして」
兄が王城から戻ったと聞き、私は兄の執務室に来ていた。
促されて応接セットのソファに腰掛けると、すぐさま本題に入る。
「まさかとは思いますが……私がダニエル様に出していた手紙、止めていらっしゃいます?」
「いったい、何のこと?」
向かいに座った兄は小首を傾げた。
しらばっくれる態度に、私は小さく息を吐いた。
「ダニエル様と話が合わないのです」
「昔からそうじゃないか」
「私からの手紙の文面をご存知ないようでした」
「ちゃんと読んでいないんじゃないか」
「ええ、そうだと思います」
兄は美しい薄紫色の瞳を見開いた。
真剣な表情で少し睨みつけるように見つめ返すと、観念したように兄は腰を上げた。
「止めているわけじゃない。少し内容を変えていただけだよ」
「……え?」
机の引き出しから、手紙の束を取り出すと、私の前に置いた。
この一年、あの二通以外にもダニエルからの手紙は届いていたのだ。
ホッとしたのか、嬉しいのか、思わず顔が綻ぶ。
私は手紙の束へと手を伸ばした。
「手紙を読むより、届いていないというほうがフィーにとって良いと判断した」
伸ばしかけた手を阻むように、兄が口を開く。それでも、私はダニエルの手紙を読みたかった。
一枚、また一枚。次から次へと手紙を開いていく。最後の一枚を読み終えた私は本当の意味で兄の言葉を理解した。
一緒に勉強をすることがなくなってから五年。彼の中の私は彼にとって都合の良い人物に作り変えられていたのだ。
いつも彼との話が噛み合わない理由が判明した。
手紙の中の言葉は“当たり前”を振りかざした私への“侮辱”だらけだった。
私も悪かったのかもしれない。訂正する機会なら幾度となくあったのだから。
しかし、たとえ機会があったとしても――“彼と仲良くなるには、私は彼よりも馬鹿でなければならない”という、幼い頃に確立された習慣はそう簡単に治せるものでもなかっただろう。
現に今、それが原因で彼は私を“世間知らずのバカなお嬢様”だと思い込んでいるのだから。
「幼少期から次期侯爵夫人になるため、一生懸命勉強してきたというのに、これではあまりに――」
「――お兄様」
兄の言葉を遮るように、私は言葉を続けた。
「学園に入れば、わかっていただけるはずです」
もう、ダニエルに気を遣う必要はない。これからは思う存分、力を発揮すればいいだけだ。
加減するほうがずっと難しいし、神経を使う。今後はそんな無意味な調整に煩わされなくても済むと思えば気が楽だ。
私はニッコリと兄に微笑んで見せた。
◇
「何だよ……この手紙」
兄の執務室から出ると、扉の前で話が終わるのを待っていたルディに手紙の束を強奪された。
粗方、話を聞いていたのだろう。
ただ、手紙は音読していたわけではないので内容がわからなかったから確認した、といったところか。
手紙を読み進めたルディは拳に力を入れ、読み終えたものをぐしゃぐしゃっと握り締めていった。
「兄貴がここまでバカだとは思わなかった」
いつものように唇を噛み締め、眉を顰める。
そして、きっといつものように謝るのだ。ルディは何も悪くないのに。
「ごめんな」
「ねえ、私たちの話、聞いてたんでしょ?」
「…………」
「もうすぐ学園に入るのよ? 私がバカではないことを自分で証明すればいいだけ」
私はルディの拳の中でシワシワになった手紙を受け取ると、口角を上げた。
「ダニエル様の驚く顔、今から楽しみだわ」
ニンマリと笑った私に、強張っていたルディの表情が緩む。
「ぷっ……はははっ。そうだな! 俺もフィーに負けないよう、頑張るか」
「いいの? 次期侯爵のお兄様より良い成績を取ってしまっても?」
「知るか。いつも先にふっかけてくんのは兄貴のほうだからな」
「買わないようにしてたのに?」
「いいんだよ、もう」
「ふぅん……そう」
今まで二人で切磋琢磨してきた。そして、二人とも常にダニエルという存在を気にしながら生きてきた。いわば、同志だ。
そんな同志と何の気兼ねもせず学べるなら、学園に入るのも悪くない。
今までは憂鬱でしかなかった学園生活がほんの少しだけ楽しみになった。




